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2021年1月28日木曜日

特措法・感染症法改定議論に見る「罪と罰」:罰を決めるにはその罰の対象となる罪を明示的に規定しなければならない


特措法改定議論に見る「罪と罰」
 特措法・感染症法改定議論に見る「罪と罰」:罰を決めるにはその罰の対象となる罪を明示的に規定しなければならない

今国会で特措法及び感染症法の改定案が審議されている。その改定の最大のポイントは「営業時間の短縮要請に従わなかった飲食店への過料や、感染症法の改正案での入院を拒否した患者への懲役刑」の2点だ。

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

犯罪とは
 通常社会的に明らかに有害または危険とみなされて禁止され,刑罰法規により有罪とされる行為のこと。社会現象としては,必ずしも有罪とされない行為も含め,より広義に用いられることもある。何が社会的に有害であり危険であるかに関しては,多様な見解が存在する。立法機関は,ときに強力かつ声高な少数派の影響を受け,特定の団体のみに益のある法やその団体の見解のみが反映された法を制定する場合がある。これらの法は一般の利益に矛盾し,一般の道徳的信念に反することもあり得る。このように,犯罪の概念は文化や時代に非常に左右されやすく。いかなる行為も万国共通の犯罪とは断定し難い。


  私はこの国会での議論に非常に危ういものを感じる。それは特措法の議論の中で、まず「罰則」が取り上げられている。飲食業者への過料と入院拒否患者の懲役刑」だ。そもそもここで刑罰が想定される犯罪というものは何だろう。「罪」とは、社会的に明らかに有害または危険とみなされて禁止され,刑罰法規により有罪とされる行為のことをいう。
 ここで飲食店の犯した或いは侵す怖れのある「罪」とは一体何だろう。飲食店が営業時間の短縮要請に従わなかった場合、社会的に明らかに有害または危険はどう及ぶのだろうか。営業時間の短縮要請に応じなかった行為によって、新型インフルエンザの蔓延阻止にどれだけの影響が出るのだろうか?

 その影響について何ら根拠も示さずにこういった法律を施行しようとするのは、「つべこべ言わずに従え」ということと全く同じこととなる。


引用:「汉字密码」(P632、唐汉著,学林出版社)
"辠”は奴隷の鼻を切り取ることを示している  "辠”は“罪 "の初文字であって会意文字である。金文の "辠 " の文字の上部は "自 " で、鼻を示しており ;下部は "辛 " で、奴隷を示している。両の会意で、奴隷の鼻を切り取ることを示している。
 《説文》は "辠を解釈して、「法を犯す」なり、辛と自とから、いわゆる法を犯した者は鼻をしかめて苦辛の憂と言う意味となった。




始皇帝は「辠」の字が皇に似ているということで「罪」に改めた。
 図の示すように、小篆の "罪 " 文字二つがある、一つは金文の "辠 " から来ていて、もう一つは秦始皇が命令して作った新しい "罪 "の文字である。"罪 " の文字 を作って以降、「罪」は、法網に捕捉した下の非法の人を示している。

苟子の必罰主義 
 "罪 "(辠 ) の本義は犯罪者で、古代の割鼻の刑も示している。また拡張されて法を犯す行為、即ち犯罪をいう。《苟子・王制》にあるように、功無く褒めることもしないのは、罪もなく罰することもしないのである。"犯罪を犯した後、必ず処罰される、鼻を切り落とされ非常に苦しい目に会う。

 だから、"罪 " は又拡張され苦痛、例えば "受罪"の様に使う 。

 古代の帝王はたまたま天災と人災があったとき、人民反抗を緩和するために、往々にして"罪己诏 "を公布し、自責することを示す。ここの "罪 " の意味はいわば "呵責 " という意味だ。


字統の解釈
 会意文字:正字は「辠」。自と辛に従う。自は鼻の象形。辛は入れ墨に用いる針器の形。古くは罪あるものには、鼻に入墨をしてその刑を示した。


まとめ
  罰は非なる行いがあらかじめ定められないと無原則的な罰則の適用となる怖れあり。従って営業時間の短縮要請に従わなかった飲食店や入院を拒否した患者が具体的に如何なる罪を犯したのかもしくは侵す怖れがあるのかを明示的に規定することは何よりも大切なことである。


