2019年1月8日火曜日

漢字「雪」の成り立ち:
太古の昔、黄河の辺りは亜熱帯。そこに住む人間は「雪」をどう考えたか

「雪」を初めて見た時の驚きは如何ばかりだったのだろう
引用:「汉字密码」(P269、唐汉著,学林出版社)
 太古の昔、殷という国が栄えていた頃、黄河の辺りは亜熱帯。そこに住む人間は「雪」をどう考えたか?。当時、象やや水牛が闊歩していたという。雪など見たことのない人間が、雪をどのよう考え、どう見たかが、甲骨文字に残っている。

 彼らは「雪」を、雨や水を掃く箒と考えていたらしい。
 古人にとっては、とんでもない出来事だったのではないだろうか。しかし、この古人の「雨を掃く箒」という概念がもう一つの呑み込めない。

 我々にとっては、「南の島に雪が降る」という加東大介、伴淳三郎の映画のほうがピンとくる。

 甲骨文字の成り立ちは、「字の上部は雨の省略形だ。下部は羽の字で傍の小点は上から下に落下する屑である。」
 まさに雪片のデザインのようだ。小篆の雪の字は下部が変じて、彗の字になっている。彗の字は古文字では常に箒を表している。大概、雪は一種の水の箒だと解釈されている。雪と彗からはあたかも雪を掃くものなりと解釈している。

 許慎は説文解字のなかで、雪を解釈して、氷雨としている。段玉裁は許慎に対し、雪、緩やかなりと解釈している。水が寒気に遭遇して固まり、ゆるゆると下がるなり。雪は本来風花雪月の中の一景だ。まして「瑞雪は豊年の前兆」なり喜ばしいこというまでもない。


 中国の商代(今から3500年から5000年前)の気候は現代と比べると温暖なことが多く、商の都のあった安陽(現在の河南省)の殷墟の遺跡から発掘された動物の骨格中、水牛などの亜熱帯動物もある。特別なのは象で、典型的な亜熱帯動物で、今では雲南省のごく一部のみに生息するだけである。
 単に殷墟の考古の中の象の化石骨格だけではなく、考古卜字中に商王が狩をして、象をしとめた記録までもある。ということから、商代の安陽は亜熱帯気候に属していて、雪が降ることは非常に少なかった。甲骨文の中では、雪の字は極めてわずかしか出てこない。

 筆者もこの地に一ヶ月ほど滞在したことがあるが、寒暖の差は感じたものの、とても亜熱帯気候とはいいがたいものを感じた。しかし、数千年前には、この地に象が生息していたとは驚きだ。
 因みに安陽市の平均気温は13.6度、地積は平地で、緯度は東京とほぼ同じである。西には太行山脈がそびえ、そこから流れる漳河(しょうが、海河水系衛河の支流)が河北省邯鄲市との境を流れる。

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漢字「責」の成り立ち:甲骨の時代も責任は結局「金」の問題だったのか


漢字「責」の下部は「貝」(当時の金)だ。何を意味する?

引用:「汉字密码」(P790、唐汉著,学林出版社)

「責」の字の成り立ち」
 責は会意文字である。甲骨文字と金文の「責」はの構造はよく似ている。下部は両者とも「貝」であるし、上部は「刺す」の字である。原本はいばらの上のとげの描写である。ここでは針で突き通すことを表している。二つの形は串を用いて貝を朋となす。そして蓄積をあらわし、儲けるの意味もある。小篆の責は金文を受け継ぎ、楷書は隷書化の過程で上部の束が変形して責になった。

「責」の原義は貯蓄である
 責の本義は蓄積である。この言葉は後に作られた積の字に受け継がれている。責すなわちその意味が拡張され、すなわち蓄積、求めてとるという意味になった。


編集後記
 日本で責任の取り方として、「責任は俺がとる。腹を切ればいいだろう」というのがある。この責任の取り方は、どうも日本だけのようである。いかにも潔いようであるが、考えようによっては、責任は個人でとれるほど軽いものではない。たった一人の腹きりで何百人という将兵の命の責任をどうして取れるというのだろう。
 この言葉は昔から散々聞かされてきた。先の大戦の「インパール作戦」でも、こうして叫んだ将軍もいたようであるし、つい先の国会で、「責任は私がとります」といった首相がいたようであるが、私には、これらの言動は「責任逃れの最たるもの」のように思えてしまう。考え違いもいいところだ。
 トップの命など庶民にとっては何の役にも立たないことこの上ない。このことは漢字の「責」からも窺い知ることができる。



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