2023年10月19日木曜日

漢字「聞と聴」の成り立ちと由来:いずれも「きく」動作を表すが、まったく異なる動作ではないだろうか?


漢字「聞」と「聴」は、古代文字を見る限り、同じ動作を表すとは考え難い


漢字「聞」と「聴」はいずれも「きく」という動作を表すが、古代文字を見る限り、まったく異なる所作でなかった




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漢字「聞と聴」の今

漢字「聞と聴」の解体新書

 
漢字「聞と聴」の楷書で、それぞれ左が「聞」、右が「聴」の常用漢字です。
 いずれも主に「音を耳からきく」ことに使われますが、語彙には微妙な違いがあります。
 これから、原点に戻ってその違いに迫ってみることとします。 
聞・楷書 聴・楷書



 



 

「聞と聴」の漢字データ

漢字「聞」の読み
  • 音読み   ブン、モン
  • 訓読み   きく、きこ(える)

意味
  • 隔たりを通して聞こえる
  •  
  • きく、きいて関係する
  •  
  • きこえる

同じ部首を持つ漢字       𥹢、問
漢字「聞と聴」を持つ熟語    聞、多聞、風聞、見聞
漢字「聴」の読み
  • 音読み  チョウ
  • 訓読み  きく

意味
  • きく。耳を向けてきく。
  •  
  • 聞こうとする意志を持ってきく
  •  
  • きく、したがう

同じ部首を持つ漢字      廰、聽、聖
漢字「聞と聴」を持つ熟語   聴、聴衆、聴講




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漢字「聞と聴」成立ちと由来

引用:「汉字密码」(Page、唐汉著,学林出版社)

 「聞」は会意文字です。甲骨文の形は跪く人が片手で耳を覆いまさに耳を傾けて聞く様子です。人型の上部は特に突き出した耳たぶを示しています。併せて声音の3つの道の横線を示していますこのことから「聞」の本義は傾聴することです。金文は耳を右辺に移しているが、構造は甲骨文を継承しています。小篆は別の途を立てて、改めて字を作って、耳と門の発声ととから会意兼形声文字になっています。まるで一つの耳が貼り付けられて門の中間で傾聴しているかのようです。楷書ではこの縁で「聞」と書きます。簡体化の規則に従い、簡体文字は闻と書きます。

 現代中国語では、「听」という漢字があります。これは「聴」の簡体字で、やはり聞くと解釈されますが、「闻」と「聴・听」の使用には微妙な違いがあります。「听」は動作アクションであり、「闻」は听くことの結果であり、听の結果や听いて見たことを意味します。

漢字「聞」の字統の解釈

〔説文〕に「聲を知るなり」とあり、「往くを聽といひ、来るを聞といふ」とするが、聽(聴)の偏の部分が卜文の聞の初形にあたる。聖 (聖)の初形も、 文はそのに、祝禱の器であるDをそえている形「さい」で、祝して神の啓示を待ち、それを聞きうるもの聖といった。それで聞・聖・聴の字形は、もと一系に属するものである。


漢字「聴」の字統の解釈

旧字は聽に作り、偏は耳と人の挺立する形「てい」、卜文の聞はその形に作る。神の声を聞く人の意で、その旁に祝禱の器のを「サイ」をそえると、聖となる字である。旁は呪飾を施した目と心とに従い、もと目の呪力をいう字である。


この引用枠内は字統からのものではありません

「听」は「聽」の簡体字です。 甲骨の碑文にある「听」という言葉は、「左の耳、右の口」を意味する会意文字です。 金文の最初の部分は甲骨文に倣い、単に「口」を「耳」の形の中に放置しているだけですが、2番目の「聞く」の部分はさらに複雑で、上部は「耳口」の形をしており、古代中国語の「生」と「古」が追加され、過去や起こったことに耳を傾けることを意味します。 


漢字「聞と聴」の変遷の史観

文字学上の解釈

  聞の字形は、戦国期に至ってはじめてみえるもので、字を門声とするものである。 字形字義の推移とともに、その声にもまた 変化を生じたものと思われる。 

まとめ

 漢字「聞」の甲骨文字は象形文字であるが、実に巧みに「聞く」という行動を描写しており、古代人の観察力と表現力に改めて感じ入る。古代文字を分析すると、聞・聖・聴が同一の言葉で、同じ語源を持っているとは驚きだ。また聞くという字形が、戦国時代に至って初めて見えると白川博士はいうが、この字形が甲骨、金文、小篆と時代が移るにつれ、実に革命的な変化を遂げている。この大きな変化の背景には何があるのか、さらなる追求が求められる。
    