参考記事: 「罪と罰」: 漢字の起源と由来

「漢字の起源と成り立ち 『甲骨文字の秘密』」のホームページに戻ります。

2012年8月29日水曜日

「罪と罰」: 漢字の起源と由来


ドストエフスキーの「罪と罰」という小説はあまりに有名である。人間の性とも言うべき心の内面をえぐり出したものとして、深く印象に残っている。
 人間は最初から誰でも悪人として生まれるわけではない。性善説というより人間が生まれ落ちた時は、善悪もない真っ白な状態で生れ落ちてくると考えている。つまり白紙の状態だ。結婚式の時花嫁が白無垢の振袖を着るのも「自分は白紙の状態で嫁に行きます。あなたの好きな色に染めてください」というのとよく似ている。
 しかし次第に世の中で色々揉まれているうちに、悪に手を染める人も出てくる。しかしいかなる人も、悪に手を染めるについても必ずと言っていいほど、自分なりに大義名分つまり言い訳をする。「自分は許される」、「上司に命令された」、「金が必要だった」などなどである。「罪と罰」主人公も老婆を殺して当然だという言い訳をして犯行に及んでいる。
 そして、この言い訳で自分の箍が外れてしまうとだんだん歯止めが利かなくなる。このことは犯罪でなくてもごく一般に見られることである。自分にいわけを探すのではなく、自分を律することが出来る人こそ真に立派な人と言えるのだろう。大概は「仕方がなかったんだ」と自分を正当化するようになる。これが恐ろしい。
 昨日「罪」という漢字の起源を明らかにしたので、今回は「罰」という漢字に焦点を当ててみよう。罰は古代の罰は非常に残虐なものであった。今ではこのような残虐なものはもちろん許されないが、罪を犯すことを予防する意味で罰は必要なものだと思う。しかし秦の「商鞅」と言う人は、あまりに厳しい信賞必罰を行ったがため人々の反感を買い、八つ裂きの刑に処せられている。ほどほどが肝心ということか。
引用 「汉字密码」(P652, 唐汉,学林出版社)

「罰」は三つの部位の会意文字で罪人を処罰することを余すところなく表現している


 ”罰fa”、これは三個の要素からなる会意字である。金文の”罰”の字、右辺は”刀”の形をしており、刑に用いることを表示している;左辺上部の”網”の形は、捕捉することを表示している。また捕捉のやり方を表示しているともいえる。下部は”言”の字で、判決を示す。三つの形の会意で、罪人を処罰することを余すところなく表現している。小篆は金文を受けて、ただ”網”の形はいっそう形を変え、楷書では”網”を「言と刀」の上に置き、かつ”小刀”形を”立刀”に変化させて、”罰”と書く。

「罰」の本義は処罰するため、即ち過ちを処罰するという意味を表す 


 ”罰”の本義は処罰するため、即ち過ちを処罰するの意味を表す。清代の徐濒は《説文解字注釈》は曰く”罰を網と言葉と小刀からなる。「網」は罪の省略形だ;「言」は罪を決定した意を書く;「刀」は死刑から鼻をそぐ(yI)手足を切断する、頭髪をそり落とす、顔に入れ墨をする等の刑に至るまで皆刑を示している。”


現代漢語中の意味も古代と変わらず 


  《三国志・蜀書・諸葛亮伝》:”法律違反怠慢者はみずから、必ず罰する。”その中の”罰”は即ち処罰するの意味。この意味は今に至るまでそのまま用いて、現代漢語中で”懲罰、過料、罰没、体罰”などの語彙がある。
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2012年8月28日火曜日

