2012年11月12日月曜日

漢字の起源:来年の干支「巳」


来年の干支は「巳」年である。これは、蛇である。なぜ干支が、用いられるようになったのかはまだはっきりとしたことは分かっていない。

 わが唐漢氏は中国の古代の人々は、12支の人間の生命の誕生の過程を重ね合わせてみたのだろうと考えた。

 この見解は、未だ多くの支持を得られているわけではない。もちろん私も支持するしないという立場にはない。ただ唐漢氏がそう唱えるから、さもありなんと紹介するだけのことである。しかし今は仮説かもしれないが、彼の説は、説得力もあるし、また非常に面白いと思っている。



引用 「汉字密码」(唐汉,学林出版社)

  巳これは会意文字である。甲骨文字では二つの書き方がある。図の上からは両方の書き方とも、嬰児がネンネコの中にくるまっている姿のデッサンである。区別は嬰児の手肘が胎嚢の中にあるか否かだけである。

  将にこの字は、産育の第6段階(子、丑の順に6番目が巳)にあり、また生育の過程の最終の終結である。金文は甲骨文字を受け継ぎ、その手は外に動かした形である。但し金文中の「巳」の「子」の形が良く似ているので、両者混交され易い。だから小篆は甲骨の第一の書き方を受け継ぎ、「巳」という字を当てた。 楷書ではこの関係から形を整え、「巳」とした。

  巳の構造的な変化は甲骨文字、金文、小篆に及び、多くの文字学の学者を混乱させた。例えば許慎は説文の中で「巳」は「已」なりとし、四月に陰気が出るのをやめ陽気が、蔵にいるのをやめるが故に「巳」は蛇の象形文字と考えていたろうという。

  「巳」の本義はおくるみに包まれた嬰児である。仮借で地支の第6番目に来たが、巳干を用いて時を記す時、巳の時は即ち午前9時から11時までを示す。地支の「巳」と天干(甲乙丙丁戌己・・)の「己」とは形がよく似ていて、混同しやすい。しかしその形の来歴は巳は嬰児とは同じではない。上部口が閉じていれば、巳は頭を表し、上部の口が閉じていなければ荒縄のとぐろを巻いた状態を表す。

巳 へび 十二支の第6番目
已 止める、すでに あとで
己 おのれ、つちのと(天干の第6番)
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2012年10月8日月曜日

漢字:「者」の起源と由来


前回「都」という文字について考えた。今回はその部首である「者」について考察する。
引用 「汉字密码」(P780, 唐汉,学林出版社)

漢字:「者」の金文から楷書への変遷
「者」は漆塗りのための容器を表す。

者は一個の会意文字である。上部は泰の字で、下部は口であり、容器を表している。

 者は一個の会意文字である。上部は泰の字で、下部は口であり、容器を表している。両形の会意で、漆塗りのための器を示している。金文の別の書き方の「者」の字の上部は、形は変化している。小篆の「者」の字は、後で書くようになった金文の左右の斜めの画が連写されるようになっている。まん中の直線の下部の口は一緒に続けて書かれる。隷書化への変化でついに楷書の「者」になった。「者」の字の形体の変化の軌跡は明瞭である。

「者」は漆塗りに用いる器物で、本義は「付着」である。

 「者」は漆塗りに用いる器物で、本義は「付着」である。即ち「著」の最初の文字である。自然界には付着したものが他の者の物的現象の普遍的存在を表すことがある。「日月星辰」が天を表し、山水草木が地を表す様なものである。上古先民は労働実践から、通さない付着力の最強のものは漆であることを発見した。 この為漆を用いた什器は付着と同じ概念である。

「者」は説文では、代名詞である。

 「者」は説文では「者」と別のものに解釈している。曰く「者」は代名詞である。古文中「者」の主要な用法は動詞、形容詞の詞・句の後面におかれ、人、事物、時間、所、原因等等を重ねて述べる必要の時に代わって表すのに用いられ、単独では用いない。

者の字は部首にもなり、漢字の中で、全て付着に関係している

 者の字は部首にもなり、漢字の中で、全て「者」の音を持ち、全て付着に関係している。「猪、署、奢、著、著」 等がそれである。 
  
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