日本の危機は国民の危機?
日本がいろいろな面から考えて、まさに危機的状況に直面しているといわれて久しい。状況が危機的なこともよく分かるが、それよりももっと危険なのは、日本の支配層(日本を実質的に支配している層)が、この期にいたっても、未だに我田引水的な議論を繰り返しているように見えることである。日本の財政危機が叫ばれているが、建前論ばかり横行し、自ら身を削ってことを進めようという気配が見えないばかりか、そのリスクは国民に転化しようとしているように思える。しかも「リスクヘッジ」というような科学的装いをこらしながら。われわれは、今一度「危」機的なる状況を見つめなおし、どう進むべきか考え直す時期に来ている。
「危」というのは、英語で言うと「リスク」という。ところが、これを反対に読むと「クスリ」となる。話はまったく関係がないが、この「危」という字は、唐漢氏の分類から言うと、医薬に関係する語彙と考えられている。
「危」の原義は高いところから飛び降りるの意
「危」の本義は危険のこと |
「危」の本義は危険
三つの形の会意は高いところから飛び降りるの意味で、楷書は隷書化の変化を経て「危」となった。危の本義は危険、不安全。庄子・則陽のとおり、安全危険はあいやさしく(隣り合わせ)、禍福は相性がいい(同居する)。成語の中で、「危険なこと累卵の如し(きわめて危険)」(累というのは積み重なったという意味)、危険を転じて安となすなど。危険から意味から拡張され、危害は損害などの意味のある。危害が生命に及ぶなど。
危の字は高いところから飛び降りるということから高いの意味も含んでいる。危冠即ち高い帽子のことである。古文では又危坐という言葉もある。古人は座るとき普通は腰の部分をわずかに曲げまさに重心を足と尻の上におく。しかしかしこまった時必ず腰をまっすぐに伸ばし上体の高さは当然高くなる。ゆえに危坐(正座)と呼ばれる。
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