2012年3月19日月曜日

「吊」は「弔」とはこれいかに その起源と由来


昨年の晩秋、由布院温泉に行ってきた。全山燃えるような紅葉を期待したが、時期的には1週間ほど早く、ただ温泉につかって帰って来た。しかし温泉はやはりいいものである。
  由布院には「青湯」と呼ばれる温泉があり、御湯の色は青色で、褐色の由布岳との対比で印象深かった。李白になった気分で、気持ちよかった。

  さて、ここで「吊し柿」の「吊」に注目したい。


「吊」:本来は「弔」と云う字がもっぱら用いられていたが、
「弔」が「弔問」と云う場面で使われることが多くなったため、
吊るすという意味では「吊」という俗字が使われる様になった
  「吊」この字は会意文字である。甲骨文字の「吊」の字は一人の人が縄で縛られて吊るされているデッサンである。金文は甲骨文字を受け継いでいる。小篆は美観のある字体を使うようになって正に人の上部が変形し、楷書では更に省略され「弔」となった。
 もともとこの「弔」の字が「吊る」の意味の正字であったが、「弔」が「弔問」の意味に常用されるようになったため、漢字の簡体字化の時、本来異体の俗字の「吊」が正体と規定された。どうも見たところ、かろうじて人を縛った後でも、古人は未だ逃げることが出来ると考えたようだ。

  だから古人は「梱」は縛る(物と一緒に巻きつける)ということで、「挂」(物の上に吊り下げる)と一体をなす。「弔(吊)」の本義は縛る、括って吊り下げるということである。又「吊」古文の中では「お悔みを言う」意味即ち慰問に用いられている。


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2012年3月9日金曜日

「絆」:ところ変われば品変わる。中国語の「绊」との違い

 今日は甲骨文字から離れてみた。と言うよりこの「絆」という甲骨文字を探してみたが、見つからなかった。

「絆」という言葉の持つ二面性
 近頃「絆」と言う言葉が、いろいろのところで聞かれるようになった。この言葉の持つ響きは、実に快く耳に響く。「大辞林」によれば、その意味は「①家族・友人などの結びつきを、離れがたくつなぎとめているもの。ほだし。 ②動物などをつなぎとめておく網」となっている。それはちょっと聞くと人にとっては大切なものと受け止められるが、反対にものを見ると「束縛」とも考えられる。物事には二面性があるので、これは当然のことである。

中国語の「绊」の持つ意味

 しかし中国語ではこの反対の側面から見た意味に用いられる場合が多いようである。中国語で「绊」と引くと「① 足をすくう。わななどに引っかかる。からみつく。 ② じゃま(妨げ)になる。まつわりつく。 ③ きずな。拘束。 ④ (-子)わな。」とどうにも後ろ向き且つ否定的ないやな意味ばかりである。では中国語で日本語と同じ積極的な意味の言葉はどうかというと「紐帯」というらしい。

日本人は一般的にいって、言葉の捉え方
 日本人は一般的にいって、言葉の捉え方が感性的で、あまり論理的に、理詰めには捕らえようとしないし、どちらかと言うと苦手なんではないかと思う。昔から「言霊」と言う言葉もあるとおり、ニュアンスや雰囲気をかもし出すことを得意とした。これが日本語の美しさ、聞いていい響きなのではないかと思う。これはフランス語などのリズム感や発音などとは少し違うような気がする。


日本人のもつ言葉の感性と意味の乖離に気をつけるべし
 しかし日本人が本来大切にしてきたこの美しい響きの意味が近年そぎ落とされて、裏の側面で見た方が納得できる場面に出くわすことが多くなったと思う。母と子の絆、夫婦の絆、ヘルパーと被介護者の絆、親方と弟子の絆など最近起こった事件を見ると人間の関係「絆」が変化しているように思う。しかし言葉は昔の美しい響きの関係のものを求めようとする傾向が蔓延しているような気がしてならない。そろそろその関係が本当は何を意味するのか真剣に考え直す時期に来ているのではなかろうか。
 
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