2011年12月15日木曜日

漢字:「暴」の起源と由来:光に麦の穂が晒されているのを表現したもの

漢字「暴」の起源と由来:光に麦の穂が晒されているものだとしている。

 いま日本中はこの驚くべき暴言に唖然としているのではなかろうか。この発言が元で罷免された防衛局長の品性のなさに、情けないという思いに駆られている人は私だけではないだろう。

 さて、この暴言に関係して、毎日新聞の11月30日付余禄にあった記載に触れてみたい。暴言という語源について「余禄」は白川博士の著述から、『「暴言」の「暴」は日と獣の死骸の形を組み合わせた文字なのだという。白川静さんの「常用字解」にそうある。死骸が太陽にさらされるわけで「さらす」、するとたちまち骨があらわれて「あばく」「あらわれる」との意味になった』とある。


 早速我が唐漢氏は何と言っているのか当たって見た。

  氏はこの文字は太陽の光に麦の穂が晒されているものだとしている。ここでも白川博士の呪術的な発想に対し、農耕に漢字の発生を見る氏の視点の違いが際立っている。
 曰く、「暴」この字は一種の会意文字である。金文の「暴」の上辺は爾の光が下に向かって照射している様を表している。下辺は突出した麦の穂が成熟した形とみる。あたかも日の光が降り注ぎ、麦が熟しているときの描写である。

 小篆の「暴」の字は形の変わった両手が太陽の光のもとに米を晒している様を示し、楷書が隷書に変化する過程の中で、再び形が変わり「暴」の字となり、形は似ているが雰囲気が失われた会意文字の形になった。甲骨文字の品用がないところを見ると甲骨文字の時代にはこの字はなかったのかも知れない。

 日に晒すということから引き出されてくるのは「顕露、顕示」の意味で、暴露と同じである。赤い日が空に当たり、強烈な日差しが火に似ていることから「慌ただしい、猛烈」ということが引き出され、「暴雨、暴怒、暴躁」等の言葉が出来た。また「残忍、残酷」の意味も表わされ、暴虐、暴行、暴徒等の言葉にもなった。
  

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2011年12月12日月曜日

漢字「民」の起源と由来:「民主」はどこから来てどこへ行くのか

民主党政権の熱気が過ぎ去って

 民主党は苦しんでいる。
  民主党が政権をとってから国民の間では期待だけは先行しながら、国民のいいとこどりだけを望んだ期待は裏切られた。国民は自らの生活は一切変えようとしないで、甘い果実だけを望んだ。 先の選挙の当時は、「自民党のむちゃくちゃな政治の後だから、民主党も大変だわな。」というのが国民の偽らざる感想であったと思うが、自民党の長きにわたる悪性の弊害は簡単に取り除けない。

 60年間続いた自民党の「独裁」の弊害に対する嫌悪感は国民の間に行き渡ってはいるが、それでもまだこのままでいいと思う国民が支配的である以上、そう簡単に世のなかが変わるはずはない。一方では橋下氏のようなファッショ的な風潮が大衆の間にももてはやされるようになって来た動きもある。

「民主」という心地良い響きは何なのか
  世の中にはそれでも「民主」という響きのいい言葉が溢れているが、我々はともすれはこの響きにだまされてしまっている部分がある。その中身と歴史を今一度振り返って見る必要がある。
 ここで「民」という字は一体どこから来たのか冷静に考えてみるのも悪くないだろう。早速「民」の字の由来について考えてみよう。

 ここでは、中国の唐漢氏に登場願うこととする。氏は彼の著作「漢字の暗号」(汉字密码)の中で、以下のように述べている。

民は奴隷を識別するために目を潰した
 民という字は左の図の通り、本来象形文字である。図の中で甲文とあるのは甲骨文字、金文とあるのは青銅器などに鋳込まれている古代文字である。この甲文、金文のいずれも上部の文様は「左目」を示している。そしてこの両者とも「目」を錐状のもので突き刺している状態を示している。それが小篆を経て現在の楷書の形「民」になったものである。

 
「民」の持つ本来の意味は奴隷である

  民の本来の意味は奴隷である。殷商の時代に統治に便利な方法として、考え出されたのが、「奴隷の左目を潰す」という残酷な方法である。戦いで他民族を征服したとき被征服者と征服者を容易に見分けられるよう、被征服者=奴隷の左目を錐で潰したのであるが、それをそのまま字にしたものがこの「民」という字である。


  当時これらの奴隷は「民」と呼ばれ、それ以外の者は「人」と呼ばれていた。後世になってこの区別はなくなり「人」と「民」が言葉の上でも統合され「人民」と呼ばれるようになったが、この「民」には「愚、頑」などの余りよくない修飾語はつけられて、「賢、偉」などのほめ言葉が修飾語につかないのはこの由来によるものである。

「民」が「人」になる長いながい道のり
 この名もなき「民」が「主」となる「民主主義」という概念は本当にすごいものである。人間は奴隷から、人民になり、民主主義の社会が実現されるまで何千年もの長い血みどろの闘いが必要であった。言葉はその概念は時代とともに変化する。しかし大事なのはその変遷の歴史と現在の位置づけである。

  現代においても民主主義が真に実現されている国はまだないといっても差し支えないのではなかろうか。日本は民主主義の国とよく言われるが、貧富の差がこれほど拡大した国、官僚が平然と税金を食いつぶし大きな顔をしていられる国、「自己責任」という言葉で国民の貧困化が黙認される国、小選挙区制で民意を死票として葬り去ってしまう国、結局声の大きさと態度の大きさがものをいう国、モンスターペアレントなどのごね得がまかり通る国は果たして本当の民主主義の国といえるのだろうか。それは日本がお手本としたアメリカでも同じである。いや日本以上にひどいかもしれない。

 中国でも孫文が唱えた三民主義がある。民権、民生、民族の三つの民をとって、三民主義とした。しかしまだかなりの制約がある。言葉の響きよりも中身が問われる時代である。

民主主義社会とはどんな社会
  かつてマルクスは言った。「民主主義が実現された社会は民主主義が眠り込んでしまった社会である」と。 この意味はどういうことだろうか。よく考えてみたい。

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