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2026年2月25日水曜日

漢字「疑」の成り立が現代に放つ教訓「疑いの気持こそ生き延びる力」


漢字「疑」の成り立から今に生きる教訓は「疑いの気持こそ生き延びる力」


サブタイトル:漢字「疑」に込めた古代人のメッセージを読み解きます

 「疑いの気持こそ生き延びる力」は、フェイクにデマ、中傷、脅しにタカリの情報が飛び交うこの世を生き抜くための心構え「流されないで、自分をしっかり見つめよ」
 
「疑」 「迷う能力を失った」とは、迷うことすら許されず、自分の意志で動くことが出来なくなった世界にあって、求められるのは逆説的であるが、「すべて疑ってかかれ!」という自己確立の姿勢だ。

音声プレイヤーの「▶」でお楽しみください。



漢字「疑」の楷書で、常用漢字です。
 甲骨文も、金文も一様に人が立ち止まり凝然として行く手を決めかねている様が生き生きと描かれている。まさに百聞は一見に如かずである
  甲骨文字では、本来「迷うこと」を表していた文字が、やがて金文、小篆と変化する中で
小篆に変化した『疑』の形を眺めると、そこには矢や子の姿が重なって見える。 偶然かもしれない。しかし文字は時代の無意識を映す鏡だとすれば、
  • これは、迷う能力を失った文明情報は矢のように飛び交う
  • 子どものように無防備に受け取る
  • 足並みを揃えて進む社会
の今まで見えてこなかった側面も持つようになったことを示している。

しかし本来「疑」は、進む前に立ち止まる姿だった。
かくして本来「迷うこと」だった文字が、やがて「まっすぐ進む形」に変わる。
これは迷う能力を失った文明という寓意にも読める。
「迷う能力を失った」とは、迷うことすら許されず、自分の意志で動くことが出来なくなったという意味である。

 この世は非常にややこしい!周りに流されることなく、しっかり自分の頭で見極めることこそ生き延びるための最大の力!

このことは。このブログでも追い続けてきた、「業の桎梏」そのものであると思っている。
 「業」については以下のページが詳しいのでご一読願いたい。
【漢字考古学】人間の「業(ゴウ)を優しく手なずける3つの処方箋」
疑・楷書




疑・甲骨文字
疑・金文
疑・小篆
  
疑・甲骨文字
人が後ろを向いて凝然と立ち杖を立てて進退を決めかねている様子
第2款・・道路を表す「符号」を追加して、意味をより明確にしている
疑・金文
甲骨文を継承し、左辺には牛の記号が付け加えられ、右辺下部に「足」を追加して、歩いていくことを意味しています
疑・小篆
金文では牛を探したものが、小篆では子供を探すさまが付け加えられている。人々の視点が農業から人間社会に変化したと考えられる
  




    


「疑」の漢字データ
 

漢字の読み
  • 音読み   ギ
  • 訓読み   うたが(う)

意味
     
  • うたがう (動詞)  本当かどうかあやしく思う
    迷う、ためらう  
    怖がる、不安になる
  •  
  • うたがわしい(形容詞)  本当かどうかあやしい  
  •  
  • うたがい(名詞)

同じ部首を持つ漢字     凝、擬、嶷
漢字「疑」を持つ熟語    懐疑、危疑、疑義、疑獄、疑心、疑惑




引用:「汉字密码」(Page、唐汉著,学林出版社)
唐漢氏の解釈
 「疑」の本意は、惑わされることを指し、確定する方法がないことを言う。甲骨文の「疑」という言葉は、杖をもって出た人が左右うろうろと、道に迷い、どこに行けばいいのかわからないことを示しています。甲骨の別の書き方では、道路を表す「符号」を追加して、意味をより明確にしています。

