2012年5月4日金曜日

ロマンの月:漢字の出生の秘密


五月の「五」の出所については先日説明をした。

  今日は「月」について解説しよう。しかしながらこの字は感覚的には非常に明瞭で、いまさら解説しようもないかもしれない。 

  「月さま、雨が・・」というのは日本で幕末に活躍した土佐勤皇党の首領、武市半平太に芸者が寄り添って傘をしだす時に言ったセリフということである。因みに月形半平太は武市半平太のことだ。これだけ聞けば、月形半平太は大変な色男で、月とは我々にとって昔から何かロマンチックなものを感じさせるものである。

  天の月は時に丸く、時に欠ける。丸い時は少なく、欠けている日が多い。もし円形で月を表現したら、日の字形と似たものになってしまう。しかし甲骨文字の月の字は欠けて丸くなく、明らかに湾曲している。月は満ち欠けの変化をし、太陽は欠けない。古人は月の中に一点の小さな点を加えることで、特別の意味を持たせ、月の上の影を表示したり、或いは満ち欠けを表示しているかもしれない。

  月の満ち欠けの変化は循環し、非常にはっきりしており、この為に古人は月に生命の意味を与えた。
  
  子供たちに月の上の影は山姥、ウサギ、金木犀の木などと話しする時、子供たちはあなたがでたらめを言っていると思うだろう。都市の上空で月を見ることは既に非常に少なく、時に顔を見せることもあるが、薄暗く、光は少なく、そこでどうしてウサギや金木犀を見ることが出来るだろうか。車の排気と工場の煙突は子供たちの視覚に変化をもたらし、彼らに古人のロマンの彩りを想像させることすら難しくなっている。いまや昔のロマンを感じるのはできなくなってしまったのだろうか。

 ついでに月婆といえば、中国では産婆のことを指すらしい。また月下氷人とは仲人のことを言う。またこの月下氷人というのはいささか古い言い回しで、現代では「紅娘」と言う方が通じる様である。いずれにせよ月婆とか月下氷人といえば、産婆とか仲人というより、なんとなく美しく聞こえるから不思議なものである。


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2012年5月1日火曜日

漢字の「五」はどこから来たの?:漢字の起源と由来


「光陰矢のごとし」と言われるが、ほんとに年月の経つのは早いものである。つい先ごろ生れたばかりと思っていたら、もう片足を棺桶に突っ込んでいる。体感時間は年齢に反比例するものらしい。つい先ごろ年賀状を交換し終わる間もなく、桜が咲き、もう五月である。

 さてこの「五」であるが、日本と中国では数の数え方がずいぶん違う。「指折り数えて」の通り、日本では数を数える時、まず手を広げておいて、親指から順に折って、カウントする。ところが、これが相手に伝えようとするときは、もっと明示的に示され、人差し指を立て、2の時は人差し指と中指でVサインを作る。このように日本語は相手がある時と自分自身でカウントする時で表現方法が異なる。私は日本語がどちらかというと相対的な要素の濃い言語の証左と思う。所が中国語はもっと絶対的で、相手があろうとなかろうと一は人差し指を一本立てる、二の時は人差し指と中指をそろえて立てる、これ以外の選択肢はないようである。そして「五」のときは全ての指をそろえて立てるのである。日本語では相手に「五」を示す時は手を広げて、掌を相手に向ける。自分でカウントする時は全ての指を折るのである。

では数字の「五」という字はどこから来たのだろうか? 唐漢氏の説明は少しややこしい。


  五は象形文字である。甲骨、金文の五の字は、掌を上に上げ他人に面と向かった時の掌のことである。五指を描くことはあまりに煩雑である。古文中では手や有の字などがあり混沌としている。
  
この為殷商の先民は掌で五の上下の枠を作り、上部の4指と掌の心で分割し両半分を作った。且つ交差することによってXの表示とした。即ち上部の三角形で4指を表示し、下の三角形で掌の中心と親指を表した。上下合わせて掌、掌の5指、以て五とした。小篆の五の字は金文を受け継ぎ、形も美しく美観を備え対象の中に変化が出来た。将に左辺の斜めの縦の曲線が下に伸びた。楷書は隷書への変化の過程で、この曲線は横おれ縦に変化して、今日の五となった。 
 私にはなぜ交差をしなければならなかったのか分からない。漢字の世界は奥が深い。現在では中国では「五」を右の画像の様に表現する。このおっさんの手の中指は長すぎるので、手の周りを囲んでも四角形にはならないが、たとえ別の手を持って来ても、唐漢氏の主張にはいささか違和感を覚えるが・・。
 
 ともかく日本の数え方にしろ中国のそれにしろ、10進法でカウントする限り片手では五までしか数えられない。しかし、2進法でカウントすれば片手で31までカウントできる。
 
 さてここでヒント。左の画像は何を表しているだろう。日本では云わずと知れた、スリ、泥棒である。
しかし中国ではこれはれっきとした数字の「九」である。
所変われば品変わるとはこの事だろう。




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