2023年8月8日火曜日

漢字・北の由来と意味するもの:「人が背を向けている様子」と「北」のどちらが原義?


漢字・北 の原義は「背反」か、方角の「北」か

漢字・北 の原義は「背反」か、方角の「北」か


  2017年の漢字が発表された。 日本漢字能力検定協会がを全国から募集した結果、153,594 票の応募の内、「北」が 7,104 票(4.63%)で 1 位を獲得したようです。
 その心は「北朝鮮」というところだろうか。そのほか、九州「北」部の記録的豪雨、大谷選手の大リーグ移籍や清宮選手の入団など「北」海道日本ハムファイターズに注目が集まったことなどが理由となったようです。

 漢字「北」の意味は、二人が相背くということ 方角の「北」という意味を持っている。 問題は古代ではこの二つの意味のどちらが先に使われたのかということである。




漢字「北」の今

    甲骨文字「北」分解分析:
    左側:人の正立側面象形記号 
    右側:人を表す記号を左右反転させている
  1. 二人が相背くということ
  2.  
  3. 方角の「北」という意味を持っている。 
  問題は古代ではこの二つの意味のどちらが先に使われたのかということである。
 実際の生活上では「北」という方角を知ることが非常に重要なことであることは容易に想像できる。
 また人々が集落を作って、集団で生活をするようになると、人の立ち位置が非常に重要になってくる。

  ある概念が重要視されるか否かは、その社会の成熟度、文明の発達度によって変わってくる。
  つまり「北」という概念は、その社会がある程度発達して初めて、人間関係を表すようになるのではないかと考える、


引用:「汉字密码」(P335、唐汉著,学林出版社)

漢字「北」の解体新書



 甲骨文字は、人が背を向け合っている様が見て取れる。これは反目している状態の会意文字であるというのが通説であるようだ。この説明からは北という字が「背」に使われているなどには確かに説得力がある。白川静氏の「字統」の中の説明でも、二人相背く形とあり、「説文」の「二人相背くに従ふ」とあり、「背」の最初の文字だと説明している。この解釈が、一般的である。


漢字「北」の甲骨文字


  これに対し、わが唐漢さんの解釈は、甲骨文字の形は一人の人間と影である。正午自分どこに向いていても、影の頭はすべて北向いている。北方の冬の時期は人影は一般に長く地上に映え非常に顕著である。このため古人は地上の影が向いている方を北とした。

 北と南は相対する。4つの主要な方向の一つである。甲骨文字の形は一人の人間と影である。正午自分どこに向いていても、影の頭はすべて北向いている。北方の冬の時期は人影は一般に長く地上に映え非常に顕著である。この為古人は地上の影が正対している方を北とした。古人が唐漢氏のように考えていたかは別として、その着眼点については、なるほどと思わせるものである。

 しかし、これらの考えは須らく北半球に住む中国人の発想であり、南半球に住むインディオなどの民族では様子が違うようである。事実、
南半球にある神殿の正面は一般的に北向きです。これは、南半球では太陽が北側から見て東から昇り西に沈むため、北向きの正面が太陽の動きに対して最も適しているからです。これにより、神殿の内部は太陽の動きによって適切な光と影を受けることができます。 ただし、特定の神殿や建物は、その地域や宗教的な伝統に応じて異なる方向を向いている場合もあります。建物の方向は様々な要素によって決定されることがあり、単純に南半球にあるからといって必ずしも北向きとは限りません。特定の神殿に関する情報を得るには、その神殿の名称や場所を具体的に知る必要があります。

唐漢氏の解釈

 古人の建てた家屋は多くは南向いている。而して影は北向きである。この種の南向きの建物で北にある部屋は中国では「正房」、「上房」と称する。古代両軍が交戦するとき戦争に負けた方は追手に背を向けて逃げる。その方向は正に自分の背中の方である。即ち本来影の位置する方向で、これを敗北と言う。
 

