2010年6月12日土曜日

漢字の「美」はなぜ羊を頭に被っているのか

 今まで、男と女に係わる漢字を見てきたが、ここで特に女性にとっては、関心事の主要な部分を占めるであろう(失礼?)「美」という漢字の由来について触れてみたい。

 女性で美と来ればやはり「美女」を避けて通らぬわけには行かない。中国の4大美女といえば、西施、王昭君、貂蝉と楊貴妃といわれている。最近では、映画レッドクリフでも有名になった、呉の将軍周瑜の妻小乔もその中に加えるべきなのかもしれない。小乔についてはよく知らないが、西施、王昭君、貂蝉と楊貴妃の4人については、「月は閉じ、花は恥じらい、魚は溺れ、雁は落つ」とたとえられるほどの美人だというからすごい。

 西施は、彼女がある時水辺で魚を見ていたら、魚が彼女の美しさに虜になってしまい、ついには泳ぐことを忘れ、海底に沈んでしまったという逸話があるほどの美人だということである。私の見た中国映画では、越が呉の夫差に戦いで敗れた時、越の王から呉の夫差に貢物として差し出され呉の夫差の心をとりこにしたという筋書きになっていたが、これは作り話であるかも知れない。というのは、中国ではこんな話は五万とある。また彼女に纏わる成語で「東施效颦」というのがあるが、これは後日紹介をしよう。

 王昭君は後漢の人で、匈奴の単于という王に嫁入りをするが、彼女は「その北の国を渡っていく雁が彼女の美しさに見とれ落ちてしまった」と喩えられた。これも面白い話があるが、別の機会にしよう。

 貂蝉については、その美しさには月もその前には自らその顔を閉じてしまうという様に例えられた。

 楊貴妃については余りに有名なので、ここでいうまでもないかもしれないが、「花も恥じらう」と云う言葉で表現されるが、この言葉は今でも生きている。

 さて、本題に入る。
 
甲骨文字 「美
 唐漢氏によると、 「美」は「羊」と「大」の2文字で構成される会意文字である。「大」はここでは健康で強壮な男子のことを表している。又羊の大なること美しいという意味も含んでいる。ところが日本の白川博士によると、これは羊の全体形を現す象形文字であるという。白川博士は羊はそもそも神にささげられる生贄と使われていた。神にささげられる際に全身が無欠の完璧なものでないと困る。何処にも欠陥のない羊を美しいとしたとの説をとっておられる。

甲骨文字「羊」

 しかしこの議論の前にそもそも「美」という文字は、今日使われるような「美しい」という概念を表していたのであろうか。




「美」の字は上古の先民はその意識の中に4種の感覚を持っていた。

  •  視覚上、羊の体が太って強壮な姿態から受けた感じ
  •  味覚の上から羊の肉が脂の多い感覚
  •  触覚上、羊の毛皮から防寒の必需品とすることを期待し、そしてその生産品の心地よい暖かさの感覚
  • 経済的観点から、羊の交換価値を思い、それ故に生産を持つ喜び
この4つの感覚が入り混じって、間違いなく、かすかに打ち震えるような心の中の「美」の感覚をもっただろう。しかしこの「美」の感覚は今日とは異なっていたのではないだろうか。

 北方人の美意識の中には、「大きいことは美しいこと」という観念が根深い。部屋から陵墓から工芸品に至るまでである。南方人は精緻、細かく且つ複雑であることを求める。しかし北方に行けばいくほど、粗く雄大で且つ大きい。それから段々審美意識中のたましいになった。  「美」の字は羊と大が合わさった会意文字で、「羊は大きければ美しい」「人は羊のごとく壮健なれ」という理解もできる。但し両者の解釈は皆「美しいことはいいこと」という基本概念の帰結である。文字学の角度から言うと、「美」の字の本義なのだ。

これ以外にも、「美」下の部分の「大」は男を表し、古代では立派な男は頭にりっぱな羊の頭の被り物をしていて、これが「美しい」という感覚になったという話もある。

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2010年6月10日木曜日

漢字「道」の起源と由来:甲骨文字では、十字路と脚ということから歩道

漢字「道」の起源と由来:最近の漢字の起源を書いた読み物では、これが恐ろしい漢字だと解説されている。なぜか恐ろしいのか。そこには、大衆の興味を引くための作為が隠されているように思う。

 最近、漢字検定が普及した結果なのかもしれないが、本屋さんに行っても漢字の本が書棚に並んでいるのを見かける。そして検定に関するものについでよく見かける。さらに漢字をその起源から説き起こそうという本が幅を利かせるようになっている。

漢字の起源の説明に日本の古代の話は無用

 漢字の発生は多分に呪術的な部分があり、何せ古代のことでもあるので、まだまだ謎に包まれている部分が多い。それだけに漢字の解釈、起源については百花繚乱である。実にさまざま本が書かれている。中には随分いい加減なものも見かける。たとえば漢字の起源それも甲骨文字について解説するのに日本の古代のことをあげて説明しているものさえある。このようないい加減な内容でいたずらに恐怖心をあおることは許されないとおもうのだが。



  さて、今日は「道」という漢字に焦点を当ててみたい。なぜこの文字を取り上げたかというと、この漢字というのは恐ろしい漢字だというのがいろいろな本に書かれているからだ。あの有名な白川博士も、古代において、道には怨念が宿っていたとされ、その怨念をふり払うために、異民族の首を切って歩き、それでもって悪霊を追い払うことができると信じられていた。道とは「行」の間に首を手で下げたことを表す記号(文字)から構成されているといっている。

 しかし、首を下げて歩くような行為から、孔子や老子の説く「道」の漢字に至るには少しギャップがありすぎる。そこでわが唐漢氏は、これをどう読み解いているのであろう。ご登場願うこととする。

甲骨文字では、十字路と脚ということから歩く道であることを示している。

 道は道路のことである。車も馬も通る道は皆道路という。古代の道は小道と大道の区別はなかった。甲骨文字では、道の字は「行」と「止」という字からできており、十字路と脚ということから歩く道であることを示している。金文の道の字は、「行」と「首」に変わっている。これは道がその当時、遠くまで人の顔がきれいに見渡せる広い大きな真っ直ぐな道路のようなものであったことを示している。



小篆の「道」の成立ち:従と首からなる会意文字
小篆の道の字は第2の金文を受け継ぎ、従と首からなる会意文字に変わっている。楷書ではこの理由で道と書かれている。

 記録によると殷から少し時代が下った周の時代には、「牛に引かせて,遥か遠くの場所に店を構え」とあるように、当時の陸路の運輸が既に四方八方の段階に至っていたということである。両周の時期には各地の封建諸侯と王室は密接な関連を保っており、さらに兵、車戦争の特質に対応するために全国は道は礫のごとく平らに、矢のごとく真っ直ぐに修築され、道は周行、周道と称されるに至ったという記録もある。

 道の本義は大きな道である。即ち平らで広々とした道のことをいう。その言葉の意味は道路を経由して、方向、道のり、あるいは「志同道合」のように同じ志を持つという意味まで拡張されている。又したがって行く、行き渡るという意味に拡張され、道理という意味に用いられ、物事を探求する原則、標準という意味に使われるようになった。

唐漢氏の解説は随分あっさりしている。甲骨文字から金文に至るまでの間、「行」という字の間の「足」がなぜ「首」に変わったのか、そしてそのことが唐漢氏の言うように「遠くまで人の顔が見渡せるほどになった」から足が首に入れ替わったという説明には少し飛躍があるような気がする。これ以上は今後の研究に待たなければならないのだろうか。

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