2019年1月14日月曜日

漢字「鮮」の由来:朝鮮の「鮮」はどこから来たのか


朝鮮:誇り高き朝鮮民族、後に鮮卑族として北東中国を制した民族のロマンの舞台の地
 「朝鮮」という名前がこの世に登場したのは、紀元前4世紀頃からあったことが確認され、『史記』や『管子』に「朝鮮」という地名に関する記述がある。その由来としての説はいくつかあり、楽浪朝鮮からとか、中国人が朝光鮮麗の地と呼んだためだとか東方(=朝)の鮮卑に由来すると諸説があるが、結論に至っていない。

 考古学的に証明できるのは、朝鮮の最初の国家で建国者から名乗って衛満朝鮮といわれている。その活動拠点の一つには朝鮮半島の中部に位置した楽浪郡で、この地は海に接していることからも、また後に鮮卑族として、勢力を保持したことから見て、漁にも長けていた事から、このような辞が生まれたと言えないだろうか。

 しかし、そもそも漢字「鮮」は魚のように新鮮だということを、魚と羊肉を使って表したものだと言えましょう。

引用:「汉字密码」(P5、唐汉著,学林出版社)

「鮮」の字の成り立ち」
 会意文字です。

 マトンは特別な美味しさと高いカロリーを持っており、そしてそれが特に冬の空腹時には、それは全身をポカポカと暖めます。したがって、中国の人々の心の中では、マトンと魚は共に味覚と嗅覚を刺激する特別な食べ物です。魚と羊でできた「新鮮な」という言葉は、古代の先祖の子羊に対する愛着を本当に反映させたものになっています。

 上の図に示すように、金文では「鮮」では、羊は上、魚は下、上下の結びついた構造は小篆の「鮮」という単語が左右の構造に受け継がれ、変更されています。楷書は小篆を受け継ぎ、左右合体した文字となっている。

 三百三百年前、黄河の真ん中に繁栄した王朝の殷商王朝には、亀の甲をもっぱら使用した卜辞を常々刻みつけに「羊10匹と牛2匹を用いた」という卜辞が刻まれていました。意味は祖先の神霊を拝みお祭りする時、10匹の羊と2匹の牛でお祭りをしたということで、古代の祖先は、祖先に最高で最も美味しく新鮮な食べ物を神霊の面前にお供えをし、彼らがこれらのお祭りしたことで、最高の主権と優先権を享受できるものと信じていました。このことは私たちの先祖の目から見ると、羊の肉は確かに一種の「新鮮で」美味しい食べ物と考えていたことを証明できるものです。


漢字源
会意文字。「魚+羊」で、生肉の意味を表すとしている。
この解釈は。唐漢氏ともほぼ同じで、多分魚が脚が速い事から、新鮮さを魚という文字で表したものだろうと推察される。



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2019年1月11日金曜日

漢字「寒」の成り立ちと由来:古人の寒い時の過ごし方は漢字に書いてあった。漢字そのものが寒そう!


漢字「寒」の起源と由来:古人の寒い時の生活ぶりが分かる。漢字そのものが寒そう!
 大昔、人々は寒い冬をどう過ごしていたか?
 家の中で、乾草に包まって寝る。電気も、ガスもない中では、確かにこれしかないであろう。賢いと言うか、そのヒントは漢字に隠されていた!!漢字の中に書いてあった。今解き明かす。


引用:「汉字密码」(P275、唐汉著,学林出版社)
「寒」の字の成り立ち」
 「寒」これは非常に絵画効果のある会意字である。金文の寒はウ冠と乾草を表す記号と冷気を示す記号など4つの記号が合わさってできている。その中のウ冠は家屋をさす。

記号「」は暖を取るため寝るための乾し草をさす。
記号 「」は古文中の氷の字で、人は草の中に寝る意味である。全体の字形は外は氷と雪で、人は屋内にあって暖を取り、寒冷であることを示している。

 小篆の字形は毛筆で形を整えた特徴を持っている。 造字の構成要件は一つも欠けていない。


「寒」はどのように使われてきたか
 寒の本義は寒冷を指す。寒風、寒流、天寒地凍(天は寒く、地は凍る)などのようにここでの寒はすべて本義に基づくものだ。冷たいと人は震える。これにより戦慄は恐れる意味で、肝を冷やすなどがある。このほか寒は貧困の意味もある。贫寒、寒酸、寒门等。寒喧(寒いと暖かい)は元々冬季と夏季を指していたが、「一寒一暄」(寒い時と暖かいとき)は一年を指す代わりに用いる。以来拡張されて、天気や寒暖が入れ替わるようなことに用いるようになった。

「漢字源」の解釈
 会意文字:
 「塞ぐの字の上部+「冫」(氷)で屋根(「宀」)の下にレンガや石を積み、手で穴をふさいで氷の冷たさを防ぐさまを示す。」としている。これだから漢字学は楽しい。いろいろの解釈が、ある意味自由にできる。


類語の比較
「冷」:澄み切ってつめたい。「涼」:すがすがしくすずしい。 「凍」:こおるようにつめたい。



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