 金文は甲骨を継承していますが、下部に「足」を追加して、歩いていくことを意味しています。加えられた「牛」は失われた牛を探すことを意味します。これにより、「疑い」という言葉の構成がより鮮明になり、金文の時期に農耕が重要な地位を占めていたことを反映してます。
 小篆は変化を遂げていく過程で、人が振り返った人の頭の形を「匕」とし、人の形の「大」は「矢」に変化し右の牛の形も変化して「子」になっています。次第に今日の楷書の「疑い」になります。

 「疑」とは

漢字「擬」の漢字源の解釈
 子供に心が引かれ、親が足を止め、どうしようかと思案する様

 「疑」と同様の意味を持つものに、「嫌」(うたがう)がある。こちらはこうではないかと気を回しておもう、悪い方へと連想する。今日われわれは疑うというと、こちらの意味に使うことが多いように思う。


漢字「疑」の字統の解釈
 象形文字 初文は「ヒ+矢」(ギ)人が後ろを向いて凝然と立ち杖を立てて進退を決めかねている様子で、心の疑惑している様を示す。後にまた足の形を加えて今の字形となったが、初形はかなり失われている。

説文の解説は既に字形の初形を失っている篆書の字形によっていうもので、そこから字形を解くことはできない。
 白川博士のいうところによると、山東の氏族に侯の図象と思われる亜字形中に、同じような字形は複合しているものが多数見つかっている。いずれも亜字形を伴う図象であるのは、このことから推察されるとその氏族の職掌が疑事を定めるなどの聖職であるからであろう。つまり文字や文書の真偽を確認査察する立場についていたのではないかということだ。これはある意味で重要な指摘で、漢にしろ、どの宮廷にしろ文字や文書の管理にはかなり神経を使っていたのではないかと推察される。最近の世界的な文書の改竄やデマ情報の拡散の風潮から考えても、興味深い。


漢字「疑」の変遷

漢字「疑」甲骨文字
漢字「疑」甲骨文字
 字統より参照した。最も古い疑いの文字で、人が道でどちらに行くべきか迷っている情景そのままで、素朴で古代人もこんなに考えていたのかと面白い。


漢字「疑」金文
金文
 文書や文字の真偽を専門に管理監督する部署があったと見え、同じような字形をかなり吟味したのではなかろうかと思わせるものが混ざりあっている。右を向いたり、左を向いたり、ひげを付けたり、かなり見ていて面白い。但し、これはあくまで筆者の推察であるが…。


漢字「疑」小篆

小篆
漢字もこの段階になると、試行錯誤も落ち着いてきて、いる。偏や旁もあまりあれやこれやと試したものはなくなってきているが、逆に甲骨も荷や金文にあった風合いが亡くなっている。




まとめ
 単なる思い付きであるが、漢字の生成時期はいくつかのステージに分かれると思っている。即ち、文字の創成期、文字の広範囲に使われる時代、卜文などで、権力に取り込まれる時代そして、完成期。思い付きが、確証になることを望む。漢字「疑」は、迷うと考えた方が原義に近い。いわゆる人を「うたがう」という意味では、「嫌」に近いようである。

 最後にもう一度繰り返す!! 
 この世は非常にややこしい!周りに流されることなく、しっかり自分の頭で見極めることこそ生き延びるための最大の力!





「漢字考古学の道」のホームページに戻ります。

2023年6月26日月曜日

漢字 嫌と厭はどう違うの:二つの漢字の裏には当時の社会のとてつもない変動が隠されていた?


「嫌」と「厭」の成立ちと由来には、氏姓制度の存続に関わる大変革が隠されていた

 いまネット上で騒がれている広末氏の不倫に対して、実業家の“ホリエモン”こと堀江貴文氏(50)が話題の広末涼子さんの夫のキャンドル・ジュンさん(49)について、ネット上で、「誹謗しすぎ」「胸糞悪い」(「週刊女性」)と発言しているという。

