2020年4月1日水曜日

漢字・戈と止(歩く)から成立ち、武器を持って進める・制圧する意味


コロナで一躍クローズアップされた「武」の付く街・武漢は6000年の歴史を耐え抜いてきた街だった
黄鶴楼
コロナで一躍クローズアップされた都市だが、その歴史は古く6000年前の新石器時代に遡る。紀元前18世紀〜紀元前14世紀前期には殷・方国都邑が保存され、長江流域の唯一の殷代都市遺跡として知られる。
 そして前漢には正式に一行政単位となり、三国時代には、かの有名な黄鶴楼が建設されている。

 その後一貫して、全国有数の水陸交通要衝として、重要な役割を担ってきた。

 そして近代に至っては、1911年に武漢の中の武昌で武昌起義が発生し、辛亥革命が勃発した。



武漢長江大橋:
黄鶴楼から長江を渡る大橋を望む
全長1670m、道路部の幅22.5mの
2層桁橋である
諸元:
 面積 :総面積 8569.15 km² 市区 1557 km²
 海抜 23.3(平均) m 
 人口: 総人口(2017) 1089.29 万人
 人口密度: 1271.17 人/km²
 市区人口(2016) 858.82 万人
 市区人口密度 1万5170 人/km²
 経済 GDP(2017) 1兆3410億3400万元
 一人あたりGDP 12万3111元


引用:「汉字密码」(P603、唐汉著,学林出版社)
武は「戈」と[止」で構成され、武装示威の意
[武]は武器を以って制圧する意味
[武」の上部は「戈」(武器)、下部は「止」(足跡)の二つの部位から構成されます。戈止の会意は、討伐を意味し、武装示威の意味です。
 「戈」は武器を意味します。金文の[武]は 「戈」の下の「止」に移行しています。既に楷書の最初の形式です。 小篆は甲骨文字の上部と下部の構造に戻りましたが、ただし戈止の会意の基本構成は変更されていないため、楷書では「武」を使用しています。 

字統の解釈
戈と止(あし)に従うとあり、唐漢氏とほぼ同様の解釈であり、説文の中の許慎の解釈に異を唱えている。「止」を許慎は文字通り「止める」と解釈しているが、これは許慎の解釈の間違いで、止めるではなく、進めると解釈すべきであるとする。



漢字源の解釈
会意文字。「戈」(ほこ)と「止」(あし)で、戈を持って足で堂々と前進するさま



結び
 コロナで一躍有名となった武漢は、大きな汚名を着せられた。確かに初動の対応が遅れた部分はある。その謗りは免れないとしても、その一方で資本主義は、この世に資本主義が跋扈して未だ僅かに200年を経ずして、その富の追求は人々の生活を破壊し、地球までもグローバリズムの名の下に呑み込んでしまったこの惨状をもう一度考え直さざるを得ない時点に今我々は置かれている。
 片や6000年の歴史に耐え抜いてきた武漢は、非難の対象にさらされている。武漢は共産党の支配下にあるから誤ったのではない。事実資本主義の牙城ともいえるアメリカのニューヨークの惨状をどう見る?武漢の過ちは人間の過ち。ニューヨークの過ちも人間の過ち。
 ここで物事の本質を見失ってはならない。資本主義の持つ危うさを我々は今一度考え直すべきときではないだろうか。今まさに価値観の見直しを求められている。


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2020年3月9日月曜日

漢字「公」:政治は「公」のもの、だとすれば公開が大原則!!


漢字「公」は氏族の共有の財産であった男の若者たちが「公開」の場所に住んでいたことに由来する
 政治は「公」のもの、だとすれば公開が大原則!!
 最近日本では、公の文書が勝手に廃却されたり隠されたりする事件が相次いでいます。

 漢字「公」は氏族の共有の財産であった男の若者たちを意味する。事実、雄牛を「公牛」、雄鶏を「公鶏」、雄豚を「公猪」と呼んだ。これらはかつての母系制社会であった氏族制度の社会構造を反映したものである。


 そして、春秋戦国時代の荒波を経て、秦の始皇帝が天下を統一し、農耕が発展し、母系制が崩れるようになると、社会は男性が優位になり、女性は一段と低い地位に押し込められるようになる。

引用:「汉字密码」(P882、唐汉著,学林出版社)
唐漢氏の解釈: 「公」の本義は男だという
「公」の本来の意味は若者です。たとえば、甲骨文字の「公宮」という言葉は、「王室の家父長制」の時代に男性が集合的に住んでいた家を指します。
 昔雄鶏のことを公鶏、雄牛のことを公牛とよんだ。これは未だ氏姓制度の時代は、若い男は氏族の共通の働き手であったことから、家を持つことは許されず、女の持つ家庭に夜な夜な通っていた民俗があったからです。牛や、豚、鶏にしても共通の財産であったわけです。


字統の解釈
儀礼を行う宮廷の廷前のところの平面形の象形だとする。廷前の左右に障壁のある形であるとする。



漢字源
 会意文字であるとする。下部は「私」の原字で、三方を取り囲んで隠すことを示し、上部の「八印」はそれを左右に分けることを示している。



結び
以上の三者の解釈を総合すると、字統の神がかった解釈は別として、「公」が共通の場所にいる、若者を指していたということは十分考えられます。

  「詩•召南•采繁」:「被之僮僮,夙夜在公。」の中には「子供」と言われていたときは、夜は公宮にすむとあり、ここで、「公」は男性が住んでいる場所を指しますが、「公宮」はこの時点で既に公の場所の意味を兼ね備えていたと考えられます。

 結論:漢字「公」は氏族の共有の男たちを意味する。ここから公開、共有が派生した


 現代は「公」はおおやけのことと理解されます。そして政治は公のことであるし、自分のことは「私事」といわれ、建前では、一段低いこととみなされます。公のことは必然的に公開されるべきで、誰の目に触れるようにし、誰にも公平であるものでしょう。ところが最近日本では、公の文書が勝手に廃却されたり隠されたりする事件が相次いでいます。何故でしょう。これは公のことを自分の不利益になるとして、私事としたい連中がいることを示しているように思えます。漢字の「私」はまさしく自分のものとして取り込んだり、抱え込んだりすることを表しています。

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