2021年5月25日火曜日

漢字「臨」の成り立ちから分かること:臨済宗の臨はそもそも何を意味していた



臨と望の成り立ちに見る「臨」の意味するもの
「臨」といえば、何はともあれ臨済宗という禅宗を思い出します。日本でいうと、弘安5年(1282)、ときの執権北条時宗が中国・宋より招いた無学祖元禅師により、円覚寺は開山されました。
 この臨済宗は、中国の禅宗五家の一つで、唐代に開かれた宗派ですが、その『臨済録』という原典のような書物にある、「院、古渡に臨んで往来を運済す」にあるようにそのお寺が古い渡し場に臨んでいたということに依っています。済は渡し場という意味です。渡し場に臨んでいるから「臨済」という簡単な由来なのです。
以上 《2019.07.08 僧堂提唱、「臨済」のいわれ》を参照した
 さて本題の漢字にもどりますが、漢字の臨と望はいずれも訓読みでは「のぞむ」と読む。しかし、これらの漢字の立ち位置を探ってみると、成り立ちからして全く異なる。

 つまり、意味するところは両者とものぞむであるが、一言でいえば、「臨」は神々が「のぞむ」こと、俯瞰・光臨することであり、「望」は庶民の喜怒哀楽にまみれた「のぞむこと・希望」なのだ。つまり、見る視点が全く異なるのだ。

 古代人はこれらを実に巧みな表現力で我々に訴えかけてくる。


漢字「臨」の楷書で、常用漢字です。訓読みでは「のぞむ」と読みますが、おなじ読みをする漢字には、「望む」があります。文字としては、「望」の方が早くできたようです。「臨」という漢字は、俯瞰することであり、希望という意味は持っていない。一方「望」は人々の希望・のぞみです。
 このように全く異なるものを日本語で「のぞむ」ということばを使ったのがそもそも紛らわしかったということになります。
 後世の人間の単なる混同であるのかも知れません。

参考ページ:
漢字の成り立ちの意味するもの:漢字「望」は風情が面白い 


  
「臨」・金文
やはり大きな目で俯瞰している様。「臥」+「品」からなる
「臨」・小篆
品の口が、祝禱を入れる三つの器に変って、より神霊の意が表現されている。
「望」・金文
大きな目をむいて、見ている様。この字にはいくつかの款はあり、それぞれに実に巧みに気持ちを表現している。


    


「臨」の漢字データ
 

漢字の読み
  • 音読み   リン
  • 訓読み   のぞ(む)

意味
  • のぞむ  ・・・見下ろす、上から下を見る
  • 身分の高い者が低い者の所へ行く  ・・・例:親臨
  • 人が自分の所へ来る事の敬語  ・・・例:臨席
  • 直接、その場に立ち会う    ・・・例:臨検
  • ひとが死ぬとき   ・・・例:臨終

漢字「臨」を持つ熟語    臨終、降臨、臨界、臨席




引用:「汉字密码」(P415、唐汉著,学林出版社)
唐漢氏の解釈
 「临」は「臨」の簡体字です。金文の臨の字は一つの大きな眼が地上の3つの小さなものを俯瞰している様子です。小篆は金文を継承して、地上の三つの物が、美観を整えるため3つの「口」に変っています。
 楷書は再び調整したのち「臨」に、現今は簡体字の「临」になりました。

 





漢字「臨」の字統の解釈
 会意文字:臥と品に従う。臥は人が臥して下方を望む形の字。
 「品」は金文の字形に意象を確かめがたいところであるが、祝禱を収める噐を列している形であろう。古文には神霊の監臨するをいう意味を表しているもの多し。


まとめ
 個人的には、「望」の漢字が実に面白い。特に甲骨文字に至ってはまるで漫画である。古代人の巧みな表現力に敬意を表したい



「漢字の起源と成り立ち 『甲骨文字の秘密』」のホームページに戻ります。