2012年2月21日火曜日

我を呼ぶに「余」

「余」の意味は「我」と「余剰」の意味を持っている。
しかし甲骨文字では男性の性器を表し、そこから
我という意味が拡張されたという。
 「余」の字は漢語の中では、二つの意味を持つ。一つは第一人称として用いられ、《尔雅·释古》では「余は我なり」と解釈している。屈原の「離騒」の中でも我のことを表している個所がある。「余」第2の意味は「余り」。老子の中で、この第2の使い方がみられる。

  甲骨文字の余の字は指示語である。その中の上向き△と縦棒は男性の生殖器を表す。左右の短い横棒はVの形をしていて、下に向かって指示しているように書かれている。字形を整えてみると男性生殖器が性変後疲れて柔らかくなりブラブラしている様子を示す。

 「予」の字と同様、男子は常に性交と養育を自らの誇るべき資本とする。だから余は我の意味があり、拡張され第一人称代詞である。(この唐漢先生の説明は、さもありなんとと思うが、少し突飛過ぎて、「本当かな?」と疑念を持たざるを得ないが、さらなる使用例や傍証が望まれる。)

 「予」と「余」は字の構造上同じ源を持っている。同じく男性の性器である。だから、発音上も男性の行為と関係がある。残念ながら私には中国語の発音、それも古代中国語の発音についてはとんと知見がないので、この説明は何とも言えない。

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