2012年2月27日月曜日

漢字「西」の起源と成立ち:甲骨文字は粗目の籠

漢字 西の卜文は粗目の籠、これと西を結び付ける古代人の発想の豊かさ



 方位の字は全て仮借(字の元の意味と関係ない訓義をもって行われること)で、日が沈むと鳥が巣に帰ることから巣の形象でもって「西」を表現した。これと同様の発想なのは、東で、東の字の甲骨文字は袋状の形をしている。古代人は太陽が昇った時に起床し、すぐに体の下に敷いてあった皮をまいて、肩にかけ、木の実を集めたり狩りに出かけたりした。この為「東」は太陽の昇ってくる方向を示すという説もある。


「西」という字は太陽が西の空に沈むさまを形象した象形文字であると教えられてきた。そしてそれを無条件に信じてきた。   しかし唐漢氏の説からはそれは全くの俗説ということになる。彼によると甲骨文字からは全くその様な形状は考えられないみたいである。それでは検証してみよう。

「西」原義:鳥の巣、水汲み甕
 許慎の説文では「西」は鳥の巣にいる状態、もしくは鳥の巣だという。
 又ある文字学者は甲骨文字の形を対比して、甲骨文字の「西」は水を汲む陶器と考えて、水汲み用の陶器の器という。日が西の山に落ちて、外で採取したり、狩りをしたりした農耕民たちが住むところに帰り水を汲み飯を作るのがその日の最後の大事な仕事である。この為本来「西」の陶器が仮借されて日が落ちる方角を示すようになった。これは唐漢氏も支持する説の様である。

 西は又西洋を言う。元明のころ、今の南海以西を押しなべて西洋と呼んでいた。明末から清の初め以降は「西洋」は太平洋両岸の各国を指すようになった。

 「西」という字に関しては、中国の4大美女に西施という女性がいる。彼女は春秋戦国時代に生き、呉の国の王夫差のもとに送り込まれ、最終的には見事任務を果たし、夫差を骨抜きにし、越王勾践のあだ討ちに絶大な助力をした女性である。女性哀史といえる歴史秘話。

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2012年2月26日日曜日

方位の漢字「東」の起源

  日本では東という字は「木」に太陽が掛って日の出を表しているように見えることから、方位の東を言うといわれている。これは俗説かも知れないが、いかにももっともらしい。しかし木に太陽でなぜ東なのかもう一つしっくりこない。日の出を言うなら元旦の「旦」の方がはるかにすっきりする。
 

では唐漢氏は何と言っているのか。 東の青銅器の銘文中には右のように書かれている。彼はこれは皮の袋を示したものという。
 「東」これは一つの会意文字である。甲骨文字と金文の東は本来古代人が常用していた袋を指している。

 上古の時代は人は物を運ぶ時、まず地上に一枚の獣の皮を広げ、中に一本の木の棒を置き、獣の皮の上に物を置き、獣の皮を木の棒に巻きつけるように括るり両端は皮の紐か藤のつるで結える適当な大きさの袋になる。肩の上に担ぐのに都合がいい。外で野営する時、獣の皮は床に敷くのに実用的である。甲骨文字の「東」はこの種の袋の描写である。 




 古代人は太陽が昇った時に起床し、すぐに体の下に敷いてあった皮をまいて、肩にかけ、木の実を集めたり狩りに出かけたりした。この為「東」は太陽の昇ってくる方向を示す。これは即ち東が一つの象形造字であるということである。表意文字の仮借である。 「東」は「東方」ともいう。

 これは一種の仮借である。即ち本来袋のことを指して言っていた「東」は東方の東になった。 この解釈であれば、「木に朝日が掛る」などというある種の無理なこじつけをしなくてもいいし、よりしっくりした解釈になる。


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