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2023年9月23日土曜日

漢字 合の原意は「合意」!この「合」の中には「性交」の意味も含まれるのか


漢字「合」にみる殷商の時代の性行為自体が合意であったのか?

 漢字「合」の原義は「性交」であるという説と、「合意」であるという説がある。
 このブログの基調となる「漢字の暗号」の著者である唐漢氏は漢字「合」は性交そのものだという。ところが字統では、漢字「合」は契約の成立即ち合意を意味するという。
 唐漢氏によれば、漢字「合」の原義は性交である。それから拡張され「合意」の意味が派生したと考えられる。

 ところが字統によると、合意が原義で性交という意味は出てきていない。

 現代の男女の問題で、裁判などで問題になる「性交」に合意があったかどうか等は、甲骨文字の時代には極めてややこしい問題になることになる。つまり、性交そのものが「合」ということであれば、合意という行為はどう解釈すればいいのだろう。
 甲骨文字の時代には、性交と合意とは一体であったのかも知れない。それが現代では、性行為は合意という行為と分化したことになる。
 こんな議論は「馬鹿馬鹿しい」と一笑に付されそうだ。




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「合」の漢字データ

漢字の読み
  • 音読み   ゴウ、ガッ
  • 訓読み   あ(う)

意味
  • ぴったりはまる。当てはまる。ごう。
  •  
  • 一緒になる
  •  
  • 一致する

同じ部首を持つ漢字     合、拾、閤
漢字「合」を持つ熟語    合意、合唱、合議、交合


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漢字「合」成立ちと由来

引用:「汉字密码」(P517、唐汉著,学林出版社)
上部の「A]のような図形は、万国共通の男性の性器を表す
下部の容器に見える図形は女性の性器を表している

唐漢氏の解釈

  「合」これは会意文字である。甲骨文字、金文、小篆で「合」の字の示すがごとく、構造的には同じで、上部の「A」の形は男性の生殖器の省略形であり、下部の容器のように見える図形は女性生殖器▽の異形である。両形の意味が合わさって、男女の性のつながりを表し、性交、合歓、性的関係の語の中の合の意味そのものである。

「合」の字は両性の性関係を表す場合を除いて、一般事物の符合、集合、会合など物体間のくっつき合うことを表すように拡張されて用いられる。

 後世には「合」は古代の容量単位で10勺で1合、10合で1升を表し、1合は1升の10分の1である。秦漢の時代には、1合は20CCだったようだ。


漢字「合」の字統(P317)の解釈

  祈祷を収める器である、サイの上に蓋をしている形である。上の図形はΛの下に横棒を加えたもので、集の意味である。意味は衆口を集めるを「合」とする。字は祝祷の器に蓋をする形で、約定が成り、これを載書として祈祷の器に収めることで、契約のなることを合という。


漢字「合」の漢字源の解釈

 会意文字:上部の△(かぶせる)+□(あな)で、穴に蓋を被せて、ぴたりと合わせることを示す。


漢字「合」の変遷の史観

漢字・合は甲骨文字から金文、小篆、楷書に至るまで、その形状は継承され、いささかの変化も出ていない。1000年以上も人々の間で用いられ、その変化がないというのは逆に驚くべきことではないか。その理由は、変化をする必要がなかった。最初から一貫して合理的であったということなのかもしれない。

 ここに至って、この字が、性交という意味も合意という意味もこの字は的確に表現しているのかも知れない。


まとめ

 字統の解釈は、確かに良く分かるが、文字というものは、このように抽象的な概念が先行して生まれるものかは分からない。とはいえ唐漢氏の解釈もあまりに突飛なきもするが、一方で、ダビンチコードに出てくる聖杯の説明と合致している部分もあり面白い。
 念のために付け加えておくが、ここで述べたことは、今現在様々な局面で話題になっている

 「性交は合意の上になされるものだ」「性交はそもそも合意されたものだ」等との卑怯な言い訳を弁護するものではない
ことは声を大にして言っておかねばならない。
  


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2011年11月28日月曜日

漢字の女シリーズ 「毎」の原義は母の髪飾り

漢字「毎」の原義は母の髪飾り
「毎」の原義は母の髪飾り
歳をとって髪も長く盛んなること
 「毎」は指事語である(指事語とは六書の一つで、抽象的概念を表すため、符号を組み合わせる造字法)。甲骨文字では母の上に横線を加えている。これは女性の髪飾りを表示したものだ。

 上古社会では、女性は髪を切らず、髪の毛は年齢とともに長く伸び、年齢が高くなればなるほど髪の毛は長く、なかでも老年の女性は、真っ白な髪を通常、頭の上で整えたのが特徴である。「毎」の字はこの一つの特徴をとらえたものである。

金文と小篆の「毎」は母の変化と同じである。

  許慎は《説文》で「毎」を盛んになることと解釈している。実際「毎」の字は髪の毛の盛なることをいい、年齢のたけたこと、また子孫の多いことをいう。くさの繁茂することとは少しの関係もない。毎の字の造字の本義は、氏族社会の中で、子孫が多く人々の尊敬を受ける年配の女性のことを指す。
 

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2010年6月13日日曜日

貢物になった女性たち

昨日の記事に「西施」のことを書き、このような話は中国に5万とあるとしたが、実際に5万あるのかどうかは知らない。ただかなりの数になるのは事実のようだ。
この西施は当時の越王勾践が夫差との戦いに敗れ、大臣の范蠡の諌めに従い、夫差の奴婢となった時、やはり范蠡の助言に従い、夫差に貢物として差し出されたといわれている。
これが、かの有名な「呉越同舟」や「臥薪嘗胆」などの熟語を生んだ歴史の舞台である。
また日本では後醍醐天皇が隠岐に流される際、奪還を図った児島高徳が残したと言われる歌にも引用されたことからも年配の人には、よく知られている。
『天勾践を空しうする莫れ。時に范蠡無きにしも非ず』
   天は勾践を見捨てなかったように、貴方をお見捨てにはならないでしょう。
いざというときには范蠡というような人物が出てこないとも限りませんからという意味である。

さて西施の他に、下の女性たちも数奇な運命を辿っている。
  • 王昭君  前漢の武帝のとき匈奴の頭目に差し出された女性
  • 妹喜   バッキという。古代の「夏」の桀王に彼が滅ぼした有施氏の国から貢物として差し出された女性。桀王は妹喜の色香に狂い、「酒池肉林」と称せられる、奢侈淫乱を旨とする遊びを行った。このため夏朝は急速に零落してしまった
  • 姐己  ダッキという。古代「殷」の纣王の下に、有蘇氏の国から献上された「姐己」は先のバッキに輪を掛けたような悪女であった。このため「長夜の飲」といわれる常軌を逸する狂態が120日にもかけて繰り広げられたという。これを戒めたものは「ホウラクの刑」といわれる、がんがんに焚かれた炭火の上に渡された油を塗った銅の棒の上を渡らされる刑に科せられ、燃え盛る炭火に落下して命を落とした人間を纣王と一緒に鑑賞して楽しんだという。
この他有名なところでは、呂布や玄宗皇帝などが、女性が元で命を落としたり、政権を追われたりしている。これらの女性たちは、悪女の代表のように言われるが、本当は犠牲者の一人ではあるのだろう。ただ、彼らは単なる犠牲者ではなく、ある意味積極的に係わっている面もあり、歴史的評価では難しい局面に立たされてしまうのは仕方がないことかもしれない。

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