2012年1月26日木曜日

女の漢字シリーズ:「奴」

漢字もまだ出来ていなかった太古の中国では、人々は狩猟生活をしていたであろう。生産性も低かったため、その日の生命を維持するのがやっとであったろう。この時代は女性はおのずと種族の由来を示す明示的な存在として、重要視されていたであろう。

 しかし農業が発達し、生産力が向上し、氏族制社会になると人口も増え、種族も由来を明示的に示す必要がなくなってきた。より多くの生産力を求め、部族間の抗争を繰り返すようになり、貧富の差や階級の差が生じてきた。こうして社会が次第に父系制に移行するようになると女性の苦難の時代が始まる。
  戦利品としての捕虜を確保するということには生産力を確保するという以外、もう一つ重要な意味があったろうと思う。それは氏族社会の中で血が濃くなることを防ぐということではなかったろうか。とりわけ女の捕虜は男の性的な満足だけではなく、外部の血を導入するという重要な役割を担っていたはずである。

  漢字の中に女偏の漢字に当時の女の社会的地位を示すものが多いのも、こうした社会的背景があったろうと思う。
  さて今日はその最たる漢字「奴」について触れてみよう。
奴の原義は奴隷。部族間の戦争で
女性は戦利品として扱われた
  「奴」これは会意文字である。甲骨、金文と小篆の「奴」の文字は、女偏でもう一遍は又である。「又」はもともと「手」であり、全部で字の形は、捕虜になった或いは略奪された女性を意味している。 

  「奴」の字の本義は奴僕、奴婢である。古代奴隷制の時代は従順でない男性捕虜や犯罪者は常々脳みそを削られたり、女性は柔弱に飼いならされたり、生殖器の価値もって、奴隷に落ちぶれたものが多くいた。だから「奴」は女偏で作られている。しかし、階級分化が進むにつれ、一部の人は奴隷労役ともう一部の人に分かれる現象が普遍的となった。「奴」はまた労働をする奴隷を指すことが当たり前になった。

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2012年1月18日水曜日

漢字「楽」の起源と成立ち:踊りの真中でパチパチとあたりを照らす篝火の松の木

「楽」甲骨文字
「楽」小篆
今日は阪神淡路大震災が起こってちょうど17年目である。私はあの震災、オーム真理教の狂気、小泉純一郎氏の「自民党をぶっ潰す」ならぬ「日本のぶっ潰し」政策、そして自民党の2世首相達?の失政、最後に民主党などこれでもかこれでもかと言うような政治が続き、今や世の中全体がきな臭くなっているように感じている。全体として閉塞感が長くあり、保守的になり、「誰かが何かをしてくれる」と言う期待感が「蔓延」し、大阪市長の橋下氏の笛が高らかに鳴り響いている。戦前のドイツのナチの台頭が思い浮かばされる。非常にいやな時代といえる。

 このときこそある意味では戦後の民主主義の嵐のような高揚を目の当たりにしてきた年代が立ち上がるときではないだろうか。もちろんその当時の制約、人々の認識の未成熟さから来る問題点もあったことを踏まえたうえで・・。

 例えば音楽一つとっても見ても、少し時代は少し遡るが、昭和天皇がなくなるとき、歌舞音曲が「自粛」という形で、街の中からいっせいになくなったことを思い出し、世の中から音楽がなくなった時、何か息詰るような感覚を覚えたのは私一人ではなかっただろう。たかが音楽と侮るなかれ!そこには音楽を通して(ダケとはいわないが)見事に世の中を操ってきた力があるように思う。

 さて、今日は音楽の「樂」、楽しい、樂だといったときに使われる樂という漢字について触れてみよう。

楽の字の原意は松明
乐は樂の簡体字である。甲骨文字の乐は一個の会意文字である。下部は木であり樹木の木を表している。上部は松である。松の木の果実いわゆる松ぼっくりの線描である。古代社会では毎晩夜になると、人々は相集まり祭り、食事、愛情の歌舞音曲を執り行っていた。そのような歌や踊りに欠かせないものは中央で松や柏の木々が燃やされたり篝火である。植物中只松や柏の木だけが枝や葉に油脂を多く含み、乾燥せずとも切って使用できた。且つ又松と柏の枝葉は燃焼するときバチバチと音を立て、踊りやその場の雰囲気を駆り立てた。このことはまた中国の爆竹の始まりでもある。その濃い煙の立ち込める庭である種のさわやかな香りが漂う。この香もまた中国の祭祀の中で用いられる線香のはしりとなった。このように「楽」は生活の源泉をなしている。


 金文の乐は甲骨文字の不足を補う形となっている。特にその字の上に追加された「白」という字で柏を表している。小篆は金文を受け継ぎ楷書では隷書化の過程で松ぼっくりの形は簡略化され、糸が二つになり樂と書かれ、更に簡体字の規則通り乐となった。

 ここで中国の中央音楽学院の趙世民という先生は「探秘中国漢字」という講演の中で、この「樂」という字は楽器を表現したものだという説を唱えている。どうもこの説が中国では主流のようであり、分かりやすく、直感的であるにはあるが・・。

   いずれにせよ音楽とはこのようにして生まれたもので、上から鼓舞激励するために生まれたのではないのは確かなようだ。

 漢字の世界に限っていえば、このようにこの世界諸説紛々と行き交う世界である。しかしここでは諸説の真偽について議論する場にはしたくないしまたその力量もないので、まあそんな説もあるのかという程度に考えていく。  われわれに必要なのは、このようなカオスの世界は漢字だけにしておき、新しい民衆の力を一つの大きな流れにしていくことだろう。



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