2018年11月13日火曜日

来年の十二支(干支)は「亥」(いのしし):使われて日本や中国だけではない


干支の「亥」は日本だけで使われているのではない
 年末になると来年の干支の話で盛り上がる。殷商の時代すなわち甲骨文字が生まれた時代に早くも十二支は天干と共に日にちを表すのに用いられている。干支は十干と十二支の二つの概念で構成されている。

 つまり、中国、韓国や日本人なのどの北東アジアの人々は、古来3000年以上にもわたって、一貫してずーとこの干支を通じて、年月の移り変わりを認識してきたことになり、これはこれですごいことだと思う。
 この干支について唐漢氏は、十二支は人の出産・成長過程を表したもので、古代人が時を表すのに、身近に起こる出来事で象徴的に表したものだという説を唱えているが、これに対しウィキペディアでは、「また生命消長の循環過程とする説もあるが、これは干支を幹枝と解釈したため生じた植物の連想と、同音漢字を利用した一般的な語源俗解手法による後漢時代の解釈である。鼠、牛、虎…の12の動物との関係がなぜ設定されているのかにも諸説があるが詳細は不明である。」として、干支の由来がもう一つはっきりしない。

 さてこ今回は、干支の「亥」について以前にも触れたが、再度、「亥」の成立ちについて整理してみよう。

引用:「汉字密码」(P879、唐汉著,学林出版社)
「亥」の字の成り立ち」
「亥」象形文字である。甲骨文字の二つの「亥」の字は等しく裸の男子の側面のデッサンであるという説もあるが、なぜこの字が干支の最後の字に割り当てられたかについては、諸説紛々としてはっきりしない。
 字統では、「獣の形に象る(かたどる)」とあり、呪能をもつ、獣の象形であり、その残骨を骸という」としている。


古人は干支の最後に「亥」という漢字を当てたか
 なぜ「亥」という漢字が、干支の最後の段階にあてられたかについて、唐漢氏は殷商時代の甲骨の卜辞の中で、いつも一人の「亥」と呼ばれる先公が出現する。商の人はこの人を「高祖」と呼び、最も早い男性の祖先、先公とみなして、彼の母親は特殊な待遇を受けている。即ち「亥」と一緒に殷商の先民の祭祀としている。卜辞の言うように「王に焼かれた亥母豚」の中の亥母である。この「亥」とその「亥母」は子供の生殺の権力を握っており、その為に「亥」は十二支の最後の位置を与えられたのだろうという説を唱えている。
詳しくは、十二支の中の「亥」の起源と由来を参照願います。



古代人の子孫繁栄・生殖崇拝の想いが伝わってくる
 わが唐漢氏は、「子丑寅卯辰己午未申酉戌亥」という漢字が、大きく二つに分けられ、前半の「子丑寅卯辰己午」は人間の胎児の時代から、産道を通って出産してくる現実の出産過程を表し、後半の「未申酉戌亥」は未だ未然のことではあるが、嬰児が夭折なく、無事育つよう、希望と期待をあらわしていると解釈しているが、私は唐漢氏の考えというより、この「亥」という字そのものに古代人が、子孫を残し、生殖崇拝に切なる思いを持っていたかが脈々と流れているような気がしてならない。何故ならこの亥という字から、生命力の強い猪という字即ち概念に想いをつないで今日まで繋がれてきている気がするのである。


干支の「亥」に関連するページは下に集めてみました \(^o^)/

「漢字の起源と成り立ち 『甲骨文字の秘密』」のホームページに戻ります。

2018年11月10日土曜日

漢字「猪」起源と成り立ち:中国では「猪」は豚。ではイノシシは「野猪」


漢字「猪」の起源と由来は猪豚ではない
 今まで、いのししというとともすれば干支の「亥」について触れることが多かったが、ここでは原点に戻り、干支のいのしし「亥」から少し離れて、「猪」という漢字そのものと動物の関係ついて考察してみよう。イノシシは長い間に飼い馴らされて、猪豚になり、豚になった。この間数千年の時が流れる。


引用:「汉字密码」(P886、唐汉著,学林出版社)



「猪」の字の成り立ち」
「猪」はるか昔の時期人々は、豕と称していた。つまり「猪」という漢字が出来る前には、所謂「猪」を「豕」と書いていた。 現代でも猪の「繁体字」は「豬」という字が用いられるが、「説文解字」にも「豬」が収められている。しかし猪という漢字は、秦代以前にも既にあったということである。


 甲骨文字の豕は、象形文字であり、口が長く、足が短い。腹は丸々肥えて、尻尾は下に垂れ下がる。横から眺めてみると、将に一頭の太った猪のそっくりそのままのデッサンを書いている。  





「豕」は「猪」にどのように代わって行ったか
はるか以前の先民から見ると「豕」は六畜(牛、羊、豕、馬、犬、鶏)の一つである。人類の最も早い馴化養育した家畜であり、猪はきわめて不安定な狩猟を補充する生活の道を講ずる方式を補充するものであったと見ていい。飼育されるようになった豕は、自然に食糧の備蓄として当てられるようになった。
 即ち、「豕」は非常に長い年月を経て、人間に馴化し、人間の食糧補給として、人間と共に生きてきた。そして馴化した猪は、まるで人間について回る付帯動物のように認識されてきたのではないか。「豬」の旁の「者」は元々漆器の器物上の大きな漆塗りで著わしたものを指すことから、人間に付帯するものとして、「豕」に「者」を付け加えるようになったのではないかというのが、唐漢氏の説のようである。


「豕」にかかわる古事来歴
遼東の豕(いのこ)
 時は後漢の光武帝の治世のころ、今の北京・天津の辺りの彭寵という太守の不穏な動きを大将軍朱浮が戒めた中で、使われた言葉で、「他から見れば異とするに足らない功を誇る」「他から見れば当たり前のことを自ら奇異だと誇る」という意味た。これは朱浮が、「遼東の辺りで白頭の豚の子が生まれたので、これは変わった豚だと王に献上しようとした者が江東まで行くとその地の豚は皆白かったので、恥じて帰った」という逸話から引いて戒めたという話がある。
 このような話は、いつの世でも塵芥のごとく散らばっており、どこかの首相や大統領にもこの手の話は尽きないようである。


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