 そもそも、記者会見でのキャンドル・ジュンさんの発言は、公のものであるから、それ自体は何の問題もないことである。
 その発言の内容に対して個人的見解を自身のYouTubeチャンネル上といえども、公に発言するという行為は、まさに嫌がらせすなわちハラスメントという行為そのものではないだろうか。しかも発言している内容が公的なものであればいざ知らず、個人の浮気の問題に対する全くどうしようもない個人的感想をいくら有名人だからといって垂れ流しにすることはあまり品のいいことではない。

導入

前書き

 近年ハラスメントという言葉が周りを飛び交っている。ハラスメントを日本語で言うと「嫌がらせ」である。この原点は漢字の「嫌」という言葉であるが、「嫌」と「ハラスメント」では大いなる違いがある。「嫌」はあくまでも個人の主観であり、ハラスメントは主観に対して、「他」に対する「嫌な思いにさせる」という明確なる客観的行為である。

  言葉というものは恐ろしいもので、それが一旦認知され広まってしまうと、その内容は吟味されることなく、皆さん分かったかのように、さらに拡散されてしまう。しかし一歩振り返って、その意味は日本語でなんだったかなと考えてみると確信を持って答えれる人はそれほど多くはないのではなかろうか。

目次




**********************

漢字「厭」の今

漢字「厭」の解体新書


 

 「嫌」(いや)と「厭」(いや)は、両方とも「いやな」という感情や「いやだ」という気持ちを表す漢字ですが、微妙なニュアンスの違いがあります。

 「嫌」(いや)は、一般的な表現としてよく使われます。他人や特定の状況に対して嫌悪感や不快感を抱くときに使われます。「嫌な人」や「嫌な状況」といった具体的な表現によく見られます。また、否定的な感情や気持ちを強調するためにも使用されます。
 一方、「厭」(いや)は、やや古風な表現で、個人的な感情や心の内面に焦点を当てた表現です。自分自身が何かに対して嫌悪感や不快感を抱くときに使われます。また、自己の意志や好みに基づく拒否感を示す場合にも使用されます。一般的な日常会話ではあまり使用されない傾向がありますが、文学や詩などで見られることがあります。

 このように、「嫌」と「厭」は、感情や気持ちを表す漢字として似ていますが、微妙なニュアンスの違いがあります。

嫌・楷書


 
 
厭・金文
厭・小篆
厭・楷書
  


 

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「厭」の漢字データ

漢字の読み
  • 音読み   ケン
  • 訓読み   いや
意味
  • きらい、きらう
  •  
  • あきる
  •  
  • いや 
同じ部首を持つ漢字     厌 恹 懨
漢字「厭」を持つ熟語    厭人 厭世


**********以上 漢字データ************

漢字「厭」成立ちと由来

引用:「汉字密码」(Page、唐汉著,学林出版社)

唐漢氏の解釈

 「厌」は、「厭」の単純化された言葉です。 金文の「厭」という言葉は、「犬、口、月(肉)」で構成される意味の言葉です。 これは犬の口の中の大きな肉であり、それがいっぱいであることを示しています。

  小篆の「厭」は金文を継承しますが、口に少し追加され、厂が上に追加されており、犬が地面で肉の塊をもてあそんでいることを意味します。 楷書は「厭」と書かれています。漢字が簡素化されるときに、「厌」となりました。

 「厌」は2つの基本的な意味を持っています。1つはYanとして読み、満腹の意味を示します。 「厭」の2番目の意味は、「按、压」などのように、enと読み、呪いや幽霊などの迷信方法によって他の人を制服することを指します。

漢字「厭」の字統P59の解釈

 厂と猒とに従う。猒は厭の初文。

 肙の上部 は肩の骨臼の部分、下部は肉であるから、肙は肩肉 の形。猒は犬の肩肉を牲として、天神を祀る。神意 がそれに満足することを猒という。
 また厭には「笮なり」として圧笮の意とするが、厭は厭勝(まじない)の意。厂は猒を用いる崖下な どの聖所、そこで牲を供えて祀り、祈って禍害を圧する意である。古くは猒を厭の意に用いており、もと同字。
 厂は祭祀儀礼を行なう聖所で、厤は軍礼を行なう意である。厭足・厭飽の意より厭悪・厭嫌の義を生ずる。

