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2012年12月22日土曜日

漢字の起源:紛らわしい「巳」と「己」

 「巳」と「己」は大変紛らわしい字である。この字については中国の大学者でも解釈に誤謬を含み、今日まで訂正されずにそのまま固定してしまったのもあるという。そこで、今回「己」という字に迫ってみようと思う。
引用 「汉字密码」(P860,唐汉,学林出版社)

 己は象形文字である。甲骨文、金文と小篆の「己」の字はまるで一条の縄の象形の様である。楷書はこれと一脈通じていて、この関係から「己」と書く。
 有史以前の文明の発展過程の中で、上古先民は藤の蔓や樹皮、動物の皮の長さや引っ張るのに限りあるもので物をつかんだりするのに少しずつ調べて縄を編む技術を発明した。些かの遊びもなく、生産に供し、生活に便利をもたらした。今日の人々には想像もつかないもの、まるい柵を編み、網の筒と落とし穴、木の箱を梱包し、投げ槍と矢の先端をつなげるなどした。まさに縄の多くの紅葉で大いに生産と生活の質を向上させた。この編むことに長じた、或いは縄やひもを喜んで頭に戴く部族は、「己」を自分を呼ぶ名に用いるようになった。 
 「己」の本義は縄やひもである。縄紐は物を梱包するのに用い、およそ縄は物を括り、その自然状態はどうであろうとも、「己」は帰属の意味に用いる。だから拡張して「己」は自己という意味になった。《玉篇》は「己」を「自分の身」なりと解釈する。《論語・学而》は「不患人之不已知,患不知人也」(患わない人は人を知らない患いである。《孫子》己を知り、「知已知彼,百战不殆。」(彼を知るもの百戦危うからず。)この中の「己」は全て自身を表す。 「己」は天干の第6番目である。もともと己部族に源を発し、殷商時代は祭りごとの格式の序列である。「己」部族は「斗、宗」で、その部族のただひとりが「王」である。(即ち雍己である)
「漢字の世界の起源と源流を探る」のホームページに戻ります。

2012年11月25日日曜日

来年はの干支は「へび」:漢字「巳」の出生の秘密

 「子丑虎卯辰馬未申酉戌亥」は地支、干支・十二支は殷商時代すでに天干と相交えて日にちを表していた。安陽の殷墟の小さな村で発見された、甲骨文字が刻まれた「甲子年表」はほぼ中国で最も早くカレンダーが順序どおり並べられていたことが知られている。」ということは既に述べた2011年2月の「十二支の始まり」という稿で述べた。
 しかし、「上古の先民は何のためにこの漢字を作ったのだろう。漢字はまたどんな事実の拠り所に、こういう漢字を作るようになってきたのか?」という疑問はまだ残る。要は漢字「」の出生の秘密は何?
 ここで唐漢氏は以下のような仮説を提唱している。
 個体発生学と人類発生学の相似の一面が科学的に証明されている。殷商民族は商代の甲骨文字に刻まれている、干支年表の十二支が嬰児の生育時期に酷似している。人類が何かを生み出す時期、全てのものは何らかの目に見える現象を以てその拠り所とした。文字のその例外ではない。十二支を考え出した拠り所は、古代人はまさしく人間が胎児のときから、生まれ出ずる過程の中にそれを見たと考えられる。天干の中の10文字と十二支の中の12個の漢字は必ず彼らの現実の生活の反映であるはずだ。

唐漢氏自身はこれを仮説としては認めてはいないが、しかしこれが仮設ではなくなるためには、まだまだ多くの裏付けが必要であろう。 「漢字の起源と成り立ち 『甲骨文字の秘密』」のホームページに戻ります。

2012年11月12日月曜日

漢字の起源:来年の干支「巳」


来年の干支は「巳」年である。これは、蛇である。なぜ干支が、用いられるようになったのかはまだはっきりとしたことは分かっていない。

 わが唐漢氏は中国の古代の人々は、12支の人間の生命の誕生の過程を重ね合わせてみたのだろうと考えた。

 この見解は、未だ多くの支持を得られているわけではない。もちろん私も支持するしないという立場にはない。ただ唐漢氏がそう唱えるから、さもありなんと紹介するだけのことである。しかし今は仮説かもしれないが、彼の説は、説得力もあるし、また非常に面白いと思っている。



引用 「汉字密码」(唐汉,学林出版社)

  巳これは会意文字である。甲骨文字では二つの書き方がある。図の上からは両方の書き方とも、嬰児がネンネコの中にくるまっている姿のデッサンである。区別は嬰児の手肘が胎嚢の中にあるか否かだけである。

  将にこの字は、産育の第6段階(子、丑の順に6番目が巳)にあり、また生育の過程の最終の終結である。金文は甲骨文字を受け継ぎ、その手は外に動かした形である。但し金文中の「巳」の「子」の形が良く似ているので、両者混交され易い。だから小篆は甲骨の第一の書き方を受け継ぎ、「巳」という字を当てた。 楷書ではこの関係から形を整え、「巳」とした。

  巳の構造的な変化は甲骨文字、金文、小篆に及び、多くの文字学の学者を混乱させた。例えば許慎は説文の中で「巳」は「已」なりとし、四月に陰気が出るのをやめ陽気が、蔵にいるのをやめるが故に「巳」は蛇の象形文字と考えていたろうという。

  「巳」の本義はおくるみに包まれた嬰児である。仮借で地支の第6番目に来たが、巳干を用いて時を記す時、巳の時は即ち午前9時から11時までを示す。地支の「巳」と天干(甲乙丙丁戌己・・)の「己」とは形がよく似ていて、混同しやすい。しかしその形の来歴は巳は嬰児とは同じではない。上部口が閉じていれば、巳は頭を表し、上部の口が閉じていなければ荒縄のとぐろを巻いた状態を表す。

巳 へび 十二支の第6番目
已 止める、すでに あとで
己 おのれ、つちのと(天干の第6番)
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