2012年6月16日土曜日

「危」の本義は危険


日本の危機は国民の危機?

 日本がいろいろな面から考えて、まさに危機的状況に直面しているといわれて久しい。状況が危機的なこともよく分かるが、それよりももっと危険なのは、日本の支配層(日本を実質的に支配している層)が、この期にいたっても、未だに我田引水的な議論を繰り返しているように見えることである。
 日本の財政危機が叫ばれているが、建前論ばかり横行し、自ら身を削ってことを進めようという気配が見えないばかりか、そのリスクは国民に転化しようとしているように思える。しかも「リスクヘッジ」というような科学的装いをこらしながら。われわれは、今一度「危」機的なる状況を見つめなおし、どう進むべきか考え直す時期に来ている。

 「危」というのは、英語で言うと「リスク」という。ところが、これを反対に読むと「クスリ」となる。話はまったく関係がないが、この「危」という字は、唐漢氏の分類から言うと、医薬に関係する語彙と考えられている。


「危」の原義は高いところから飛び降りるの意

「危」の本義は危険のこと
「危」は会意文字である。古文の危の字の上部は上から下までの意味を表したもの。基部は即ち高台の台の形である。両方の形の会意文字で、高いところから飛び降りる或いは落下するの意味である。小篆の危の字は新規巻き返しの意味で、上部は人であり、真ん中はひっくり返り符号で、下部は人の形を現す。



「危」の本義は危険

 三つの形の会意は高いところから飛び降りるの意味で、楷書は隷書化の変化を経て「危」となった。危の本義は危険、不安全。庄子・則陽のとおり、安全危険はあいやさしく(隣り合わせ)、禍福は相性がいい(同居する)。成語の中で、「危険なこと累卵の如し(きわめて危険)」(累というのは積み重なったという意味)、危険を転じて安となすなど。
 危険から意味から拡張され、危害は損害などの意味のある。危害が生命に及ぶなど。
 危の字は高いところから飛び降りるということから高いの意味も含んでいる。危冠即ち高い帽子のことである。古文では又危坐という言葉もある。古人は座るとき普通は腰の部分をわずかに曲げまさに重心を足と尻の上におく。しかしかしこまった時必ず腰をまっすぐに伸ばし上体の高さは当然高くなる。ゆえに危坐(正座)と呼ばれる。



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2012年6月13日水曜日

梅雨は中国にはない?しかし雨の語彙は実に豊富


 沖縄は梅雨入り宣言が出そうな感じである。梅雨は日本特有の言葉?
 ただ梅雨(つゆ)という概念が中国にはないように思う。中国の気候というのは日本のそれに比べ男性的であるし、移り変わりももっとはっきりしている。
 「梅」そのものは古代から中国人に愛され、詩歌にも歌われてきたことは確かだ。しかし、雨と結びつかないように思う。

 ここでは、雨という漢字に焦点を当ててみたい。



雨は中国上古の文献にも頻繁に出現した

甲骨文字の雨はそのまんまという感じ
 雨は上古文献中最も頻繁に出現した文字の一つである。雨の字は甲骨文字中では、いろいろ書かれる。このいくつかの字を観察して見ると、単に雨が降るということだけではなく、雨の多い少ない、雨のリズム、雨が降るときのざあざあという音まで感じられる。

 雨の上の横棒は天である。あるものは天上の雲という。天から降ってくる雨の点、確かに根拠のあることである。金文中の雨の字は雨の点は袋に包まれている。両辺の雨の点と横棒一はお互い連なりあって『巾』になっている。 小篆中の雨の字は点と雲は分けて書かれるようになって、このように又横一ができた。字形は整えられたが、雨の趣は却ってなくなった。雨の本義は雨水を指す。

雨乞いは商代の王の重要な職責

 説によると、現存中の10万片の甲骨片の中で、その中で雨の卜字の占めるのは少なくとも数千条になる。かつて雨占いは商王の重要な職責の一つであったろう。卜字中、殷人は対雨に対して多い少ないの区別のみならず、微雨の分類に、『糸雨、少雨』の描写もあり、途切れ途切れの雨の日のぶれ、星の少ない雨の日の雨、多くのものの相談者曰く『大雨、多雨』、雨の勢いについて、集まったもの曰く『列雨、疾雨』、綿々と絶えることなく雨は『征雨、霖雨』、調和が取れている雨は『従雨』、雨が降り及ぶものは、「及雨」、雨量が農作物の要求に十分なものは『足雨』。

 中国には梅雨という概念はなかった

これだけ豊富な語彙があるならば、もし中国人の中に梅雨という概念があれば、言葉には必ず残っているであろう。少なくともここでは一応結論付けをしておこう。


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