2012年2月3日金曜日

「官」の今昔。 やがて腐る「官」

今国民の間で大きな関心事の一つに「官僚」の横暴がある。国権の最高機関である国会を無視し、自らの利権を追及して憚らない。 現代の国権の執行者は言わずもがな内閣府に見える。しかし見えるだけである。これは議員内閣制を敷いている為、国会(衆議院)で多数を占める党派が、多数をかさに自分たちの代表する利権を実現しようとありとあらゆる手を使う。
  国家の官僚は表向きはその時々の力関係の上で踊る政治家の言うことを聞くようにふるまいながら、その実、「真」の権力者にこびへつらう。誰かが言ったが、議会制民主主義というのはこの「真の権力者」を隠蔽するための無花果の葉っぱにすぎない。日本は民主主義国というがその実、金主主義国と言える。
 ではその「真の権力者」とはだれか?考えてみると戦前から体制が変わった部分は多少あったとしても、基本的には一貫して保守勢力(金を握っている部分)が支配したことには変わりはない。

それでは「官」の字の由来に戻ることとしよう。


「官」昔は腰を落ち着けて休むところの意味
現代の官僚は国民の上に腰を落ち着けて
ゆっくり休んでいるのかも
 「官」これは一個の会意文字である。甲骨文字の上部は「内」或いは上古の家屋の形である。その中の形はちょうど90度回転すれば、人のお尻の形に似ている。両形の意味が合わさって、尻を落ちつけて暫し休むところという意味になる。金文中の官の形は甲骨文字と相似である。小篆の形は屋内のお尻で、既に変化しあまり似ていない。楷書では隷書化の後「官」と書くようになった。
 上古の時期、先民たちは狩りに出かけた。一旦外に出れば、全て足を頼りに行く。いつも数日、或いは数十日も帰ることはできないであろう。上古人は「官」の字を用いて彼らが途中腰を落ち着け暫し休んだ場所を表している。最も早い時期の官はただ人が歩いて行く空いた粗末な部屋であったろうし、後日にはある人が留まる駐営地になっただろう。これは都の外にあって、派遣されて駐留する仕組みの官のことを言ったものだろう。接待に責任を負うことを除けば、まだ地方の民衆を管理監督する職責であったろう。だから「官」は基本義は途中休憩をするところという意味である。それから派生して派遣駐留する機構になり、 当然のこととして後日の官府になったものだ。
 両漢以前は、官と吏の概念は同じではなかった。一般の行政機関或いは職務を指していた。吏はもっぱら官吏を指していた。而して「官」のそれ自体は官員の意味を持っていなかった。漢朝以降「官」は官府と一般的な官員を示した。「吏」は即ち低級な官員である。当然官の字は行政職務の意味に未だに用いられている。


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2012年2月1日水曜日

漢字「寇」は何を意味するか。 甲骨文字は家に入り込んでこん棒でぶん殴る様子をそのまま字にしたもの

「寇」の漢字の構成

 屋内に入り込んで人の頭を棍棒でぶん殴るという流行りの連続強盗のまんまを表している。

 今ウクライナ戦線で問題になっているオルガルヒは、韓流ドラマに出てくる倭寇みたいなものだろうか。倭寇と日本人のDNA:司馬遼太郎氏の深い洞察に学ぶ

「寇」は建屋の中で行われる暴行を表す

唐漢氏の解釈

 「寇」は会意文字である。甲骨文字の寇の字は上部は建屋を表す。屋内の右には一つの棍棒を持った手、まるで左の人をまさに殴っているようである。しかし、ここでのウ冠は、屋内というより、「内部」という意味合いが強いのかも知れない。つまり内側に入り込んでくるという感覚なのか。



