2021年1月15日金曜日

漢字「解」の成り立ちと由来:牛の解体が漢字になった。牛が社会の中で重要な役割を果たしていた証拠


漢字「解」の成り立ちと由来:牛の解体が漢字となった
 動物の所有の中で、牛の人類の生活の影響は大変重要である。先住民たちは遊牧でもって生活手段を得るとき牛は放牧しやすく体格は大きく遊牧民にとって牛は重要な財産の指標となった。農耕時代に入ると牛はその力が大きいために苦しい労働に耐え農耕に不可欠の労働力になった。先住民の生存のよりどころにもなった。中華民族の三皇の一人炎帝乃至神話伝説中のいわゆる「神農」は農業の神様のシンボル的存在であるが《史记》の記載によれば「体は人で、首は牛」といわれている。このことから牛は農耕文化において、重要な位置を占めていたと考えられる。牛は先住民の目から見て、家と財物の代表している。牛があれば一切あることに等しいので、このことから一切のものに共通の名前は「物」と呼ばれる。  
引用:「汉字密码」(P20、唐汉著,学林出版社)
  甲骨文字の解の字は一頭の牛と牛の角を両手で掴んでいることを意味している。解の中の角は何のためにある。それは牛の気力は大変強いが、牛の首は致命的弱点である。普通の男でも牛の角に手を掛け力いっぱい牛の頭を捻りまわすと、牛はドサッと地に倒すことができる。即ちこの牛の頭は千斤の重さがあるのだ。解はまさに牛を殺すときの始めの過程を描写している。小篆の解は両手の形を省略して、代わりに一振りの刀を示している。

 説文は解を「判なり」としている。刀で牛やその他の動物を分解することの意味である。「判」の直接の解釈は、「『刂』(刀をを意味する)を用いて、半分に分ける」ことである。当然この種の解釈は小篆の解の字から来ていて、甲骨や金文の「解」の字にはふさわしくない。つまり甲骨や金文では刀を用いていなくて「手」を用いている。




漢字「解」の字統の解釈
 会意文字 角と刀と牛とに従う。刀で牛角を解く形で、説文に「判つ(わかつ)なり」という。引伸して獣体を解くの意となった。


結論
 漢字の変遷を見ると社会発展の歴史が見えてくる。この漢字「解」もまた然り。漢字の中だけではなく、漢字を通して社会の発展を見つめなおす姿勢が要求される



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漢字学の聖典

2021年1月13日水曜日

漢字「軍」成り立ち:兵車が周りを取り囲んでいる様を表す。駐屯時に兵車を用い、軍隊の軍営の周りに障壁を形成した。

「軍」これは会意文字である。兵車が周りを取り囲んでいる意味である。駐屯時には兵車を用いて、軍隊の軍営のために障壁を形成した。
 漢字軍の成り立ちは「車」と「勹」の字からなる、会意文字である。「勹」の字は象形文字で、漢字源の説明では、人が前に物を抱きかかえ体を丸く曲げて包んだ姿を描いたもの。

 「車」と「勹」の会意文字で、兵車を用いて、軍隊の駐屯時に兵車を用いて、軍隊の軍営の周りに障壁を形成した様を表現した。



引用:「汉字密码」(P612、唐汉著,学林出版社)
車で周りを取り囲んでいる・・駐屯地の陣容を示している
唐漢氏の解釈
 「軍」これは会意文字である。金文の「軍」字の中には「車」の字がある。字の外部は勹の字で、まるで手で囲んでいるように見える。(勹の字は象形文字で、人が前に物を抱きかかえ体を丸く曲げて包んだ姿を描いたもの。漢字源より)両形の会意で兵車が周りを取り囲んでいる意味である。小篆のかき方は金文と形体は大体同じである。

 春秋戦国時代の戦争中兵車は作戦の主要武器であったばかりでない。駐屯時には兵車を用いて、まさに駐屯地を取り囲むようになり、軍隊の軍営のために障壁を形成した。

 だから軍の本義は兵営とその周囲の壁、陣営である。



古代の一軍の規模
 兵車は常に軍隊の指揮車でありだから軍は又所有し指揮する軍隊の編成単位だったといえる。《管子•小臣》を解釈すると『万人为一军』とある。説文では古代では12500人を一軍とみなしたとある。

 因みに日本の自衛隊では、師団が約7000人規模で、その上部組織として方面隊というのがあり、おおむね2個師団を擁しているらしい。このことから考えると、いろんな面で未発達の面がある中で、一軍12500人というのは、かなりの大きさといえる。逆にいうとそれだけ税負担が大きかったことにもなり、いかに収奪が激しかったのではないかと考えられる。


結び
 漢字の歴史は社会の歴史の墓標ともいえる。このように漢字をたどることにより、漢字そのものだけではなく、社会、昔の生活が浮き彫りになってくる。

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