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2023年12月16日土曜日

漢字「賢」の由来:神に捧げられた徒隷であった。やがて巫女の仕事もこなすようになり最後は賢者となったかも


漢字「賢」の由来と成立ち:眼を傷つけられた奴隷の多才なるものを意味し、「臣+手+貝」からなる。

 「賢」は「臣」(恭順な奴隷の眼に辛を加えて奴隷の身分を明確にしたものを「臣」という。)の多才なものを取り立てた奴僕を「賢」とした。後に、その社会的地位は上昇し、尊称で呼ばれる存在となったと同時に、奴僕の地位からは解放された。後世『竹林の七賢人』といわれるように、その文芸や諸芸の才能が注目されることとなった。日本の太安万侶のような存在だったか(もっとも彼は徒隷ではなく、れっきとした貴族であったが・・)
 この記事は先にアップした『漢字「賢」の成り立ちから何が見える』を加筆修正したものである。



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漢字「賢」の今

漢字「賢」の解体新書


漢字「賢」の楷書で、常用漢字だ。
 賢の本義は恭順で能力のある仕事のできる人、即ち後世の例えの「徳才兼備」な者をいっている。
 この「賢者」で、すぐに筆者の頭に浮かんだのは、春秋時代の越の宰相。范蠡である。
 この人は呉越戦争の中で、越の再興の最大の立役者であり、国を再考させて後は、さっさと身を引き、他国で事業を起こし、財を成した人である。

 この「賢」と同じような意味の漢字に「敏」がある。「敏」の方は、《論語》の中で、敏捷干事、寡言実行、即ちあまり多くを語らず敏速に事を行うことに重点を置いた才能をいい、これは孔子が心に思う君子のことだ。
賢・楷書




  
賢・甲骨文字
恭順な眼(前の臣の字を参照せよ)と作業する手からなり、良い奴僕の意味だ
賢・金文
甲骨文を引き継いでいる
賢・小篆
金文の漢字の下に財の符号(貝)を加えている。秦漢の時期には仕事が出来る、才能がある、その上に銭がある(金持ち)ことが賢の要件になっている。




 

「賢」の漢字データ

漢字の読み
  • 音読み   ケン
  • 訓読み    かしこ-い

意味
  • かしこい。利口。才知にすぐれた。
  •  
  • まさる。すぐれている
  •  
  • すぐれた人  相手に対して敬意を表すために言葉の頭に冠して用いる

同じ部首を持つ漢字     堅、緊、腎
漢字「賢」を持つ熟語    賢者、賢人


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漢字「賢」成立ちと由来

引用:「汉字密码」(Page、唐汉著,学林出版社)

漢字「賢」の世俗的な解釈

 賢は会意文字だ。甲骨文と金文の構造形は、恭順な眼(前の臣の字を参照せよ)と作業する手からなり、良い奴僕の意味である。小篆の「賢」の字はその下に財の符号(貝)を加えている。秦漢の時期には「賢の標準は昇格して恭順ばかりではなく、仕事が出来る、才能がある、その上に銭がある(金持ち)という意味になっている。

漢字「賢」の神とのかかわり:字統より

 漢字「賢」は臤+貝からなる。「臤」は「賢」の初文。「賢」はもともと貝の良質のものをいう字であったろう。  臤は臣すなわち臣の眼を、又(手)を加えて傷つけるもので、神に捧げられた徒隷をいう。臣や妾はもと神に使えるものであった。多才であることは神に仕える重要な条件であった。


漢字「賢」の漢字源(P1511)の解釈

会意兼形声
 臤は「臣(うつぶせた目)+又(手、動詞の記号)の会意文字で目を伏せて身体を緊張させること。賢は「貝(財貨)+音符臤」でがっちりと財貨の出入りをしめること。緊張して抜け目のないかしこさを表す。



漢字「賢」の変遷の史観

文字学上の解釈

 すでに見てきたように、臤は賢の初文である。この文字の進化の過程を手繰ると変遷の歴史が極めて明瞭に浮び上る。
 即ち最初に神にささげられた臣(徒隷)があり、徒隷は神に仕える要件として目を潰されたのではないだろうか?(神に身をささげるために眼を潰すことが行われたかどうかについては、明らかではないが、この時代に奴隷であることを明示的にするために、目に入れ墨を施すこともあったと言われるから、この眼を潰して神の声だけを聴くことを要求されたことは十分に考えられる。
 神の声を聴き、周りに伝える巫女の従者のような役割を担っていたのかもしれない。こうした徒隷は高い知能を要求されていたであろう。ここに単なる臤から賢に変わる社会的変化があったと考える。
臣・甲骨文字
恭順な眼
手・甲骨文字
臤・甲骨文字
臣下の目に手を加え眼を潰すことを意味している



まとめ

  「臤(ケン)」が「賢」の初文であり、もともと「神に捧げられるために目をつぶされた下僕」を表していた、という漢字の変遷には、社会的・文化的な背景が深く関係しているでしょう。その変化の社会的要因について、以下の点から考察できます。
  1.  身分制度と宗教的儀礼の変化
     古代中国では、神への供物として生贄(いけにえ)を捧げる文化がありました。その中で、奴隷や下僕のような階層の人々が特別な儀式のために犠牲となることもあったと考えられます。
    しかし、時代が進むにつれ、社会の安定化とともに、人間を生贄とする風習は廃れました。代わりに「忠誠心」や「知恵を持つ者」こそが価値ある存在とみなされるようになり、単なる犠牲者ではなく、社会に貢献する「賢者」へと意味が変化した可能性があります。
  2.  経済と貝貨(財)の影響
     漢字の「貝」は、古代中国で貨幣(財産)を意味していました。「臤」に「貝」が加わり「賢」となったことは、知識や忠誠心が経済的価値を持つようになったことを示唆しています。 つまり、古代社会では「知恵を持つ者」「忠誠心を示す者」=「財産を管理する能力がある者」とされ、賢さが富と結びついて評価されるようになった可能性があります。
  3. 官僚制度の発展
     中国の歴史の中で、特に春秋戦国時代から秦・漢時代にかけて、儒家思想の影響が強まりました。この時期には、知識を持ち、道徳的に優れた者が官僚として採用されるようになります。
     もともと「神に仕える下僕」としての「臤」が、「忠誠と知恵を備えた者」へと再解釈され、最終的に「貝」が加わることで「社会にとって価値ある賢者(官僚)」という概念に発展したのではないかと考えられます。
以上を要約すると、 「臤」→「賢」への変化は、以下の社会的要因が影響したと考えられます。
  • 宗教的儀礼の変化(生贄の衰退、忠誠や知恵の重視)
  • 経済価値の変化(知識=富と結びつく)
  • 官僚制度の発展(知識人の地位向上)

  • このように、社会の変化とともに漢字の意味も変化していったと考えられます。
 漢字一字一字に歴史がある。しかしそこに歴史への洞察がなければ、「うわ、似てる」の感嘆詞で終わってしまう。
  
 
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