2012年6月26日火曜日

漢字「信」の起源と由来を甲骨文字に探る:人と言う字と口からなる会意文字

信の言葉の成り立ち

 信は会意文字である。金文は人と言う字と口から出来ている。小篆は強調を明確にした字になっている。口の上に舌を加え、人と言の会意文字になっている。楷書はこの関係から「信」となった。
 白川博士はこれは「口」ではなく、「サイ」という神のお告げを入れる箱だと解釈する。



信の本義

  信の本義は二つある。一つは使者のことで、《字捕》は古くは使者のことを「信」という。二つに曰く「消息」のことである。


論語の中での「信」

  信の字が道徳の領域に入るに当たり、「論語・公冶長」の如く「その言を聞く而してその行いを信ず。」信而有征(確実である上に証拠もある)、信史(信用できる史実)、守信(約束を守る)、威信(威信・信望)の言葉では皆真に為すの意味を持つ。また拡張されて、信仰、信奉の意味も持つ。「信教、信仏」等である。《广雅》は信は敬ことと解釈する。述べてなさざれば、信而して古くなる。

   儒家の道徳の範疇内では、信は誠実の意味はない。さらに「西洋人が「モーゼの十戒」の道徳標準にみるような「真実を話せ」の様な意味も含んでいない。為に実用主義的道徳の範疇の、「忠、孝」は「真実の」と敢て言うことはできない。

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2012年6月22日金曜日

中国人と儒教の根幹「仁」の起源と由来


中国人の儒教意識 

司馬遼太郎氏とドナルド・キーン氏の対談本「日本人と日本文化」の中で、「日本人のモラル」について語り合った個所で、司馬氏は中国人の儒教意識について、「中国人の場合は、・・・非常に感心するのは、彼らは日本のいかなる儒者よりも儒教的である。そう思うのは、つまり信というものをひじょうに尊びますね。裏切らないです。」と述べている。

現実の受け止め

 しかし、私の感想は少し異なる。私の短い中国滞在と旅行の期間、実に残念だが、正直言って裏切られ通しであった。司馬氏は「彼ら(中国人)は、頼むのは同胞だとか・・・友人だとか横の関係である。」と言っている。司馬氏がこの経験をしてから、既に20年も経っていることもあり、司馬氏は著名な作家ということもあり、司馬氏の様に重く受け止められていないのかも知れないが、私には残念な結果である。
それに儒教は基本的に君子論である、君子の庶民支配の方法論を述べたものであり、解放後の中国で生き続けられるはずがないと思う。しかも中国人はこの20年の間に高度成長を経験し、改革開放路線の下で市場経済論理がまかり通っている中では、司馬氏の言うように儒教的な思考が今なお生き続いているのか少し疑問である。

儒教の根幹「仁」

 さてその儒教の根底をなす思想に「仁」という言葉がある。儒教が生まれたのは、BC6世紀ごろで、甲骨文字が生まれたのはBC15世紀ごろなので、両者の間には千年の開きがあるので、甲骨文字で、儒教の思想を語ることは論理的に無理がある。しかし、当時の社会の中で、人と人の関係をどうとらえていたかの一面を知る上では一つの材料となる。

「仁」の由来

 両形は会意文字である。仁は他でもなく、千個の心眼を持っている或いは千種の考えの聡明な人を表している。「仁」の本義はそれだけ心眼の多く、考えること密で、因みに心を砕くもの人を治む優れた人を示している。それだけ小人、下等な人に対して、上人、大人を示している。古人はこれを称して君子という。孔子は仁者と呼ぶ。
 「上流社会の出身の人で権力があり、権勢のあるものは下人を指揮することが出来るものの、すべてが「仁者」というわけではない。」彼らはまだ須らく一種の品徳を備えている。即ち「仁者人を愛す」の品行は「成仁」となりうる。冷酷で薄情で恩が少ない人、巧みな話しぶりと人当たりの良さでへつらう輩は心を砕いても「仁者」ではない。 

仁者とは

 儒家の論述に照らして、「仁者」は「敬服させる位置にいて、愛を喜捨し、進退程よく、応対程よく、物腰もよく、事を処理するのにきちんとしており、徳行が様になっており、声や雰囲気が気持ちよく、動作が穏やかで、言葉に条理がある」これらが一連の品行である。これが孔子の心の中にある封建社会の中の「上人(古代帝王)」達が備えていたいわば徳行である。明らかに車引き、酒売りの輩、田を耕し、野ら仕事の連中、及び荒っぽい虐待狂者のごときものはこれら徳行を少しも備えることが出来ないものである。
これでは私は仁者にはとてもなれそうにもない。 


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