2011年2月6日日曜日

漢字「卯」の起源と由来:出産時に嬰児と胎盤の分離を表現しているという

漢字「卯」の起源と由来:出産時に嬰児と胎盤が分かれるさまを表現しているという
今年は「卯」年
 今年は辛卯(かのとう)である。この十干十二支の考え方は中国から伝わってきたもので、中国においても当然広くいきわたっている。この計算法によると、60年で一巡することになる。日本で還暦と称し、赤いちゃんちゃんこを着て祝う慣わしもここから出ている。

 さてこの、卯と言う字の由来はいかなるものであろうか。「仰ぐ」の「仰」とは似ていて紛らわしいが異なる字で、自ずとその由来も違ってくる。

 「卯」は『史記』や『漢書』によると「茂る」や「冒」(ぼう:おおうの意味)で、草木が地面を蔽うようになった状態を表しているとされる。

 「字統」では、「牲肉を両分する形。卜辞に犠牲を卯(ころ)す意に用いており、それが字の初義である」とあるようで、この解釈が日本では優勢のようである。


甲骨文字 「卯」

 卯(ぼう)は、いけにえの肉を両分する形である。

一方、わが唐漢氏の解釈によると、これは出産時に嬰児と胎盤が分かれるさまを表現しているという。白川氏の解釈とは「分かれる、分離する」という意味では共通する部分がある。

 ただ違うのは、白川氏の解釈の背景には生贄や卜部という宗教的な色彩が非常に色濃いということで、これは氏が「この当時、文字を占有したのは支配者である王が自らの決定を甲骨文字の形で記録に残したものだ」という歴史観に基づいていることからすれば当然のことかも知れない。

 一方の唐漢氏は、この漢字発生の環境を社会的、生活環境に求めている。十二子のそのものが人間の出生の過程をあらわしているのだと主張している。しかし中国の中でもこの考え方は少し奇抜すぎるのではという見方もあり、あまり多くの支持を得ていないように思う。

 しかし、これは選挙ではないので支持が多いほうが正しいということにはならないし、もっと基本的なことは、これはどちらが正しいという問題ではないのではないかと思う。おそらくどちらも正しいのではないだろうか。それを読み解くことが、後世に課せられた課題だと考える。しばらくは混沌とした状態が続くだろう。


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2010年7月3日土曜日

幸と不幸のはざ間で Part II


不幸の象徴を表す「幸」は本当に「幸」なのか

 前回、甲骨文字の解釈では、幸の本義は「手枷、足枷を示している。いわば古代社会で捕虜や奴隷をつなぎ止める一種の刑具であった」と説明した。そして、不幸の象徴を表す「幸」が、「殺されずに幸いにも命を取り留めて生きていることは実際一種の幸運なことである」を表しているという解釈を聞いて、一種の感動すら覚えた。

 これは老子が「禍兮福之所倚、福兮禍之所伏」(禍、福の寄る所、福、禍の伏するところ)という言葉に受け継ぎ発展させた思想ではないのか。老子は春秋時代の人といわれている。紀元前500年前後の人である。そしてそれとほぼ同様の時期にギリシャでヘラクレイトスが「万物は流転する」という弁証法的思想を説いている。

 甲骨文字ができたのは、老子やヘラクレイトスより1000年も前のことである。東洋哲学恐るべし。

 中国人はこのような太古の昔から、このような考え方をしていたのかと改めて感心をしている。この思想はどこか現状を達観した、ある意味では突き放した物事の捉え方、そのくせ決して現状を肯定しない考え方をしているように思う。

 日本人ならどのように捉えるだろうか。果たして「手かせ足かせを幸い」と認識できるだろうか。日本人は諦観の上に立った「現状肯定」に早々と行ってしまうような気がする。

 この考え方の違いは一体どこから出てくるのだろう。これを探ることは永遠のテーマのような気がする。


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