2023年9月11日月曜日

漢字「殺」の変化に見る人間の「殺」の意識の変化。仏教より本源的なものかもしれない


漢字「殺」の変化に見る人間の「殺」の意識の変化。仏教より本源的なものかもしれない


 漢字「殺」の変化に見る人間の「殺」の意識の変化。甲骨文字の「殺」 と、金文の「殺」、小篆の「殺」では文字そのものが、全く違うのだ。甲骨の「殺」の字は、今日的な意味での「殺」という気配が感じられない。いわゆる、殺意がないというか、そもそも甲骨の時代は「殺」そのものをどう捉えていたのだろうか。太古の昔は、生命を奪うことに何の感傷もなかったのかも知れない。そこに感傷という「感情」が芽生えるためには、神の前に捧げるとか、日常の営みとは異なるものがなければならなかったと思う。




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漢字「殺」の今

漢字「殺」の解体新書


 
 漢字「殺」の楷書は「殺」と書きます。漢字の簡体化で「杀」となり、甲骨文字の字形に接近してきました。殺の本義は殺すことで植物や動物や人が命を失うことです。
殺・楷書


甲骨文字から金文そして小篆に至る文字の変化は、やはり概念の深まりを示している。

 甲骨文の当時は、単に木の枝をとってくるだけのものであったが、次第に祭祀を伴う殺戮を示すようになりそれと共に字形も複雑さを増すようになった。

 単純な表示ではどこかに「申し訳ない」という感情が働くのだろうか?  
「殺」・甲骨文字
原義は木の枝や葉を取り除くことを意味していた?
「殺」・金文
甲骨文字と比べ、明らかに対象の変化が見られ、動物を対象とするようになった
「殺」・小篆
以上2文字の会意で、即ちとか直ちにを意味する


 

「殺」の漢字データ

漢字の読み
  • 音読み   サツ
  • 訓読み   ころ(す)

意味
  • ころす(生命を奪う)、勢いを止める  (例)息を殺す、封殺
  • 滅ぼす、除く    (例)減殺
  • 切って落とす
  • すさまじい、ものすごい  (例)殺気、殺伐とした、忙殺

漢字「殺」を持つ熟語    殺気、殺伐、忙殺、殺戮、自殺、殺生、殺意、暗殺、殺陣、封殺


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漢字「殺」成立ちと由来:「殺」の変遷はどこからもたらされたか

引用:「汉字密码」(Page、唐汉著,学林出版社)

唐漢氏の解釈

  「殺」これは象形文字です。甲骨文の「殺」の字はまるで一枚の絵だの葉、切り落とされた様子です。だがまだ木の皮と木が連なっている状態です。但し枯れてしまって間もなく死んでしまう状況です。 
 「殺」の字の発音は大きな木の枝が折れたときのガザガザという音です。金文の字は少し変化して、夭折の形はかえって跡形もなくなっています。
 小篆は金文を引き継いでいますが、但し構造はいわば変化しており、左辺の上部のXは切断を表示し下辺の叉は手で掻きむしった様を表示しています。両側にある縦の線は下向きで、言葉の意味をさらに明晰にしています。右辺には一個の武器「支」が付け加えられた意味です。この時の言葉の意味は既に夭折して死亡したことから殺戮して死んだことに意味が変わっています。隷書を経て楷書は「殺」と書きます。漢字の簡体かで「杀」となり、甲骨文字の字形に接近してきました。殺の本義は殺すことで植物や動物や人が命を失うことです。


漢字「殺」の字統(P348)の解釈

  会意 「たたり」をなす獣の形と、殳(シュ)とに従う。祟その呪霊を持つ獣を撃って、自己に向けられている呪詛を払う共感呪詛的な方法を「殺」という。説文に「戮する也」とあるのは、後の転義であり、もとは呪詛を減殺する呪的な方法を意味する。


漢字「殺」の漢字源(P859)の解釈

 会意。「メ(刈りとる)+(もちあわ)+殳(シュ:動詞の記号)」で、(もちあわ)の穂を刈りとり、その実をそぎとること。摋(そぎ削る)と同系。また散(そぎとってば らばらにする)とも縁が近い。殺陣師 殳,殺,



まとめ

 人間は今まで、数えきれない殺戮を繰り返してきた。

人間以外の動植物は決して他を殺そうとしない。百獣の王ライオンは肉食上動物の頂点に立ちいろんなものに襲いかかり食する。彼らはただ食べるだけ。食べること以外に他の動物を殺すことはしない。縄張りを守るため自分の支配下に入ってきた他の侵入者を追い回し追い出すことはする。しかしその侵入者が領域外に出てしまえばそれを追い回して殺そうとはしない。

 彼らは自分が空腹でなければ、いくら獲物が目の前に来ても反応を示し戦うことはしない。
 殺すという行為は、人間だけが行う本来の衣食住とはかけ離れた行為と言わねばならない。しかしこの行為を人間を見つけたばかりに自分の本来の生存とは関係なしに他を傷つけ殺し凌辱していく特性が身を着けたといわなければならない。

 人間とは厄介な生き物である。そう考えれば、人間の社会から戦争はなくなるとは思えなくなる。
 人間がどのように高尚なことを考えようとも、哲学的であったとしても、あるいは高邁な宗教者であったとしても結局は食べることから逃れることはできない。このことは食べること生活することが全ての基本であると考えたマルクスやエンゲルスの深い思考には頭を下げざるを得ない。 最後の一脈の希望は、すべての人間が充足した生活が送れる社会と仕組みを構築することである。それは、極めて困難な道筋かも知れないが、できない相談ではないと考える。

 なぜなら、人間が地球に蔓延るようになってから、わずか数千年に過ぎない。わずか数千年で地球を破壊しつくす事をやってのけた人間である。逆に人間が自覚さえすれば、ほんの数百年で地球を再生することをやってのける力を持っているはずだ。

  


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