2012年2月5日日曜日

「宦」は奴僕であり奴婢であり、身分的には「官」に及ぶべくもなかった

  戦前の天皇制、資本家、大地主の支配の時代から米国の一時的な支配はあったものの、金融資本、新興ブルジュワジーなどは片時もその権力を放り出したことはない。最近の民主党も結局は、彼らが時の権力に無能であったということではなく、積極的に権力の要求にこたえようとしたことの結果であろう。彼らは自民党と何ら異なることがないのだから。何の異なることのない党に希望を託し、裏切られて、恨み言を言うなど初めから期待する方が間違っていたのだ。
  このような「民主主義」体制を維持するのに「官僚」はもってこいである。つまり、時の内閣は選挙という洗礼を受けて入れ替わるが、官僚だけは入れ替わらない。彼らは過去のありとあらゆる事を知りつくし、内閣という権力者に「助言」という命令を与える。





宦官は中国で数千年間続いた封建政治体制
の妖怪であり、彼らが国を陥れ、
甚大な被害を及ぼした例は枚挙のいとまがない
 さて中国では数千年間続いてきた封建政治体制を補完するものとして 「官」と「宦」がある。「宦」は官と違って、奴隷であり、官と宦は全く異なる身分である。 NHKの「蒼穹の昴」を見た時すっきりとわからなかったが、唐漢氏のこの部分を読んで完全に納得できた。


宦官は中国の数千年の封建政治体制の「妖怪」であり、彼らは常々権力を弄して、政治をもてあそんだ。但しその基本的な地位は却って低いいやしい奴僕であった。
宦官の墓を発掘した考古学者の蘇教授によると、彼が発掘した宦官の墓は、『大体永定河沿いにありました。彼らは仏教様式で埋葬され、亀の中に座っていた。宦官たちの切除された器官は白檀、陶磁、日干し粘土などで、模造品を作ってつけてあった』とのことである。


日本の「官」はもともと非常に優秀な人材だったはず。それがいつとはなしに「保身と延命」の為の「宦」と化す。

 この体制が続く限り日本は救えないような気がする。レーニンがかつて言ったように、官僚を罷免し、数年で交代させ、官僚にも責任を取らせることでもしない限り・・。第3者の評価機関をつくり、厳密で公正な判定が出来るようにしなければならないだろう。即ち奴隷の家の中で家事奴隷の頭目を示している。・・人々は大監を称して「宦官」という。この事から彼らは宮廷内において、皇帝や妃に侍るからであり、各種雑役をこなす奴僕の一種である。実際上、東漢以前には宦は全てが去勢をしていたわけではなく、漢の光武帝から中興の初め宦は悉く去勢者を使うようになった。



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2012年2月3日金曜日

「官」の今昔。 やがて腐る「官」

今国民の間で大きな関心事の一つに「官僚」の横暴がある。国権の最高機関である国会を無視し、自らの利権を追及して憚らない。 現代の国権の執行者は言わずもがな内閣府に見える。しかし見えるだけである。これは議員内閣制を敷いている為、国会(衆議院)で多数を占める党派が、多数をかさに自分たちの代表する利権を実現しようとありとあらゆる手を使う。
  国家の官僚は表向きはその時々の力関係の上で踊る政治家の言うことを聞くようにふるまいながら、その実、「真」の権力者にこびへつらう。誰かが言ったが、議会制民主主義というのはこの「真の権力者」を隠蔽するための無花果の葉っぱにすぎない。日本は民主主義国というがその実、金主主義国と言える。
 ではその「真の権力者」とはだれか?考えてみると戦前から体制が変わった部分は多少あったとしても、基本的には一貫して保守勢力(金を握っている部分)が支配したことには変わりはない。

それでは「官」の字の由来に戻ることとしよう。


「官」昔は腰を落ち着けて休むところの意味
現代の官僚は国民の上に腰を落ち着けて
ゆっくり休んでいるのかも
 「官」これは一個の会意文字である。甲骨文字の上部は「内」或いは上古の家屋の形である。その中の形はちょうど90度回転すれば、人のお尻の形に似ている。両形の意味が合わさって、尻を落ちつけて暫し休むところという意味になる。金文中の官の形は甲骨文字と相似である。小篆の形は屋内のお尻で、既に変化しあまり似ていない。楷書では隷書化の後「官」と書くようになった。
 上古の時期、先民たちは狩りに出かけた。一旦外に出れば、全て足を頼りに行く。いつも数日、或いは数十日も帰ることはできないであろう。上古人は「官」の字を用いて彼らが途中腰を落ち着け暫し休んだ場所を表している。最も早い時期の官はただ人が歩いて行く空いた粗末な部屋であったろうし、後日にはある人が留まる駐営地になっただろう。これは都の外にあって、派遣されて駐留する仕組みの官のことを言ったものだろう。接待に責任を負うことを除けば、まだ地方の民衆を管理監督する職責であったろう。だから「官」は基本義は途中休憩をするところという意味である。それから派生して派遣駐留する機構になり、 当然のこととして後日の官府になったものだ。
 両漢以前は、官と吏の概念は同じではなかった。一般の行政機関或いは職務を指していた。吏はもっぱら官吏を指していた。而して「官」のそれ自体は官員の意味を持っていなかった。漢朝以降「官」は官府と一般的な官員を示した。「吏」は即ち低級な官員である。当然官の字は行政職務の意味に未だに用いられている。


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