ラベル の投稿を表示しています。 すべての投稿を表示
ラベル の投稿を表示しています。 すべての投稿を表示

2022年3月4日金曜日

漢字「見」成立ちと由来に見る人間のさまざまな見方と多様性


漢字「見」成立ちと由来に見る人間のさまざまな見方
「みる」という行為に関する漢字:見、望、看、視、監、省、臨、観
「みる」という行為を表す漢字は実に多い。その多さは見るという行為一つとっても、実に多くの見方があった。その事実は人間の社会は太古の昔から、すでに実に複雑な社会でなかったかと想像される。実は我々が考えていた以上の多様性を持った社会の姿が浮かび上がってくる。


漢字「見」の楷書で、常用漢字です。
 望見を望といい、跪いて見るを見という。
 あなたは見る、看る、視る、観る
 そして、監、望、省、臨、観の違いは判りますか。
即・楷書


見・甲骨文字
跪いて見ること。見るという行為は相手に向かって霊的な交渉を持つことを意味する
望・甲骨
立ち上がって遠くを見ている
看・小篆
上部に「手」+下部「目」
視・甲骨
示(祭卓)+見:神の降臨
  
監・甲骨文字
水盆+跪いた人で構成される
省・甲骨
眼の上に三画を付け加えて、目に差し込む光を左右から観察している形
臨・金文
一つの大きな眼が地上の3つの小さなものを俯瞰している様子
観・甲骨
鳥の形であることから、鳥占いの方法による儀礼に関する文字


    


「みる」の漢字
 

見るという意味を持つ漢字のあれこれ
  • 見・・・見るの本義は見届けること   
  • 望・・・人が足をそばだてて遠く望む形
  • 看・・・手を額にかざして遠くを見ることを意味します。手を目の上にかざして望見ることを言う
  • 視・・・本義は調べるように見る、細かく見るの意味である。
        見えているという状態をいうのではない
  • 監・・・水盤に映った自分の姿を細かく見ている。監は拡張され、別の人を観察する、あるいは別の物を観察することに拡張された。
  • 省・・・細かく見て、じろじろ観察する
  • 臨・・・象を取り前に進め、地上の細かい物体を細かく観察することです。、降臨の意を基本的に重ねて持つことになりました。
  • 観・・・説文に「諦視するなり」とあって、審らかに観る意とするが、農耕儀礼に関する字と思われる。
  • 「視、看、見」の三字はすべて、"瞧"の動作である。但し、「視、看」の二字は結果に及ばないで、「見」は結果を示している。即ち、看たけれど、見えなかったという言い方ができる。「見」は見えた、認識したという結果まで言及する



引用:「汉字密码」(Page、唐汉著,学林出版社)
唐漢氏の解釈
 「みる」という行為の基本的な漢字は、「見」である。見は視ると異なり。見るの本義は見届けること、発見することである。

 




漢字「見」の漢字源の解釈
 会意文字である。「目+人」 目立つものを人が目ににとめること。 また目立って見えるものという意から現れるの意を持つ


漢字「見」の字統の解釈
 象形文字:目を主とした人の形。 望見を望といい、跪いて見るを見という。 謁見の見は儀礼の時の姿である。見るという行為は相手に向かって霊的な交渉を持つことを意味する。


まとめ
 「みる」という単純な行為一つとっても、実に多くの見方があった。その事実は人間の社会は太古の昔から、実は我々が考えていた以上の多様性を持った社会の姿が浮かび上がってくる。




漢字「〇」を含む故事、成語、ことわざ ☜ については、こちらが詳しいです

「漢字考古学の道」のホームページに戻ります。   

2021年5月25日火曜日

漢字「臨」の成り立ちから分かること:臨済宗の臨はそもそも何を意味していた



臨と望の成り立ちに見る「臨」の意味するもの
「臨」といえば、何はともあれ臨済宗という禅宗を思い出します。日本でいうと、弘安5年(1282)、ときの執権北条時宗が中国・宋より招いた無学祖元禅師により、円覚寺は開山されました。
 この臨済宗は、中国の禅宗五家の一つで、唐代に開かれた宗派ですが、その『臨済録』という原典のような書物にある、「院、古渡に臨んで往来を運済す」にあるようにそのお寺が古い渡し場に臨んでいたということに依っています。済は渡し場という意味です。渡し場に臨んでいるから「臨済」という簡単な由来なのです。
以上 《2019.07.08 僧堂提唱、「臨済」のいわれ》を参照した
 さて本題の漢字にもどりますが、漢字の臨と望はいずれも訓読みでは「のぞむ」と読む。しかし、これらの漢字の立ち位置を探ってみると、成り立ちからして全く異なる。

 つまり、意味するところは両者とものぞむであるが、一言でいえば、「臨」は神々が「のぞむ」こと、俯瞰・光臨することであり、「望」は庶民の喜怒哀楽にまみれた「のぞむこと・希望」なのだ。つまり、見る視点が全く異なるのだ。

 古代人はこれらを実に巧みな表現力で我々に訴えかけてくる。


漢字「臨」の楷書で、常用漢字です。訓読みでは「のぞむ」と読みますが、おなじ読みをする漢字には、「望む」があります。文字としては、「望」の方が早くできたようです。「臨」という漢字は、俯瞰することであり、希望という意味は持っていない。一方「望」は人々の希望・のぞみです。
 このように全く異なるものを日本語で「のぞむ」ということばを使ったのがそもそも紛らわしかったということになります。
 後世の人間の単なる混同であるのかも知れません。

参考ページ:
漢字の成り立ちの意味するもの:漢字「望」は風情が面白い 


  
「臨」・金文
やはり大きな目で俯瞰している様。「臥」+「品」からなる
「臨」・小篆
品の口が、祝禱を入れる三つの器に変って、より神霊の意が表現されている。
「望」・金文
大きな目をむいて、見ている様。この字にはいくつかの款はあり、それぞれに実に巧みに気持ちを表現している。


    


「臨」の漢字データ
 

漢字の読み
  • 音読み   リン
  • 訓読み   のぞ(む)

意味
  • のぞむ  ・・・見下ろす、上から下を見る
  • 身分の高い者が低い者の所へ行く  ・・・例:親臨
  • 人が自分の所へ来る事の敬語  ・・・例:臨席
  • 直接、その場に立ち会う    ・・・例:臨検
  • ひとが死ぬとき   ・・・例:臨終

漢字「臨」を持つ熟語    臨終、降臨、臨界、臨席




引用:「汉字密码」(P415、唐汉著,学林出版社)
唐漢氏の解釈
 「临」は「臨」の簡体字です。金文の臨の字は一つの大きな眼が地上の3つの小さなものを俯瞰している様子です。小篆は金文を継承して、地上の三つの物が、美観を整えるため3つの「口」に変っています。
 楷書は再び調整したのち「臨」に、現今は簡体字の「临」になりました。

 





漢字「臨」の字統の解釈
 会意文字:臥と品に従う。臥は人が臥して下方を望む形の字。
 「品」は金文の字形に意象を確かめがたいところであるが、祝禱を収める噐を列している形であろう。古文には神霊の監臨するをいう意味を表しているもの多し。


まとめ
 個人的には、「望」の漢字が実に面白い。特に甲骨文字に至ってはまるで漫画である。古代人の巧みな表現力に敬意を表したい



「漢字の起源と成り立ち 『甲骨文字の秘密』」のホームページに戻ります。