2019年1月17日木曜日

「光」はフレッツ、光通信色々あれど、漢字「光」の由来は?


漢字「光」の起源と由来
 今年の歌会初めは16日に執り行われた。今年のお題は「光」である。陛下自身が決められるのは平成最後になる。
「贈られしひまはりの種は生え揃い葉を広げゆく初夏の光に」
 この歴史は平安時代に遡ると言うが、国民的行事として定着したのは、昭和22年(1947年)からだという。

引用:「汉字密码」(P320、唐汉著,学林出版社)

「光」の字の成り立ち」
 「光」、これは会意文字です。 甲骨文字の「光」言葉:下の部分は右向で跪いている人の形、上の部分は「火」です。字全体は「火」と「人」で構成されています。まるで照明を灯すのように火を持って高く掲げている人のようです。 金文は頭の上の「火」に単純化を施し、上にさらに2点を追加して、光芒を表現しました。 小篆の「光」の字は金文を受け、下部には人の形が「儿」に変化しています。そして楷書は「光」と書きます。



 個々にあるヒエログラフから、見ると単純に、頭上にろうそくに火を付け、はちまきで巻いて一心不乱に祈り狂う祈祷師の姿を思い受浮かべてしまうのは致し方ないかも知れない。(私自身の貧しい発想から)太古の昔の祈祷というのは、そのようなものではなかったのかと想像してしまう。だがこのようあのオドロオドロした光ではなく、実際私達は、春の草木が一斉に芽を出し、その間に光がキラキラ輝く光はこの上なく眩しく美しいものと思う。

 しかしそんな春の光や、海面に跳ね返る光を実際絵や字で表現しようとした時、非常に難しいものを感じてしまう。光を表現するときには、どうしても、松明や蝋燭のように暗い中で光る限定された光になってしまうのではないだろうか。
 結局、光を字で表現しようとする時、古代の先人たちがしたような表現方法になってしまうのではないだろうかと考えてしまう。


漢字源
 会意文字。人が頭上に火を載せた姿を示す。四方に発散する意を含む。


字統
 「火」と「人」に従う。人の頭上に火光をしるすが、その行為の意味を明示する造字法によるものである。火は古代において極めて神聖なものであるから、これを聖職として掌るものがあった。 


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漢字「執」:人の名前に最適の漢字では?


漢字「執」の起源と由来
 この漢字は珍しく、漢字源、字統、唐漢氏の解釈が一致した。また説文では、「罪人を捉えるなり」としている。

引用:「汉字密码」(P628、唐汉著,学林出版社)
「執」の字の成り立ち」
 甲骨字の「執」という言葉は、人の両手が手枷でロックされているような形状です。 金文の「執」という言葉は、手を伸ばした「人間」と「幸運な」という言葉に分解され、象形の意味を失われています。 小篆は真っ直ぐ伸ばした両手の人間の形が " "という字に変わっています。そして楷書は"執"と書きます。 

 また、唐漢氏は同義語として「持」を上げて、両方共に「掌握」を意味することができるとしているが、その違いは 「執」の本来の意味は逮捕することであり、その意味が強く堅固である時、いわゆる「坚持、固执、执掌」のように「執」が使用されています。一方、「持」は保持に焦点が当てられ、持ったあとも変わらず変更されないようなときに、「持久、持续、相持」等「持」が用いられていると説明しています。


漢字源
 会意文字。手枷と(人が跪いた形)」、座った人の両手に手枷をはめ、しっかりと捕まえたさま。

字統
 会意文字。「幸」と「ゲキ」とに従う。「幸」は手枷。手に手枷を加える形で、罪人を拘執するをいう。


あとがき
 「幸」は元々手枷のこと。なぜ手枷が「幸せ」なのかは、関連記事を読んでください。
これこそ、ものは考え様の手本みたいなもの。物事を前向きに考える大切さを教えてくれる漢字です。
 そして、「執」とは、この「幸い」に捉われる人を表しています。物事の考え方は時代と共に変わっていきます。死刑執行の「執」などとんでもない。今をときめく音楽家の蓮沼執太さんなどはそのことを身をもって私たちに示してくれているのかも知れません。



 関連記事:この記事は以下のページを参照にしています。
 「漢字「幸」の由来:古代中国では「手枷」のこと。手枷が何故「幸せ」になるのか」  


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