北向きは敗北を意味するのは何故

 上記の宮殿や神殿は南向いている。従って、北向くのは「敗北」を意味すると「北」=「敗北」という発想が生まれたという説がある。

しかし、これらの説は北半球に依拠した考えで、南半球の人は異なるのではないかという説もあります。  南半球にある神殿の正面は一般的に北向きです。これは、南半球では太陽が北側から見て東から昇り西に沈むため、北向きの正面が太陽の動きに対して最も適しているからです。これにより、神殿の内部は太陽の動きによって適切な光と影を受けることができます。 ただし、特定の神殿や建物は、その地域や宗教的な伝統に応じて異なる方向を向いている場合もあります。建物の方向は様々な要素によって決定されることがあり、単純に南半球にあるからといって必ずしも北向きとは限りません。特定の神殿に関する情報を得るには、その神殿の名称や場所を具体的に知る必要があります。

 このことから言えるのは、北に向くから敗北というのではなく、太陽に背くから敗北につながるという考えが成り立ちます。



漢字「北」の字統の解釈

 二人相背く形。「説文」に「背くなり。2人相背くに従う。」とあり、背中の初文。卜文・金文に北方の意に用い、また地名にも用いており、古くその音があった。相背く意より敗北、敗走の意となる。

 

まとめ

  • 漢字「北」は方角の「北」を示すというのは今更変えようがない。
  • そしてさらに、二人が相背くという意味を持っているのは甲骨文字から見てまぎれもないことのようだ。
  • さらに第3の北を向くことは敗北に通じるという解釈は、「太陽に向いていない」から敗けることに通じると考えてもいいのではないかと思う。



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2023年8月5日土曜日

漢字「男」はどのようにして生まれ、どのように変わっていくのだろう


漢字「男」の起源と「男」という漢字は、ユニセックスの荒波の中でどう変化するのだろう


導入

 私たちは今どのような位置にいるのだろうか?

前書き

 この記事は「『男』という漢字の起源と由来は」を加筆修正したものです。
 男と女の関係は性的なものは別として、その社会的地位はずいぶん以前から男性上位と考えられてきた。人類が穴居生活をしていた頃は、まだ男と女の役割は現在ほどはっきりしたものではなかった。

 しかし農耕が発達し生産力が増強されるにつれ、より男性のパワーが求められるようになった。同時に家の在り方も変化し、母系制家族から父系制に移り変わっていった。この変化の画期をなしたのは、秦の始皇帝による国家の統一である。始皇帝は当時まだ残っていた入り婿の制度を廃止し父系制を確立した。

 それから3000年近く経過し、生産力は著しく増加し、従来の国家の枠組みすら取り払われ、グローバル化の波が押し寄せている。しかしこの波といえどもほんの30~40年のことであり、人々はこの急激な変化に追随するのに苦労している。

 労働の役割についても、以前とは異なる様相を呈している。ロボットやITの活用によって、労働における男女格差は著しく縮められてきた。
 近い将来、このままでは男と女の性差が消滅せざるを得ない時期が想定される。子供を産むことすらも、男と女の間に区別がなくなるのかも知れない。
 そのような時に、漢字の男と女という字はどのように変化しているか全く予想はつかない。


目次



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漢字「男」の今

漢字「男」の楷書で、常用漢字です。
 その構成要素は「田」と「力」です。そしてこの漢字の甲骨文字は、「田」と「耒」とから構成されるという説が有力です。しかし、これは耒ではなく、男根であると唱える人もいます。これらの説がどうであれ、現在は、男性、男として使われています。しかしこの言葉自体も、著しい世の中の変化の中でどのように変化するのか、全く予想がつかないものです。 
男・楷書男・甲骨文字


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漢字「男」の解体新書

  
男・甲骨文字
男・金文
男・小篆


 

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「男」の漢字データ

漢字の読み
  • 音読み   ダン・ナン
  • 訓読み   おとこ

意味
  • 性別で雄
  •  
  • 立派な仕事をした
  •  
  • 大人の男、子供ではない男

同じ部首を持つ漢字     男、甥、舅、虜
漢字「男」を持つ熟語    男、男前、大男、


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漢字「男」成立ちと由来

引用:「汉字密码」(P470、唐汉著,学林出版社)