「漢字考古学の道」のホームページに戻ります。   

2023年10月8日日曜日

漢字「法」の由来の意味するもの:古代の法体系の確立と漢字・法の変遷


漢字「法」の変遷の意味するもの:背景に古代の法体系の確立の歴史

  本稿は、2021年5月11日に上載したものに加筆し、Reviceしたものである。

 ここ数年、憲法を変えよという意見が高まり、日増しに議論も高まっているように見える。

 そこで今回は、前回の『漢字「法」の変遷の意味するもの:背景に古代の法体系の確立の歴史』の議論に再度全面的に筆を加え、体裁も整えた。


導入

前書き

 漢字「法」はどのようにして生まれ、どのように発展してきたかを取り上げる。

目次




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漢字「法」の今

法・楷書
 そもそも今日にも通じる「法」という概念が生まれたのは、何時頃のことであろう。歴史を少しひも解いてみよう

 中国では前403年を境に春秋時代と戦国時代突入する。
 春秋時代には200以上の諸侯国が、戦国時代には7つの強国(韓・魏・趙・斉・燕・楚・秦)といくつかの小国(魯・鄭・衛・梁など)たがいに覇を争った。
 この過程で、富国強兵を目指し、君主権力を強化して中央集権化を進める手段として、厳格に運用できる成文化された「法」が必要とされた。
 つまり、この頃になって、中国では「法」という概念が、明確になり、やがて国家のあり方を規定するものとなっていく。
 諸子百家といわれる論客が、中原を中心として一帯を歩き回ったのもこの頃であった。この戦国時代は、混沌とした時代であったが、その反面、文明のるつぼの如く、かき回されやがて全国統一への機運を生み出してくことになった。


漢字「法」の解体新書

「法」・古文
「法」・金文
「法」・小篆
 ここに漢字「法」の甲骨文字、金文、小篆の字体を掲げたが、これを一見して感じるのは、甲骨文字から小篆に時代が下るにつけ、より複雑な字体へと変化していることだ。
 一般的には、時代が下るにつれ、文字は単純化され、記号化されるはずなのに、この「法」に限っては、まったく逆の進化を辿っている。これは何を意味しているのだろうか。

 これは「法」という漢字の宿命のようなものではなかったか。初期の頃は、税法は土地の区分などに適応されるにすぎなかったものが、秦帝国にもなると、法体系も複雑になっていったし、臣下に対する威圧のために余計に複雑にする必要があったのではないだろうか。


 

「法」の漢字データ

漢字の読み
  「日本漢字能力検定協会 漢字ペディア」参照 
 
  • 音読み  ホウ・ ハッ[高]・ ホッ[高]
  • 訓読み  のり・ のっとる

意味
  • のり 
     きまり。おきて。「法律」「憲法」
     手本。基準。「法帖(ホウジョウ)」
     しきたり。礼儀。「法式」「作法」
  • てだて。やりかた。「方法」「兵法」
  • 仏の教え。仏の道。「法会」「仏法」
  • フラン。スイスなどの貨幣単位。
同じ部首を持つ漢字     法
漢字「法」を持つ熟語    法、法事、憲法、法則、法面


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漢字「法」成立ちと由来

引用:「汉字密码」(Page、唐汉著,学林出版社)

唐漢氏の解釈

 "法"の繁体字は"水+廌(鹿と馬に似た珍獣)+去”( 池の中の島に廌を押し込め外に出られないようにした様・・漢字源より)と書く。  「説文解字」はこの「サンズイ+廌+去」の字を解釈して、廌を解き放すことだとした。 牛に似て、角が一本で、古代の人は訴訟を決定し、正直でないものに感じさせる 
 許慎が見るところによれば(多くの古人も含め)「廌+去」の字の造りの意味は、歴史的伝説から出ている。
 春秋の時期、斉の庄公はある壬里の臣下が、中里の臣子を相手取って3年の訴訟を起こした。 罪状が判断付きにくかったために、斉の庄公は直ちに「廌」を、即ち神兽獬豸を呼んで彼ら二人の訴状を読ませた。結果壬里国の訴状を読み終わっても獬豸はなんら動きをしなかったが、一方中里の訴状の半分も読み終わらぬうち、獬豸は角で彼を翻した。こうして斉の庄公は壬里国の勝訴の判決を下した。
 この種の角で罪があるかないかを断じる方法は、古人をして会意の方法を用いて、サンズイ+廌+去の字の構造の中に割り込ませることになった。

