2016年12月24日土曜日

漢字「矢」の成立ちを「甲骨文字」に探る:鏃、矢竹、羽、括まで含めた象形字。


漢字「矢」の起源と由来
引用:「汉字密码」(P568、唐汉著,学林出版社)

 我々日本人には「矢」という名称が一般的だし、なじみも深い。しかし、ここに引用した解説では、中国では「矢」という名称より「箭」という名称が一般的であるかのような説明がある。実際のところどうなのだろう。もう少し当たってみるが、今日のところはこの説明を一先ず受け入れて、究明は少しの間ペンディングとしておきたい。


出典「汉字密码」、学林出版社
 「矢」は即ち日常的にいうところの「箭」である。弾を射る弓を弾弓という。弓と此れをいる矢は併称して弓矢という。甲骨文字と金文の「矢」の字は上端は鋭利な箭頭で、中間は箭杆、下端は鳥の羽を結わえた箭尾である。矢の字は即ち「箭」の象形字である。小篆は下部の先の羽がいわば変化して、二股になった。楷書はこの関係からついに象形の意味を失っている。
 矢は「镞、杆、羽、括」の4つの部分の構成品から矢の前端で刃のある三角形の殺傷作用を持つ。商代には既に銅製の鏃が盛んになっていた。但し大量の骨、角、石も使われていた。矢のさおの部分は竹が主で、矢竹が製作に多用されていた。矢の尾の部分の矢の羽は飛行状態を安定させる作用を持っている。屋の羽は大鷲の首の部分がよく、鷹の羽はその次で、鴨や梟の羽は次の次だ。雁やガチョウの矢は風があると斜めに蛇行し、質がよくない。矢の底部のくくりの部分は弦を結んで用い、商代には矢の底部に多くはノッチを入れていた。
 矢の字は古代では誓うという意味に用いられた。この事は古代に約束をする時、矢折って互いに攻撃をしない意思を示したことと関係があるかもしれない。
 《左传》の中に「杀而埋之马矢」の中の「马矢」の一語は、「馬屎」のことだ。「馬矢」と「馬屎」とは矢と屎は同音であることによる。古人は文章中に「屎」の語があると品を落とすので「矢」を使ったようだ。この用字法は文字学上「避俗性的同音假借」と呼ばれる。
 「矢」の字は部首字で、漢字中「矢」が組成上あると、大概「箭」と関係がある。


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漢字「至」の成立ちを「甲骨文字」に探る:矢が地面に到達する「そのまんま」の字形を表す


漢字「至」の起源と由来
引用:「汉字密码」(P574、唐汉著,学林出版社)


 「至」これは象形文字である。甲骨文字の「至」の字の上部は逆さに書かれた矢で、頭を下向けにした矢である。下部の横一は地面を表示している。全部の字形は射出された矢が地上に落ちて達した様である。到達した意味である。小篆の字形は形を整えたものである。但しまだこの時点では古い文字の特徴は保留されている。
「至」は《玉篇》は「至、到」なりと解釈している。「至今、至此、自始至终、朝发夕至」の言葉の中の「至」の通りである。
成語「至死不变" 、 "至死不悟」の中の2つの「至」の前者は、「死に至るも変わらず」後者は、「死に至るも尚悟らない」ことを意味している。「弓箭落地」も矢が終点に到達したことを表示している。いわゆる至の字は「終点、最、極」の意味に拡張されている。
「至理名言、 至高无上、至亲好友」の「至」は皆極、最を表し、古代の孔子に対する尊称で「至圣先师」の中の至は、道徳的に最も高尚であることの形容である。
 24節の「夏至、冬至」両者とも節気を表している。「夏至」はこの一日が北半球で昼間がもっとも長い日であるし、夜が最も短く、夏至はその正反対を表す。夏至と冬至の中の「至」の字は、均しく太陽運行が南北回帰線上にいて、夜昼の長短が極点に達する時である。
 「至」は漢語中、連句を作り、一つのことから別のことに到達する程度と範囲、結果を表示する。「至于、竟至于、以至于」など等。(程のことになる、思いがけずついする、・・なるまでする、さらに・・までする)


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