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2020年2月28日金曜日

宮刑、宮殿、後宮、子宮に共通する漢字「宮」の原義は宮殿である


宮刑、宮殿、後宮、子宮は何を意味し、その出来た順番は?
  宮刑、宮殿、後宮、子宮に共通する漢字の「宮」は何を意味するか。 これらの漢字ができた順番は、最初に宮殿が出来、そこに住む人を後宮と呼び、子供が出来る奥まった部屋を子宮と呼び、最後に性器を取り除く刑を「宮刑」と呼ぶような順序で漢字は作り上げられた。

 20世紀のはじめ、辛亥革命が起きてから未だそれほど時間もたたないころ、中国の河南省の安陽という街で発掘調査が行われていた。
 殷墟の発掘調査である。その少し前からこの地を中心として、世紀の大発見である甲骨文字が見つかり、この甲骨文字を生み出した文化が長く眠っていた土地からようやく日の光を浴びることになった発掘調査である。


 「宮」という字が刻まれた甲骨の欠片はこの殷墟の遺跡から掘り出された。そしてこの殷墟の発掘から復元された3500年前の宮殿が「宮」という字が概念としてではなく具体的な形を、今日の人々の目の前に浮かび上がらせたのである。
引用:「汉字密码」(P720、唐汉著,学林出版社)
「宮」という漢字は何を表現したのか
 "宮 gong" は、会意文字である。甲骨文の "宮 " 文字は、その上は家屋外形の "屋根の形" 、内側には二つの口の字があり、これが多くの部屋が並んでいる建物を現わしていると考えられた。

  金文の "宮 " 文字は金文を受けて、ただ一対の口の配列を上下の組み合わせとした。  小篆の "宮 " は二つの対の口を短い竖線で接続して、まるで二つの部屋が通じ合うことを示し、その上部は一点を追加して、まるで建物の屋根の背の棟の形を補充しているらしい。楷書で"宮 " と書く。 



 考古学の労働者が安陽の殷墟の発掘の際に、長さが 28 米、縱 8 米の建物の土台を発見した。それは足場が繋がった高さ1メートルプラットホームの上に位置して、屋根は三十一本の木柱によって支えられて、二つの大きい使用区に仕切るられていた。宮、かもしれない、この列部屋の描写の図である。

 今の認識で言うと、粗末なわらぶきの屋根の建物であるが、当時にしてみるとこの建物は驚くべき壮大な建物であって、まさに宮殿と呼ぶにふさわしいものであったに違いない。

 もう少し時代が下ると、この「宮」より規模の大きい「堂」は現れてくる。


字統
 「う冠」+「呂」に従うとする。「ウ冠」は廟屋、呂はその宮室の平面図で、室の相連なる形。と解釈する。



漢字源
 会意文字。「ウ冠」(ヤネ)+二つの□印(口ではなく建物のスペース)」奥深くいくつもの建物があることを示す。とあるが、いささか跡付けの感が否めない。



結び
 「宮」という漢字は原義は「建物」を表すものであったようだ。後にそこにいすむ人々を「○○宮」と呼ぶようになり、宮中に住む皇族の妻などを「後宮」と呼ぶようになったのであろう。子宮などと言う呼称は「子供が生まれるところ(部屋)ということからこの名前が付いたものと考えられる。そして性器を取り除く刑を「宮刑」と呼んだと考えられる 



「漢字の起源と成り立ち 『甲骨文字の秘密』」のホームページに戻ります。

2012年8月12日日曜日

漢字「宮」成り立ちと由来:権力の象徴としての「宮」が世に現る。 


  今日は漢字の「宮」について触れる。「宮」は皇帝の居室とされるが、それは「堂」と呼ばれるよりもはるかに粗末なものである。なぜだろう?その一つの理由は、時代が堂の方が下っているのかもしれないということと、「堂」は神の住まいとして権力の象徴として公に誇示しなければならなかったのに比べ、「宮」は皇帝の私的な目的である居室として使用されたことが二つ目の理由ではなかろうかと考えている。
 殷の時代には瓦ぶきの立派な建物が作られており、ここで言及する建物はいくら私的に利用するといえ、時代的には大分遡らざるを得ないと考えている。さらに調べてみたい。

引用 「汉字密码」(P720, 唐汉,学林出版社)


 高さ1メートルプラットホームの上に位置した「宮」

 "宮 gong" は、会意文字である。甲骨文の "宮 " 文字は、その上は家屋外形の "∩" 、さらに内側には二つの口の字があり、これが多くの部屋が並んでいる建物を現わしている。安陽の殷墟の発掘の際に、長さが 28 米、縱 8 米の建物の土台を発見した。それは足場が繋がった高さ1メートルプラットホームの上に位置して、屋根は三十一本の木柱によって支えられて、二つの大きい使用区に仕切られていた。宮、かもしれない、この列部屋の描写の図である。

 金文の "宮 " 文字は金文を受けて、ただ一対の口の配列を上下の組み合わせとした。  小篆の "宮 " は二つの対の口を短い竖線で接続して、二つの部屋が通じ合うことを示し、その上部には一点が追加されて、まるで建物の屋根の背の棟の形を補充しているようである。楷書で"宮 " と書く。

 "宮 " の物象本源は部屋が多く並べられた大型の平屋である。 

 "宮 " の物象本源は部屋が多く並べられた大型の平屋である。史載、先秦では無論、居住者身分の贵贱、家屋の大きいものは、全て宮と称することが出来た。しかし秦以降は、"宮 "は王封建帝が公事と居住の場所と専ら指定した。例えば "阿房宫、乾清宮、故宮"など。古人は神様の廟は人の為の居室と比べはるかにきらびやかで寛大で、その中また居住している神霊はきらびやかだ。だから、廟宇も "宮 "と称す。例えば "紫薇宫(百日紅宮)、雍和宮 "など。

  現代はまたわりに大きい公共文化娯楽の場所を"宮 " と称している。例えば "少年宮、文化宮 " など。 

 "宮刑" は男を生殖器を去勢する刑罰 

 "宮刑" 、は古人の淫乱を懲らしめたりあるいはほかの犯行に対する一種の刑 :女幽を宫室の中おしこめ、永遠に男をみることを禁じる。男の場合は、生殖器を去勢して、永遠に女性を親しむことが出来ないようにする。西漢の武帝の時、李陵の為を少し庇っただけの理由で司馬遷は、宮刑に処せられた。彼は《報任安書》の中で、悲憤の内に書いた "膨大な宮刑の話をしている。(この刑は男にとって何よりも屈辱であったようだが、時代が下れば、刑罰ということではなく、自ら宦官になるため施術を行うものも現れた。それでも、宦官としての地位は低く、その地位に陥ったものは、皆ある種の劣等感に苛まれていたようである。そのあたりの事情はNHKのドラマ「蒼穹の昴」に詳しい。宦官もその任を解かれたりしたものは、自分の「お宝」を買い戻すこともあったようだ。 補足:筆者)
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