 実際上金文中の法の字は古代の現実の生活の会意の字から来ている。右辺は一頭の水牛の象形で、左辺の上部は「大」(人を表す)+口(地の穴)の構成の「去」の字である。下部は即ち水の象形の描写である。三つの形の会意は、人が水牛の水中遊泳の方法を見習うことが出来ることを示している。あるものはいわゆる神獣の整理であると説く。小篆の法の字は金文を承継しているが、ただ書の法の字は廌の形を省いて、「法」と書く。 

漢字「法」の字統の解釈

 会意 正字は灋に作り、廌と去と水とに従う。廌は神判に用いる神羊で、獬廌とよばれるもの。
灋の字形は、その敗訴者と、破棄さ れた盟誓とを、訴者の提供した神羊とともに、水に投棄することを示す字で、金文には、これを大き な獣皮に包んで投棄することを示すものがある。その獣皮は鴟夷とよばれるもので、馬を空抜きにしたような大きなものを用いたのであろう。敗訴者は神 を欺き、神を穢したものとして、わが国の大祓のような法式によって、八重潮の潮のかなたに遠く流さ れる。のちその神羊の形である鷹を省略したものが、法である。


漢字「法」の漢字源の解釈

 会意。「水+(シカと馬に似た珍しい獣)+去(ひっこめる)」で、池の中の島に珍獣をおしこめて、外に出られないようにしたさま。珍獣はそのわくの中では自由だが、そのわく外には出られない。ひろくそのような、生活にはめられたわくをいう。その語尾がmに転じたのが 範(biăm)で、これもわくのこと。▽促音語尾のptに転じた 場合はホッ・ハッと読む。


漢字「法」の変遷の史観

文字学上の解釈

春秋戦国時代に活躍した「諸子百家」
  儒家・道家・陰陽家・法家・名家・墨家・縦横家・雑家・農家の九家 (「漢書」 芸文志 ) に、さらに兵家を加えた十家を諸子の学派と考える。これらの内で、 後世にまで影響を及ぼしたものは、儒家・法家の二家と云われている。
 

法家の体系

  儒家の徳により人民を統治するのではなく、成文法によって厳格な規定を定め、法と権力によって国家を治めようと考えたのが法家の人々である。国を治めるには公正で厳格な法の執行こそが最も必要なこととされた。秦の商鞅がよく知られている。理論化したのは性悪説にたった荀子とその弟子の韓非であった。
 法家の思想は、李斯が始皇帝に信任されて秦の統一国家建設の理念とされ、秦の国内では大きな力を奮ったが、秦の没落後は儒家の思想にその立場を奪われることとなる。理論体系としては、儒家の方が包括的で、全面的であったといえるのではないだろうか。




儒家の体系
  儒家は孔子を始祖とする思想潮流で、朝鮮、日本、東南アジアを含め、広く影響を及ぼし、一時は体制に組み入れられ理論的主柱ともなった。しかし、この思想は法体系というより、君子論の色彩が強く、「道」を説いた。



 
「法」の字の本義
 法の本義は「真似る・模倣」することである。「商君の書・更法」の如く、「治世不一道,便国不必法古。」 この事は国家を治めるには一つの道だけではない。ただ国家に有利にするには、必ずしも古きを模倣することではないという意味である。法は模倣の意味。また拡張され、「手段・方法」を表す。また更に拡張され、「見本。標準」の意味にも用いられる。 

まとめ

  

 春秋戦国時代が終わると始皇帝による国家統一が成し遂げられ、焚書坑儒、度量衡の統一、文字の統制など法の力が強まった。これの精神的背景となったのが、法家の思想である。韓非、商鞅、李斯などの思想家や政治家がその担い手となった。逆に言えば「法」という漢字は、それだけの歴史的背景を持って生まれたということができる。

  




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