 |
| 漢字「醜」は元来酒の上の失態から来ている |
「醜」と「丑」の語源と由来:漢字「醜」は元来酒の上の失態から来ている。丑は醜の簡体字
「酒」と同じ部首を持つ漢字に「醜」という字がある。この字は日本では醜いという意味に使われるが、中国でも同じである。
「醜」は会意・形声文字である。甲骨文字の左辺は「酉」で酒を表し、右辺は「鬼」の字である。酒に酔っての失態を表し、人をして悪い感じを与える意味である。
小篆と楷書の「醜」の字は一脈通じる。漢字の簡略化の時、この「醜」という字は「丑」の字と統一しようとした経緯もあり、現在では「丑」は「醜」の簡体字となっている。
何でこうなったか分からないが、丑にとってはえらい迷惑!
「丑」と「醜」は源は異なる。意味は両字とも同じではない。「丑」の字源は「嬰児が出生時に手をにぎりしめていること」から来ている。この十二支の2番目。
「醜」は元来酒の上の失態から来ている。鬼と同様で人の憎悪を起こさせる。
昔、日本では酔っ払い天国といわれて、酔っ払いというのは寛容に見られていたが、中国では昔から酒の上の失態は「醜い」ものとされ不名誉なことと見られていたのは、字の上からでも容易に頷けることである。
しかし、中国も、李白の様な人間は別格と見られていたようだ。彼は豪放磊落であり、しかもかれの権力に拘束されない姿勢が、酒の上の失態を帳消しにしていしまう見方が支配的なのかもしれない。
酒の上でことでも世間の目はさらに厳しくなっている。くれぐれもご用心あれ。これは自分への戒めだ。
漢字源の解釈
会意兼形声。「鬼(みっともない亡霊)+音符酉(=酋:ぐっとちじまる)」
良く分からないが、みっともないので困って縮まっているという意味か
結び
現在では「丑」は「醜」の簡体字となっている。
漢字の簡略化の時、この「醜」という字は「丑」の字と統一しようとした経緯もあるが、何でこうなったか分からないが、丑にとってはえらい迷惑!
ここでは、少し趣向を変えて「「酒」のよもやま話と漢字「酒」の起源と由来」について触れたいと思うので、酒で一献傾けるつもりでお付き合い願えたら幸いです。
中国の酒
中国の酒は地域ごとに製造機法と独特の味,香りを持っていてその種類と名前が多様で、約5,000種以上に上ると云われている。 中国酒は製造方法により大きく分けて白酒,薬味酒,黄酒に分類される。
白酒
白酒は一般蒸留式透明な色の酒でよく白干だと呼ぶ。酒の主原料は高粱であり、とうもろこし、小麦、エンドウなども原料で使われる。 蒸留式技法で製造される白酒のアルコール度数は38-60%間で、透明な色を持っている。 代表的な酒としては古井貢酒,五粮液,茅台酒,孔宝家酒などがある。一般的に香りがきつく最初は腰が引けてしまうが、慣れるとこの「くせ」に嵌ってしまう。
薬味酒は白酒に色々な漢方薬などを添加して、糖分を含む酒で製品の類型はリキュール酒に属する。 代表的な酒としては五加皮酒、竹葉青酒などがある。
黄酒
黄酒は米を原料とした醸造酒で、揚子江南部が主要生産地で紹興酒が有名である。この為中国南部では紹興酒が好まれ、北部では白酒が多く呑まれているようだが、最近では、ビールの需要が大きくなってきている。
ビール
ビールは青島ビールが有名だが、ハルピンビール等地産のビールが結構販路を伸ばしている。近年は宴会では白酒が結構呑まれるが、日常生活ではビールがシェアが伝統的な酒より需要は大きくなていると思う。
私も元来酒が嫌いな方ではなかったので、中国ではいろいろの酒を飲んだ。押し並べての感想は、
中国の酒の特徴- 中国酒は一般的に製造過程に独特の香りを持っている。
- また、どの酒もそこそこの品質を保っているように思える。つまり中国人は酒であまり嘘をつかないのでは?(酒の上でという意味ではなく)酒そのものは真面目に取り扱っているように思えるという意味だ。
- 千差万別とは思うが、そこそこの酒を安く飲めるということだ。びっくりしたのは天津の地酒(白酒)を500cc2元で替えたということものあった。日本円で30円である。
漢字の「酒」
さて漢字の「酒」について立ち返って見よう。
「酒」これは会意文字であり、形声文字でもある。甲骨の字の酒の字は「酉」の字である。即ち酒瓶の象形文字である。両側の曲線は酒が溢れ出している様を表し、また酒の香りが四散しているとも理解できる。金文の酒の字は水の字を用いて、酒が大きな酒瓶に入った液体であることを強調している。
小篆の酒は左側に水の字を加え、液体であることが強調されている。右辺の「酉」は盛器を表示している。楷書は小篆を引き継いでいる。
酒の文化の浸透
酒を飲むこと及び酒文化が盛んになると強く人の精神を恍惚とせしめようになる。上古先民の意識の中では、酒は人々の虚ろで幻想の世界に入るのを助け、一種の人と神の関係を橋渡しする霊的なものを備えていると考えるようになった。その為に祝い事、神霊の祭祀から兵士の出征等すべてに酒を離れることが出来なくなった。酒ある方に祭りあり、酒ある方に宴ありの状態に達するまでに至った。
しかし上古の時代には先民たちは未だ酒を十分飲むことはなく、酒は医療や病気に用いていた。これは□(医の旧字)の字には酉がつく理由である。
殷商時期、酒は人々が大変好んだもので、祖先祭祀、出征の時、愛を交歓する全て時に時酒から離れることはできなかった。アルコールは殷商民族のプライドを実際以上に誇大にしたため(一種のアルコール中毒)、征伐は頻頻で残酷であった。アルコール中毒の為出産率が低下た。「醜聞天にも聞こえた為天は降りて来て殷を滅ぼし周に取って代わった」と言い伝えられている。つまり殷は酒で滅んだということだろうか。殷の紂王の淫乱から生まれた諺(成語)に「酒池肉林」がある。
酒にかかわる故事・成語がより詳しく展開されています