2012年6月19日火曜日

今日は夏至:「夏」の起源と由来


夏至

今日は夏至。一年中で一番昼間が長い日だ。これは地軸が黄道に対し23.5度傾いているために起こる現象。 

夏は字からは、たしかに暑くてたまらんという感じは伝わってくるが・・。


 春の後は夏である。甲骨文字の夏は、4肢を大きく張った人の首の形である。金文と小篆は甲骨を引き継いで、構造上は基本的によく似ている。「あたかも人が暑くて蒸していて、手足をあらわにしているのに似ている」という人もいる。しかしこれは主観の問題だからなんともいえない。


 真夏には手足を出して、かつ大きく広げた格好が随所にみれる。まるで人々は熱い手足を皆を伸ばす所がないようである。夏の字はこの意味を取って字を作った。夏の本義は暑い天候であるといえる。 


集韻の書には夏の字は古文では甲骨文字の是を受け継いだものである。つまり是の本義は夏の日の直射日光をさしている。これにより「是」は夏至の意味が引き出されてくる。どうもこのあたりの文脈がはっきりしない。しかしいずれにせよ、夏という字は暑い夏を表している。このことから更に拡張されて、夏は物が大きく育ち繁茂するというところから大きいという意味を派生した。

 漢族では自称華夏という。即ち夏商周の三代をいう。夏の日の夏と華夏の夏の字形は同じであるが、字の出来た初意ではない。「夏」は大きいという意味で、華夏は大いなる中華ということで後の世の人が付けくわえたものだ。

夏の時代


さて中国古代には伝説の時代ではあるが、「夏」という時代が存在したといわれている。

 「夏」 (BC2000年ごろ~BC1500年ごろ)という名称は夏王朝の自称ではなく、殷王朝が先代の王朝を称して夏王朝といったものである。因みにその殷王朝も自称ではなく、その後の商王朝がつけたものである。

 夏王朝自体は長い間、神話の世界として語り続けられてきたが近年の考古学の手法の進展からこれは神話の世界ではなく実在したものという説が、ほぼ確定的になっている。

 ウィキペディアによるとこの「夏」という呼称について、「漢字学者の藤堂明保は、「夏」の字を甲骨文字・金文からの形成の変遷を分析した上で、「大きい人(鎧をつけた大柄なひと)」という美称ではないかとの説を提出している。」この説については唐漢氏も同じように大きい人というところにその呼称の由来があるといっている。

 事実現在でも華北の人は一般的に背が高いといわれている。 また夏民族は父系制であったといわれている。そしてその祖先は遊牧民族で、鉄器を使用して、周りの部族を制圧していったという。この夏王朝の成立するまでは、母系制社会がこの辺りで支配的であったというが、どのようにして駆逐されたのか興味は尽きない。殷朝になると遺跡も多く、それなりの遺構も出土しているので、確定はされてきている。しかしながら、この夏王朝にしても殷王朝にしてもどこから来たのかについてはまだ定かではない。


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