2020年9月2日水曜日

漢字「受」:後に授受に分化する。授受の立場の違いが、漢字の中に歴然と?


最初は授受の区別はなかった。しかし授受の立場の違いが、漢字の中に歴然と?
 今は受と授は受動的な行為と能動的な行為にはっきり分けられているが、太古の昔は両者の区別はなく、受けるも授けるも同じ漢字「受」を使っていたようだ。

 考えてみれば、受けるも授けるも視点を変えれば同じ行為となるので、同じ漢字を使っていたとしても、それほど混乱は生じなかったのかもしれない。




引用:「汉字密码」(P115、唐汉著,学林出版社)
唐漢氏の解釈
 「受」、これは会意文字です。甲骨文と金文の「受」という言葉は、上下に手があり、中央に「船」の象形があります。会意の考えで、ある人が「ボート」を別の人の手に渡したという意味です。

 このイメージは「与える」と「受け取る」の両方を意味するため、古文では、与えることと受け取ることの2つの意味を両方とも「受」で表現していました。

 受の字形の分析から、殷商の時代の船はおそらくただ人を乗せるためだけではなく、航海の前後には、全て人から人への引き継ぎプロセスがあったはずだ。 一人の人の手から他の人への手にという受渡しの過程がある。

 小篆の「受」という単語が変更され、両手はまだ残っていますが、中央の「舟」は見えなくなり、単なる識別記号にすぎません。そのため、楷書では「受」と書かれています。


言葉の進化
 「受」、「説文」は「受、お互いに支払う」と解釈されている。つまり、引き渡しです。

 この元々の意味は後に「授」(与える)と「受」(受け取る)に分化しました。

 たとえば、「孟子•离委上」:「男性と女性に物を与えることは「礼節」の礼ではない」意味することは、男女は物品を授受することで親しく近づくことではない。私の読みが正しければ、ものの授受と礼節の問題まで言及されている。



字統の解釈
 会意文字。「上下の手」と舟に従う。ここで「舟」は「盤」の象形。盤中のものを手に入れて授受することをいう。ここで、舟はものを盛る盤で搬ぶ(はこぶ)などはその形に従う字である。



結び
 唐漢氏は受の媒体が本物の舟であるという論理を展開しているが、白川氏は「舟」は本物の舟ではなく、ものを乗せる{盤」であると解釈している。舟の使い方がもう一つはっきりしないのでなんともいえないが、問題は単純に舟と割り切れない部分がある。

 受け渡しの間に「船が入るか盤であるか」は別として、受け渡しの行為は、単なる行為の違いだけではなく、立場や態度の違いが生じてしまう。ここに礼節の問題が出てくるのだろうか。人間の世界は面白い。




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2020年9月1日火曜日

漢字「行」:漢字に進化論の真髄を見た



 「漢字の進化論の真髄を見た」という多少オーバーな表題だが、漢字と文化、人々の思考の奥深さを感じざるを得ない。

 許慎はこの字を十字路の象形文字としては解釈せず、歩行する動作と解釈している。とすれば、許慎の時代には、すでに「行」を動詞として取り扱っていたと考えられる。

 おそらく当時「歩」という漢字はすでに発明されていたであろうが、十字路という象形文字から、歩くという具体的な行動ではなく、「行く」という抽象的にな行動を発想するという思考の飛躍には驚かされる。


引用:「汉字密码」(P747、唐汉著,学林出版社)
唐漢氏の解釈
 「行」、象形字です。 甲骨文字の形状は縦横交差する道路のようなもので、上下が左右につながっていて、四つ折りの道を顕示しています。

 金文の形状は甲骨と似ています。これは、東西南北を通る大きな交差道路を意味します。

 小篆の変化が多く、字体も綺麗ですが、却って通行出来る大道の様子は出ていません、楷書はこの縁で「行」になっている。


字統の解釈
 象形。十字路の形。交差する大道を言う。説文に「人の歩趨なり」というのは、字を右歩、左歩と合わせて歩行する動作と解したものであるが、甲骨の字形は十字路の象形。



行の発声
 コウ(漢音)、ギョウ(呉音)、アン(唐宋音)、ゴウ(呉音)



結び
 文字の発展を見ると、人間の発想や思考は連続的な発展だけの繰り返しではなく、不連続的な思考という発展が繰り返されてくるものだという思いにぶつかる。

 将にこのことにこそ人間の文化の発展の源泉があるのかもしれない。そしてそのことはダーウインの生物学的な進化論の表れのひとつかも知れないと思うと興味は果てしなく続く。




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