漢字「嫌」の字統P261の解釈

 旧字は嫌に作り、兼声。形声文字。
〔説文〕に「心に平らかならざるなり」とあり、不満足とする意。嫌厭・嫌忌・嫌 悪嫌疑のように、他に対する不信の念をいう。 慊など、この声に従うものに、その意をもつものがある。
[礼記、曲礼、上〕に「禮は嫌名を諱まず」とある。


漢字「厭」の漢字源P222の解釈

 猒は熊の字の一部と犬と合わせ、動物のしつこい脂肪の多い肉を示す。しつこい肉は食べ飽きて嫌になる。
 厂は上からかぶせるがけや重しの石。厭は厂+猒」食べ飽きて上から押さえられた重圧を感じることを表わす。


漢字「厭」の変遷の史観

文字学上の解釈

字統には、「嫌」と「兼」の二つの文字について、それぞれの由来を説明するが、それでもなお、「女偏+兼」がなぜ「嫌い」の意味を持つのかの納得ある説明にはなっていない。

「嫌」字統P261
 よみ:ケン・ゲン きらう・あきたらぬ・うたがう
けん 旧字は嫌に作り、兼(兼) 声
 形声
 〔説文〕「心に平らかならざる なり」とあり、不満足とする意。嫌厭・嫌忌・嫌 悪嫌疑のように、他に対する不信の念をいう。

「兼」 字統P257
  ケン かねる・あわせる
  正字は、秣と又とに従う。二禾を併せてもつ形である。〔説文〕に「あわすなり」とし、一禾をもつものは秉、二禾をもつものは兼、ゆえに兼併の意となる。
 〔詩、 小雅、大田〕 「彼に遺秉あり」は落穂拾いをいう。多くのことにわたって修学することを兼修・兼学という。

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まとめ

 漢字「嫌」という字が女へんに兼ねるの文字であると言う説明が有力であるが、一方「兼」という字は稲の二束を表すという。なぜ女が稲の二束を持てば煩わしくなり、いやになるのかの説明がやはりわからない。

 しかし土台が上部構造決定とすれば、この文字の発生には何らかの経済的理由が発生してるのではないかと考えられる。
 私のあくまでも仮説ではあるが、推論をしてみた。
   これは稲の二束はというものは、実際の稲はなくて、稲の収穫単位を表すのではないかということである。
 当時は氏族共同体のシステムをとっていた。男子はあくまで氏族全体に属していた。しかし、女性(この場合奴隷ではない女性)は家を持ち、男は女性のもとに通っていた時代。

 その状況の下で、何らかの理由で、女性2単位分の所有が発生した。この事態は氏族共同体の下では必然的に発生する事態であるが、氏族共同体の所有形態の崩壊にも関わる問題でもあるかもしれない。

 つまり女性が二つの稲の収穫の区画を目の前にし、どちらか一方お選びと迫られた場合、(当然のこととしてその収穫単位の背後にはそれをそれを可能にする若い男の姿が浮かんでくる)その女性は、悩ましいと考え煩わしいとも考えそのような選択を迫られる状況をおぞましいと感じるのは当然のことではなかろうか。

  このことから、「嫌」という事態は、氏姓制度の崩壊を意味する所有形態として、氏族全体としては疎まれていたのではなかろうか。 女へんに稲束が嫌うという意味を持つようになったと考えられないだろうか。

 そしてその事態を、氏族全体としてどうすべきか、犬を生贄として神に御うかがいを立てることを「厭」と表現したのではなかろうか。
 その意味で、「厭」という漢字は宗教的あるいは社会的色彩を帯びていると考える。したがって「嫌」と「厭」の二つの漢字の発生時期は大胆な仮説を許してもらえれば、「嫌う」という漢字が先んじているはずということになる。

  


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