「男」の字の成り立ち」

唐漢氏の解釈

 男という字は会意文字である。甲骨文字の男という字の左は「田」である。意は農耕のことである。
 右辺は力これは「加」や「幼」の中の記号と同様である。元々は男の生殖器を指しており、ここでは男の意味である。
 金文の男の字は が田の下にある。小篆の形体は基本的には金文と同じである。ただ力という字が完全に「田」の下に来ており形体もまた少しごちゃごちゃしている。楷書の      「男」は小篆を引きついでいるが、「田」と「力」で簡単明快である。

漢字「男」の字統の解釈

 会意 田と力とに従う。力は末の象形。 田と農具 のと合せて耕作のことを示すが、古い用法では その管理者をいう。〔説文〕 一三下に「丈夫なり。田 に従ひ、力に従ふ。男は力を田に用ふるを言ふなり」とするが、力は筋力の字ではなく、耒の象形である。

 文では、田と耒との組み合せかたは、かなり自由である。[令彝]に男は農耕の管理者とし 外服(外域) 諸侯の一にあげられている。

 一般に男子は、詩篇では士 といい、士女と対称するのが例であった。士は戦士階層のもの、男は耕作地の管理者を意味する。 下層 の男は夫といい、概ね農夫であった。その管理者を、のちには大夫といい、卿・大夫・士のように士の上 に位置するが、 氏族員たる戦士階級が没落して、農奴の管理者である大夫の地位が、政治的な階級に高められたのである。男は大夫の古称とみてよい




漢字「男」の漢字源の解釈


 会意。「田(はたけ、狩り)+力」で、耕作や狩りに力を出すおとこを示す。ただし、ナムnamという音であらわされることばは、納napや入niapと同 男系で、いりむことして外から母系制の家にはいってくるおとこのこと



漢字「男」の変遷の史観

文字学上の解釈

文字に現れた社会構造の変化

殷の時代に起こった劇的な変化とは
  男の字の本意は地方の諸侯の放牧地のための男の衛兵の服務である。殷商の初期、農耕は未だ「焼き畑農業」が主力の時代、社会的には氏族共同体の時代であった。

後世の土地制度の範となる「井田制」現る
 そしてこの田という字は商王朝の初期に現れた井田制のことであろう。これは土地を9区画に区切り真ん中を公田とし、この部分は王朝の所有で、残りの8つの区画は私田として、地主や邑(ゆう)という部落の長の所有とされた。そして、その王朝所有の区画を奴隷制を基礎とする氏族の耕作でまかなった。しかしながらたとえ農耕の主力が女としても、氏族の集団で狩をしたり、狩猟は男の担当であった。このようにして甲骨文字の中の「男」の字は、商王国の中のもっぱら農耕部落の首領をさすようになった。すなわち男の服務の首領である。

井田制を基礎とする封建制の発展
 商が滅んで周の後、この地所の西北の一隅の農耕民族、華夏民族にとって民族的歴史に真の農耕時代をもたらした。生産力のは点はまさに爆発的であった。このときから狩猟活動は減少し、農業技術の飛躍的な発展により、強力な国家体制が出現し、更なる労働力を求めて、外へ外へと拡大を続けるようになった。

生産力の発展は更なる生産力を求め、奴隷や女を必要とした
 こうして起こった劇的な社会変化で、女子はその生理的条件と社会的地位の制限により、農耕領域では二の次の生産者の位置に下がってしまった。この頃の戦争の目的は、侵略と略奪により、奴隷として労働力を獲得すると同時に、戦利品として、女を獲得し、労働力の増殖に供することであった。農耕と男子のこの種の関係は、「男」の字に新しい意味を付け加えることになった。農耕即ち男子のことである。故に男子と称するようになった。「説文」で男は主人である。田と力から、力を持って田をなすことを男という。

まとめ

文字は社会の母斑である

 孔子が理想の社会として敬んで止まなかった西周の時代というのは、未だ社会的には士族共同体の特質を色濃く残していた時代だからこそ生れたのであって、春秋時代になると、社会が礼節で収まるような時代ではなくなってしまったのである。
 甲骨文字から小篆に至る「男」という文字の変化をこうして眺めなおしてみるのも面白い。

  


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