「寇」の漢字の由来

「寇」の漢字の由来については、古代の中国の歴史的背景に関連しているとされています。
 以下の説があります。

  1. 説1: 侵略者や略奪者を指す説
    「寇」は、古代中国において侵略者や略奪者を指す言葉として使用されたという説があります。古代中国では、他国や他地域から侵略されることが多く、そのような侵略者や略奪者を「寇」と呼んでいたとされています。
  2. 説2: 略奪や侵略を意味する説
    「寇」は、略奪や侵略を意味する漢字であるという説もあります。古代中国では、戦乱や略奪が多く、略奪や侵略を表現する漢字として「寇」が使われたとされています。
  3. 説3: 神秘的な敵を意味する説
     また、「寇」は神秘的な敵を指す語としても使用されたという説もあります。古代中国では、異民族や外敵を神秘的な存在として捉えることがあったため、そのような敵を指して「寇」という漢字が用いられたとされています。

  4. 以上のように、諸説あるため確定的な由来を特定することは難しいですが、これらの説を参考にすることで、「寇」の漢字が持つイメージや意味を理解することができます。


「寇」の漢字の発展

 この種の屋内での凶行は却って略奪の行為を「寇」とするのに適している。小篆の「寇」の字は将に屋内の左に立つ人が変化して「元」の字なっている。「元」は古文字では、頭を突出した人の形で、棍棒を用いて頭部を攻撃して、残虐に殺す意思を含んでいる。楷書は小篆からきて、一脈引き継いでおり、形も似ている。



「寇」の使われ方

 「寇」の本義は屋内の暴行、即ち盗賊や匪族の意味である。盗賊ないし侵入者はこの為「寇」または侵犯の意思を含んでいる。杜甫の詩「復愁」の如く、その中に「万国なお防寇あり」、この寇は侵入者を指す。明代に将に侵入してきた日本の浪人たちは倭寇とよぶ。抗日戦争当時、中国人民は将に日本の侵略者を「日寇」と称した。全て侵略者の意味である。
冠と寇し、その中の寸は手であり、その手で持って、帽子をかぶるのを冠という。冠と寇は意味と音は全く異なるのだ。つまり一方は冠で、もう一方は侵略者だ。




引用:司馬遼太郎「日本人と日本文化」


  対談本「日本人と日本文化」の中で、司馬さんは室町中期から秀吉の辺りまで倭寇が活躍?していたことについて触れ面白いことを言っている。少し長いが引用する。

倭寇と日本人のDNA

   彼らは世界の中の日本の位置づけを知らないので、ただ荒らしまわるだけで自らビジネスに出来ない。大体が情報を握っている中国人の手下で働き、いわば暴力労働者の様な形になっていたという。
 五島列島の倭寇は中国の杭州湾口にある船山列島を明軍と戦い占領したことがあった。
 占領したら自分のものにしたらいいのだけれど、彼らは3カ月程すると故里が恋しくなって日本に帰っていくことを繰り返していたらしい。土地の人々も、倭寇が来てもほったらかしにしておればいいといわば泰然と構えている。「いずれ彼らは帰って行くんだ」と。
  倭寇には土地を占領してそこを治める政治力が育たない。

  これとある意味全く同じようなことが、太平洋戦争でもあったと司馬さんは言っている。
 当時海軍にいた司馬さんの遠い親戚の人から聞いた話として、「当時の海軍には真珠湾を攻撃することはできるが、しかし攻撃した後どうするかという戦略がなかった。それは海軍に留まらず日本国全体が持っていなかった。」
   彼はアメリカは非常に強い。どうせ負けるのであれば、「倭寇で行きましょう」と進言したということである。つまりどういうことかというと「真珠湾を攻撃し、そしてアメリカ沿岸を空襲して帰ってくればいい。ただそれだけのことです。」

 明治の戦争以外は日本人には倭寇の時と同じで、欲望表現としての戦争があっただけで、戦後の処理をどうするかという戦略も持たずに突入していった。当たり前のことではあるが、倭寇のDNAと日本の主導者のDNAは同じであり、まったく同じ過ちを繰り返していると司馬さんは分析している。
   これを読んで、目からうろこが落ちるという印象を否めなかった。これは、ある意味今でも脈々と受け継がれている。
 原子力発電でもそうだし、沖縄復帰の問題でもそうではないだろうか。どんと花火を打ち上げ、世間の注目を集め、選挙に勝つなりしたらもうそれで全てよしとしているきらいが窺えないだろうか。



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