2019年6月2日日曜日

中国語で泥棒を意味する漢字「小偷」の「偷」と「盗」との違い!


漢字「俞」と「盗」の違いは?
 中国の笑い話に「牛泥棒」というのがある。これはNHKの中国笑話選という中国語教材に掲載されていたものですが、今日はこれを紹介しながら、漢字に迫って行きたいと思う。
昔々ある時、一人の男が道端に首枷をハメられてうずくっていた。
たまたまその時、男の友人が通りかかって、男を見て驚いて尋ねた。
 「お前は一体何をしたんだ。そんなに首枷をハメられ、どんな悪いことしたんだ?」
 男は自嘲気味に答えた。「実は、道端に縄の切れ端が落ちていて、それを家に持って帰ってしまったんだよ。」
 友人を驚いて尋ねた。「たったそんなことで、なんで首枷までハメられるんだ。何か他に大きなことをしたんじゃないの。」
 男はそれに答えていうには、「実はその縄の先に運が悪いことに牛が一頭繋がっていたんだよ」
 とぼけた話ですが、ここに出てくる、泥棒は中国語では、「小偷」というのですが、今日はこの「小俞」の「偷」について、お話したいと思います。

 漢字の成り立ちからいうと、この「偷」という漢字は、人偏+「俞」で俞をする人という成り立ちになります。字面通りいうと「中を抜く人」とでもいうのでしょうか。
 一方同じ意味で「盗」という漢字がありますが、こちらの方は、「お皿の食べ物によだれを垂らす」様を表現した漢字ということです。これについては、後日改めて取り上げたいと思います。

 ということで、ここではまず「俞」の成り立ちから。



引用:「汉字密码」(P756、唐汉著,学林出版社)
「唐漢」さんの解釈
 "俞"、これは会意字です。甲骨文字の下の部分は船の絵文字で、小船の象形文字です。上の部分の三角形の符号は、前進を意味します。
 金文の「俞」では左側は「ボート」ですが、上の三角形は右に移動し、併せて縦長の曲線は前方へのセーリング(反対側に川を渡る)の意味を強調しています。小篆の "俞"の字は、まさに前に行く符号が2つに分割し、前の三角形は上部に移動し、下部の長い曲線は "水を行く様を表している。楷書では水貌が立刀に変化したことを示している。


漢字源
会意文字である 左に 船を右にこれにくりぬく刃物の形を添えたもの 「説文解字」に 木を中空にして船と為すなり」とある。偷(抜き取る→盗む)・癒(病根を抜き取る)。踰(中間の段階を抜いて進む→越える)、輸(物を抜き取って車で運ぶ)などの音符として含まれ、抜き取るという意味を含む。

 熟語では、「愉悦」という言葉がありますが、セックスなどで、気持ちが良くなり、「心(リッシン偏)+俞(中身がない)」(心が抜けた)状態を言うのかもしれません。

 こうして考えると、「偷人」(他人の男を寝取った人)と「盗人」(盗んだ人、泥棒)の違いが、納得できますね。



字統の解釈
会意文字。船と俞に従うとあります。 字統では「手術用の取っ手のある大きな針」としています。
この針で膿血を番に写し取るのである金文の字型は針の横に斜線が入っているが、これは膿血を盤に移すことを示すことによってその患部が治癒するので、膿が取り除かれ傷が癒され心が休まる事をいう。
 


後書き
 漢字のルーツを読み解くというのは、非常に難しい。このページでも挙げた、唐漢氏、藤堂先生、白川先生の3人のご意見もてんでばらばらだ。言い出したものが勝ち、いいたい放題みたいに感じてしまう。しかしそれだから面白い。このページで掲げた「俞」を旁とする漢字でも「瑜喻渝榆谕愉諭輸踰」が、たちどころに上がって来ます。これらの漢字から、「共通する」意味を抽出し、成り立ちに迫る態度が望まれるのでしょう。


「漢字の起源と成り立ち 『甲骨文字の秘密』」のホームページに戻ります。

2019年5月6日月曜日

大阪都構想を原点に戻って考える:漢字「都」の成り立ちは


漢字「都」の起源と由来
 漢字「都」の原義から「大阪都構想」を考えて見るとどうなる?

大阪都構想
 大阪で大阪都構想が議論になって久しい。大阪市民や府民にとっては、『大阪都』という響きの持つ魔力に取り付かれ、なかなか離れられないらしい。これまで大阪では、橋下前知事のときに、「大阪都構想」で府民投票に打って出て、大阪府民の同意を得られず、いったん撤回された感じであったが、ここに来て息を吹き返してきている。
 前回の橋下知事と今回の松井知事の間にはそれなりの時間経過があったわけだが、その間「大阪都構想」という構想に議論の深まりがあったわけではないように思う。

都構想議論に見る感性と理性
 私は最近つくづく感じるのは、日本人というのは、大阪人に限らず、議論をつめて考えるのが苦手なようだ。「どちらかというとことをファジーにしておきたがる、余りつめてものを考えない。」国民性を持っているようだ。きっちりものを理詰めで考えようとすると、「あんたは理屈っぽい」といわれ、如何にも議論することが子供じみているかのように考えられる傾向にあるのではないだろうか。

 それに加えて、言霊伝説なるものがあるようで、言葉の中身より響きに惑わされてしまうようだ。理性より感性に重きを置くことになって、議論が深まらない要因の一つであると思う。

 ならば、ここで「都構想」の大本の「都」とは何かそもそもどのような成り立ちかに立ち返ってみようと思う。

引用 「汉字密码」(P727, 唐汉,学林出版社)

「都」は多くの小さな町を従えた大きな都市
 「都」は会意文字である。金文の「都」の字は左右が結びついたものになっており、右辺は「邑」で「人が集まって住む都市」を表し、左辺は「者」という字である。もともとは漆塗りの器の意味である。両形の会意で、多くの小さな町を従えた大きな都市を指している。

国の城(街)を都と言う。いわば国君が住むところ 今の人は国の首都を「都」と称す。 《释名•释州国》:「国城曰都,言国君所居,人所都会也。」 国の城(街)を都と言う。いわば国君が住むところで、人皆会うなり」また拡張して大都市という。



都構想の問題を複雑にしている問題
 こうしてみると、大阪はまさしく大阪都と呼ぶに相応しい規模と資格を備えているように思うが。
 悲しいかな、議論は単なる規模の問題ではなく、行政組織の問題になっているからややこしい。話の発端は何か?「二重行政の解消」から、「行政組織の簡略化」、「大阪万博」、「カジノ」といった問題が持ち込まれ、結果として話をややこしくしている。


複雑な問題を解消する鍵は?
 大阪都構想の問題を複雑にしている原因は、そもそもの行政改革の問題ではなく、(つまりそこには本質的な問題はなかった)府民の金を横取りしようとする利権集団の問題ではなかったのかということに落ち着く。府民の金と府民の土地を使うのだから、利権集団の懐に入るのではなく、府民が豊かになるようにすると、ことはきれいに片付くように思う。


「都」は「全てが集まるところ」の意味で、中国語では「全て」という意味に使われる
都市は庶民が物品を合わせ集めるところで、だから拡張して集合の意味になった。聚集から「全てが集まるところ」の意味で、完全とか全部を表す。杜甫の「喜雨」の詩"农事都已休,兵戎况骚屑。"ここでの「都」は即ち総括を表す。都は副詞を作り、強調する作用もある。例えば「连里头的衣服"都"淋湿了」この解釈は「中の服でさえずぶ濡れだ。」
  


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