2019年1月10日木曜日

「流水」というバスのダイヤ:漢字「流」の成り立ち


漢字「流」の起源と由来
 昔中国の田舎の都市を旅行したとき、バスの運行ダイヤに「流水」と書かれてあった。意味するところは、まさに流れのままにということで、客が集まり次第、出発するというもので、いつ出発し、いつ到着するかもわからないというものであった。バスは、瀋陽発、大連行きだったように思う。何という牧歌的なのんびりしたものだった。実際にはそのようにのんびりなどしてなく、ガッツリ走ったような気がする。

引用:「汉字密码」(P297、唐汉著,学林出版社)

「流」の字の成り立ち」
 「流」は会意文字である。左辺は水を表し、右辺はもともと胎児が羊水と一緒に生れ出ることから来ている。ここで用いられたのは、川の水が流れ動くことを表示したことから来ている。金文の流の左半分は水、右半分は水の中に一個の「文」と言う記号が付け加えられて、ないし羊水の流出を表示し、下辺の流動感が増強されている。 



「流」の使い方

 現代漢語中で「流行。流毒、流弊、流芳等の言葉は、水の様に物体が移動することをいい、「電流、暖流、気流」 など等しくここから来ている。「流」は「流派」で品級の意味に用いたり、下流とか四人組の流れの様に用いたりする。 

「漢字源」の解釈

 赤子が頭から突き出て生まれる様。会意文字で出産の際羊水の名が出るさまを表すとしている。唐漢氏の解釈とほぼ同じである。 

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2019年1月8日火曜日

漢字「雪」の成り立ち:
太古の昔、黄河の辺りは亜熱帯。そこに住む人間は「雪」をどう考えたか

「雪」を初めて見た時の驚きは如何ばかりだったのだろう
引用:「汉字密码」(P269、唐汉著,学林出版社)
 太古の昔、殷という国が栄えていた頃、黄河の辺りは亜熱帯。そこに住む人間は「雪」をどう考えたか?。当時、象やや水牛が闊歩していたという。雪など見たことのない人間が、雪をどのよう考え、どう見たかが、甲骨文字に残っている。

 彼らは「雪」を、雨や水を掃く箒と考えていたらしい。
 古人にとっては、とんでもない出来事だったのではないだろうか。しかし、この古人の「雨を掃く箒」という概念がもう一つの呑み込めない。

 我々にとっては、「南の島に雪が降る」という加東大介、伴淳三郎の映画のほうがピンとくる。

 甲骨文字の成り立ちは、「字の上部は雨の省略形だ。下部は羽の字で傍の小点は上から下に落下する屑である。」
 まさに雪片のデザインのようだ。小篆の雪の字は下部が変じて、彗の字になっている。彗の字は古文字では常に箒を表している。大概、雪は一種の水の箒だと解釈されている。雪と彗からはあたかも雪を掃くものなりと解釈している。

 許慎は説文解字のなかで、雪を解釈して、氷雨としている。段玉裁は許慎に対し、雪、緩やかなりと解釈している。水が寒気に遭遇して固まり、ゆるゆると下がるなり。雪は本来風花雪月の中の一景だ。まして「瑞雪は豊年の前兆」なり喜ばしいこというまでもない。


 中国の商代(今から3500年から5000年前)の気候は現代と比べると温暖なことが多く、商の都のあった安陽(現在の河南省)の殷墟の遺跡から発掘された動物の骨格中、水牛などの亜熱帯動物もある。特別なのは象で、典型的な亜熱帯動物で、今では雲南省のごく一部のみに生息するだけである。
 単に殷墟の考古の中の象の化石骨格だけではなく、考古卜字中に商王が狩をして、象をしとめた記録までもある。ということから、商代の安陽は亜熱帯気候に属していて、雪が降ることは非常に少なかった。甲骨文の中では、雪の字は極めてわずかしか出てこない。

 筆者もこの地に一ヶ月ほど滞在したことがあるが、寒暖の差は感じたものの、とても亜熱帯気候とはいいがたいものを感じた。しかし、数千年前には、この地に象が生息していたとは驚きだ。
 因みに安陽市の平均気温は13.6度、地積は平地で、緯度は東京とほぼ同じである。西には太行山脈がそびえ、そこから流れる漳河(しょうが、海河水系衛河の支流)が河北省邯鄲市との境を流れる。

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