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2023年6月29日木曜日

漢字「竈」にはどういう意味が? 古代人の火の神への畏敬と東洋的哲学が込められていた


漢字「竈」にはどういう意味が? 「穴+土+蛇」からなる。

導入

前書き

竈は古代中国で住居が整備され始めた時代に住居の中心となる位置に作られた。
 そして、漢字「竈」には、神が存在するものとして神聖視され、大切に祀られてきた思想が込められている



竈門兄弟の名前の出所は
 鬼滅の刃の竈門兄弟はえらく難しい名前である。漢字「竈」成り立ちは?最近こんな難しい字が書ける人はそうおるまい。中国語では簡略化され「灶」と書くが、「竈」というもの見ることがほとんどできなくなって、今や死語のようになってしまっている。少し前、それでも50年程前には少し田舎に行けば、よく見ることができた。  通常は土でできた調理装置である。最近見たのは、高野山の宿坊で見ることができた。






目次


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漢字「竈」の今

漢字「竈」の解体新書

漢字「竈」の楷書で、常用漢字です。
 構成要素は、穴+動物の形象です。両者の会意文字ですが、字統と 解釈は全く異なります。字統では、炊竈とし、空気抜きのあるふたで覆われた炊事設備を言っています。
竈・楷書




 上部は「穴」です。ここでは動物の巣穴を意味します。下部は虫の形象。竈とは土で作った穴の中に何かの動物(おそらく神聖な得体のしれない生き物)が生きていると想像したのではないでしょうか。

 このように考えて初めて、当時の人々が、なぜ竈を神聖視したのかという思想的背景が見えてくる気がします。
竈・金文
竈・小篆
竈・楷書

「竈」の漢字データ

漢字の読み
  • 音読み   ソク
  • 訓読み   かまど

意味
     
  • かまど
  •  
  • へっつい
  •  

同じ部首を持つ漢字     穴、窒、窃、窯
漢字「竈」を持つ熟語    竈馬(かまどうま)、七竈(ななかまど)、土竈


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漢字「竈」成立ちと由来

引用:「汉字密码」(Page、唐汉著,学林出版社)

唐漢氏の解釈

     金文の「竈」という言葉は会意文字です。上部は「穴」です。ここでは動物の巣穴を意味します。下部は古代の火灶の象形図であり、カニの爪の形すなわち芝草で周囲を囲まれ中央に掘られた火の道です。

 小篆の「灶」という文字は、複雑なものから単純なものにされ、楷書は小篆を継承し、「竃」と書きます。簡略化の過程で中国語の文字は、「土かと火と」の「灶」という文字に変更されました。「灶」(説文)は、「灶、調理用灶」、つまりレンガなどで作られた調理器具と解釈されます。

漢字「竈」の字統の解釈

 形声文字 びん 声符は竜の省文。
 〔説文〕 黽に従うて竈を正形とし、「炊竈なり」とし、「周禮に、竈を以 て祝融を祀る」という。奄は黽を覆う形の字で、寵は空気抜けのある蓋で覆う意であるから、〔説文〕の 正字とするところは、奄有の奄に相当する字と考え られる。竈神は老婦とよばれる婦人の神で、竈王に 配祀される。 年末には上天して、家族の年間の功過 の成績を上帝に報告するというので、大いに畏敬され、年末には鄭重にこれを祀ったものである。その採点基準を功過格という。要は古来竈は神聖な場所とされ、家の年間の祭りは欠かせないものであった。

漢字「竈」の漢字源の解釈

 会意文字である。「穴+土+細長い黽(蛇)」。土で築いて細長い煙穴を通すことを示す。



「竈」の歴史

文字学上の解釈

 中国における竈は、半坡遺跡は紀元前5000~4500年の住居址の堀を巡らしたいわゆる環濠集落から発見されています。最も栄えていたときには約200軒の住居があり、2~3人の家族構成であったとすれば,人口は500~ 600人ほどの集落ではなかったかと考えられます。

 日本には、弥生時代の終わり頃、九州北部に朝鮮半島から造り付けかまどが伝わります。 これは竪穴建物の壁面に粘土などで構築して造り付けるもので、古墳時代前期(3世紀後半)には近畿地方でも見られるようになります。

 このように、竈が作られるのは、少なくとも竪穴式住居において初めて作られることとなり、しかもこのころは、各戸にすべて供えられたわけではなく、共有の共同設備だったようです。

 半坡遺跡の場合人口が500~600人の大集落ですから、これだけの人間の生活を支えるだけの農耕が発達してなければなりません。

 これを日本の登呂遺跡から推量してみると、登呂には12の住居跡がありました。1軒あたり5人が住居していたと仮定すると、人口は60人になります。登呂遺跡における水田面積(75.010m2、 約7町5反)から米の収量を計算し、毎日全員が3合(約0.4キログラム)の米を食べたとすると、とても60人分の食料をまかなうことができなかったという結果になります。 したがって、単純に人口比で耕地面積を算出すると、半坡遺跡では、登呂遺跡の10倍の750m2耕地面積は必要であったと考えられます。

まとめ

 竈は古代中国で農耕が発達し、人口も増え、人々が集落を形成し、住居が整備され始めた時代に住居の、集落の中心となる位置に作られた。 そして、そこには神が存在するものとして神聖視され、大切に祀られてきた。

 漢字の「竈」は土で作られた穴の中に、煙を通す(蛇)神が住み着いているという畏敬の対象となった古代人の思想が色濃く刻まれている。

 ここにきて竈になぜ虫がいるのか、その虫が突然虫に変わった時の驚きが字で表現されていると私なりに納得できた。これは深い話である。

  

漢字「竈」の由来と成り立ち:竈門兄弟の名前の出所は  ☜ 以前アップしたものをバージョンアップしました。進化(?)の後をご確認ください

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2020年11月4日水曜日

漢字「竈」の由来と成り立ち:中国語では簡略化され「灶」と書く



 鬼滅の刃の竈門兄弟はえらく難しい名前である。漢字「竈」成り立ちは?最近こんな難しい字が書ける人はそうおるまい。中国語では簡略化され「灶」と書くが、「竈」というもの見ることがほとんどできなくなって、今や死語のようになってしまっている。少し前、それでも50年程前には少し田舎に行けば、よく見ることができた。

 通常は土でできた調理装置である。最近見たのは、高野山の宿坊で見ることができた。







引用:「汉字密码」(P765、唐汉著,学林出版社)
唐漢氏の解釈

 金文の「竈」という言葉は会意文字です。上部は「穴」です。ここでは動物の巣穴を意味します。下部は古代の火灶の象形図であり、カニの爪の形すなわち芝草で周囲を囲まれ中央に掘られた火の道です。

 小篆の「灶」という文字は、複雑なものから単純なものにされ、楷書は小篆を継承し、「竃」と書きます。簡略化の過程で中国語の文字は、「土かと火と」の「灶」という文字に変更されました。「灶」(説文)は、「灶、調理用灶」、つまりレンガなどで作られた調理器具と解釈されます。





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