2012年2月8日水曜日

漢字「政」の起源と由来:その本質は「自ら棍棒を用いて他人を既定の目標に向かわせること

[政」の字の意味するところは自ら棍棒を用いて他人を既定の目標に向かわせようとすること
 先日あるテレビ政治討論会を見ているとやたら「政局」という言葉が出てきた。誰かが言うのに「最近政局の話ばかり出てくる。いま大事なのは政局ではなく、政策だ。」とのたまう。

  それを聞いてなんとなくそんなものかなと納得するようなしないような!? 
 確かに問題の解決はそっちのけで、「民に問え」「解散総選挙にもっていく」等と話しがやたら多く見ている側も白けてくる。 では、そもそもこの政治の「政」という字はいかなる意味を持っていたのか?甲骨文字に遡って見よう。
  「そりゃ、いくらなんでも遡りすぎだよ」という声が聞こえて、確かにその様に思うが、やはり原点に戻るのが一番だ。しかし甲骨文字はなかったようで、時代は少し下った紀元前1000年前後の青銅器の時代の文字である

 唐漢氏いわく、「政」この字は会意文字であり形声文字でもある。「説文」では「政は正なり」と解釈し、「支」と「正」から来て、発声は「正」を取ったとしている。金文の「政」の字の右辺は棍棒を手に持った形で、左辺の下部は「足跡」があり、歩みを表す。上部は一本の短い横棒で行動の目標を表す。明らかに政の字の構造の意味するところは、自ら棍棒を用いて他人を既定の目標に向かわせようとすることである。小篆は金文と相似であるが美観は一層整っている。


 ここで、ちょっと待てよと感じられる向きも多いと思うが、なぜ「棍棒なのか?」  議論の「議」のように、「羊の頭を旗頭に掲げ結集を促すために言う」のような穏やかなものではなく、初めから棍棒で強制的、抑圧的な権力者の頭でもって考えられた概念である。

このように政という字はもともと武力行使で方向を定めていく側面が強かったのだが、いろんな方面での議論を通して次第に「棍棒」という暴力的側面が見えなくなってきて、法令、機関、政策を指すようになったのかもしれない。
 民主主義の今日、あらゆる局面、あらゆる場所で「多数決」で物事が決定されている。仕方がないといえ「数」という一種の「棍棒」という力に頼らなければならないのは、人間の世界は昔とそれほど大きな違いはないのかも知れない。


「漢字の起源と成り立ち 『甲骨文字の秘密』」のホームページに戻ります。

2012年2月5日日曜日

「宦」は奴僕であり奴婢であり、身分的には「官」に及ぶべくもなかった

  戦前の天皇制、資本家、大地主の支配の時代から米国の一時的な支配はあったものの、金融資本、新興ブルジュワジーなどは片時もその権力を放り出したことはない。最近の民主党も結局は、彼らが時の権力に無能であったということではなく、積極的に権力の要求にこたえようとしたことの結果であろう。彼らは自民党と何ら異なることがないのだから。何の異なることのない党に希望を託し、裏切られて、恨み言を言うなど初めから期待する方が間違っていたのだ。
  このような「民主主義」体制を維持するのに「官僚」はもってこいである。つまり、時の内閣は選挙という洗礼を受けて入れ替わるが、官僚だけは入れ替わらない。彼らは過去のありとあらゆる事を知りつくし、内閣という権力者に「助言」という命令を与える。





宦官は中国で数千年間続いた封建政治体制
の妖怪であり、彼らが国を陥れ、
甚大な被害を及ぼした例は枚挙のいとまがない
 さて中国では数千年間続いてきた封建政治体制を補完するものとして 「官」と「宦」がある。「宦」は官と違って、奴隷であり、官と宦は全く異なる身分である。 NHKの「蒼穹の昴」を見た時すっきりとわからなかったが、唐漢氏のこの部分を読んで完全に納得できた。


宦官は中国の数千年の封建政治体制の「妖怪」であり、彼らは常々権力を弄して、政治をもてあそんだ。但しその基本的な地位は却って低いいやしい奴僕であった。
宦官の墓を発掘した考古学者の蘇教授によると、彼が発掘した宦官の墓は、『大体永定河沿いにありました。彼らは仏教様式で埋葬され、亀の中に座っていた。宦官たちの切除された器官は白檀、陶磁、日干し粘土などで、模造品を作ってつけてあった』とのことである。


日本の「官」はもともと非常に優秀な人材だったはず。それがいつとはなしに「保身と延命」の為の「宦」と化す。

 この体制が続く限り日本は救えないような気がする。レーニンがかつて言ったように、官僚を罷免し、数年で交代させ、官僚にも責任を取らせることでもしない限り・・。第3者の評価機関をつくり、厳密で公正な判定が出来るようにしなければならないだろう。即ち奴隷の家の中で家事奴隷の頭目を示している。・・人々は大監を称して「宦官」という。この事から彼らは宮廷内において、皇帝や妃に侍るからであり、各種雑役をこなす奴僕の一種である。実際上、東漢以前には宦は全てが去勢をしていたわけではなく、漢の光武帝から中興の初め宦は悉く去勢者を使うようになった。



「漢字の起源と由来ホームページ」に戻ります。