65年目の「罪と罰」:「罪」という漢字の成り立ちと由来


韓国の李明博(イ・ミョンバク)大統領は14日、天皇陛下の訪韓について「(日本の植民地支配下で)独立運動をして亡くなった方たちに心から謝罪するというのならいいのだが、『痛惜の念』だとか、こんな単語一つなら、来る必要はない」と述べたという報道(「毎日新聞」 2012.8.14付け)が大きな波紋を呼んでいる。日本の新聞各社はこれに対し、早速反論を展開し、政府も中日韓国大使を呼びつけ抗議をし、各種外交上の手を打っている。韓国の大統領にしても少し失礼な態度であると思うが、そんなにカリカリするほどの問題ではないと思うのだが・・。こんなことを言うと火に油を注ぐようで、すこし危ないが、日本の国民も冷静に対応したいものである。
韓国の大統領も少し大人げがない態度だと思うが、日本も声高に喚き散らすのではなく、冷静に対応し、いたずらに民族感情をあおることは何としても避けるべきである。
 また、従軍慰安婦の問題、南京問題などについても、今後も、何か問題があれば持ち出されるであろう。「忘却の」彼方に押し遣ることなく、今日の問題として、国としても真正面から向き合い、真摯に襟を正すべきだろう。こうした日本の態度が、あってこそ韓国、中国、台湾、東南アジア諸国などからアジアの友人として迎え入れられるようになるだろう。
 靖国参拝の問題に対してもしかりである。参拝される方達は決まって、「英霊を祀ることは、日本人として当然のこと」と仰るが、ドイツの首相が、ヒットラーの墓前に花束をささげに行ったとしたら、世界のユダヤ人たちはそれを良しとするだろうか?あるいは世界の人々はそれを良しとするだろうか。日本が中国・朝鮮に対して行った侵略は紛れもない事実ではないのか? いかなる問題も自分たちだけが納得すれば、それで「文句言われる筋合いはない」ということではないだろう。
日本人の過去の戦争に対する態度で、司馬遼太郎氏も深い憂いを以て述べられていた。同じ道を引き返してはならない。

どうしても、靖国に祀るというなら、靖国神社を不戦の為の神社として位置付けてはどうだろう。そうなら世界中の人間も納得するだろうし、靖国法案一本でかたが付くと思うのだが。
 われわれは他人を一方的に非難する前に自ら内省的に考えることは自虐的なことでもなんでもなく、むしろ大人の立派な行為と考える。

 さて、このサイトの目的は漢字を通して文化を探求することであるので、本来の目的に立ち返る。ここで出てきた「謝罪」の「罪」とはいったいなんだろう。
引用 「汉字密码」(P632, 唐汉,学林出版社)


"辠”は奴隷の鼻を切り取ることを示している

 "辠”は“罪 "の初文字であって会意文字である。金文の "辠 " の文字の上部は "自 " で、鼻を示しており ;下部は "辛 " で、奴隷を示している。両の会意で、奴隷の鼻を切り取ることを示している。
 《説文》は "辠を解釈して、「法を犯す」なり、辛と自とから、いわゆる法を犯した者は鼻をしかめて苦辛の憂と言う意味となった。


始皇帝は「辠」の字が皇に似ているということで「罪」に改めた。



 図の示すように、小篆の "罪 " 文字二つがある、一つは金文の "辠 " から来ていて、もう一つは秦始皇が命令して作った新しい "罪 "の文字である。"罪 " の文字 を作って以降、「罪」は、法網に捕捉した下の不法の人を示している。

苟子の必罰主義 

 "罪 "(辠 ) の本義は犯罪者で、古代の割鼻の刑も示している。また拡張されて法を犯す行為、即ち犯罪をいう。《苟子・王制》にあるように、功無く褒めることもしないのは、罪もなく罰することもしないのである。"犯罪を犯した後、必ず処罰される、鼻を切り落とされ非常に苦しい目に会う。

 だから、"罪 " は又拡張され苦痛、例えば "受罪"の様に使う 。

 古代の帝王はたまたま天災と人災があったとき、人民反抗を緩和するために、往々にして"罪己诏 "を公布し、自責することを示す。ここの "罪 " の意味はいわば "呵責 " という意味だ。
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