2019年12月21日土曜日

「君」は笏丈を手にし、詔を発する権力者? 古代文字に見る真意は如何に


君の意味するものは、「恋人」「あなた」か、はてまた「天皇」か、古代文字に見る社会の姿は如何に
 君という字は、[恋人]とか、「君主」を表すとか、「天皇」を表すとか俗説が巷に溢れている。そこから、「国歌」の「君が代」は天皇を崇め奉る歌だとか諸説紛々としている。
 しかし、日本という国家がまだ存在しない時代に作られた漢字の「君」という字はいったい何を表すだろうか?


引用:「汉字密码」(P643、唐汉著,学林出版社)
甲骨、金文、小篆および楷書は、すべて「尹」の下に「口」加えたもの。
  「説文」は「号令を発する尹と、口からなる」と解釈されます。
 「尹」は統治に使う「笏」を手に持っている形であり、口は命令を発する口を意味する。(「字統」によれば、サイを表すとしている)。この両者の会意文字で、「笏」を手にもつ。つまり、「君」は統治の意味を持つ笏を持つだけでなく、命令を出すことができる「口」も持っています。笏を握って号令を出すものを意味します。


人間社会の現実の姿を字に映し出した「君」
 古代の書物「儀礼•喪服」では「君は尊ぶなり」と解釈されています。君の本来の意味は号を発する指令者として、すでに帝王に昇格している。人と人の間の階級、つまり動物集団の生活から生まれた階層は、本来個体間の肉体的と知能の間の先天的な不均衡から来ています。しかし、富と武力によって具現化された抑圧と搾取は、即ち人間社会の不平等の現実です。

 [君]という寺が生まれた当初は、それは、笏丈を持つものとして権力者を表していたが、封建社会には、君は世界のあらゆるものの主人となり、権力構造の頂点に立つものを表す字として解釈されるようになったのではなかろうか。



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2019年12月16日月曜日

漢字一文字で「牢屋」を書くと、囹(国がまえの中に令)と書きます





出典:「管子 五輔」(出典は春秋戦国時代の管仲の作といわれる)
「囹」の字の成り立ち」
 この字は甲骨文字の時には未だ出来ていなかったようだ。最初に文献の中に出現したのが、春秋戦国時代に現れたようです。
 なぜこの字を持ち出したのかというと、「文字には、いい文字、悪い文字といった性格は初めからそもそも持ち合わせていない」ことを言いたかったのです。



漢字源の解釈
 囹はかこいを表す「囗」に音符「令」が合成されたもので、冷と同系で冷たい牢屋を表す形声文字です。


字統の解釈
 形声字。声符は令。「令」は人が起居する形。説文には「獄なり」とあり、獄舎をいう。


2019年12月12日木曜日

2019年の漢字は「令」となった。この推進力は??


今年の漢字は「令」
 今年の漢字は「令」に決まった。ある意味穏当ではあるが、今年ぐらい予想と一致した年はない。今年一年、あるいはここ数年「新元号」狂想曲のオンパレードだった。

 表に現れる様々な運動の裏には「令」という漢字の解釈をある一つの概念で統一しようという動きが目には見えない形で推進されていたようで、ある意味不気味な一年でもあった気がするのは私だけだったろうか。


京都八坂神社前を練り歩く奉祝提灯行列


 これが「めでたい、めでたい!」と祝賀パレードに、提灯行列。
 昔の映像で見た「提灯行列」が今の世の中で再び見られるとは思いもしなかった。


「令和」の『令』の甲骨文字ほか古代文字
大阪学院大学 名誉教授 中川 徹氏の解釈(2019年 4月27日付け『TRIZホームページ』より抜粋)

 「令和」の基本的な意味は、「「令」によって「和」を作る」ことだと分かりました。すなわち、「令」というやり方(「上からの命令・指示」)によって、「和」という状態(「人々が争わず協調している状態)にしよう、それを目標にしよう という意味ととれます。単純に「Beautiful Harmony」という美しい理想を掲げているのでなく、それを「上からの命令・指示」で作って行こうというメッセージを含意しています。


TRIZホームページ
様々な解釈
 この解釈以外にも、色々の解釈があります。4月3日付けで、外務省は、令和の意味を『「令」を「Beautiful(美しい)」の意、「和」を「Harmony (調和)」の意味と説明する』よう在外公館に指示を出しているようです。しかし、漢字学からの観点で言えば、これは跡付けの解釈であって、漢字の本来の意味は、中川氏も言うように、「令して和する」というのが穏当なようです。


結び
国民は柔軟な解釈を!
 先の提灯行列にせよ、一連の即位の儀式にせよ、政府は一貫して、これを国民的儀式として位置付け、国民にもそのような受け止めを促しているように見受けられます。

 しかし元号一つにせよ様々な解釈があって当然であり、それを一つの解釈として統一する必要はまったくないのであり、政府の「大本営的発表」は、好ましいものとは思われません。




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2019年11月7日木曜日

年賀状に子年の漢字「子」の甲骨文字を使って見よう


来年の干支は「子」
年賀状に子年の漢字「子」の甲骨文字を使って見よう
 来年の干支は、ネズミですが、漢字では「子」と書きます。このネズミと「子」は何の関係もないのですが、何故ネズミが割り当てられたのでしょうか。

 昔から中国では年月や方角を表すのに、十二支を使っていましたが、一番身近な人間のライフサイクルを用いたものだと主張する人がいます。そして人間が母親の子宮から出てくる時を「子(ね)」で表したものでネズミとは関係がないのですが、一般庶民に理解させるの動物をもってきたのではといいます。


来年の干支は「子」

 甲骨、金文(青銅器・鋳物に彫り込められた文字)、小篆(秦時代に作られた字体)の「子」を提示しています。

 左のヒエログラフの中の左の3つが甲骨文字で、中4つは金文、その右2つは小篆です。

 漢字はほぼ完成した状態で、この世に現れますが、文字学からいって考えられないことで、完成までの間には必ずその前身となるべきものが存在しているはずですが、未だなぞに包まれています。これをひも解くのも、興味が尽きません。



参考文献:「漢字の社会史 東洋文明を支えた文字の三千年」(阿辻哲次著、2013年、吉川弘文館)




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2019年11月4日月曜日

年賀状を古代文字で書いてみよう


令和2年の賀状
年賀状を甲骨文字で考える
令和の年賀状を古代文字で飾ってみたら
 右の3つのロゴはいずれも、年賀状の挨拶文字「賀正」を古代文字で表したものです。「賀」は下位であらわした財宝を手でつかんでサイという入れ物に入れることを顕しています。

 賀正の「正」という字は、四角と「止」で構成され、四角は都市や邑を表し、「止」は市を踏み入れるという意味で、両方をあわせて、征服するという意味を持ちます。
 征服して税や賦課を管理することを「正当」化することを正という意味が出てきたといわれています。

 難しいことはさておき、漢字には歴史を母斑として持っているといえそうです。正月には少しそのような歴史の重みを感じながら年賀状を作られることもいいと思います。







令和二年も甲骨文字で見てみましょう 
 一番上の文字は令和の令という字で、アルファベットのAの下に人が跪いていているように見えますが、これはアルファベットではなく、男子が佇立している姿とも言われています。つまりこれで権力者を示し、この下に人が跪いている模様を示し、命令を受けているさまを示しています。

 上から二つ目の字は、「和」のもともとの字ということです。少し難しいのですが、「和」の甲骨文字は楽器を表していたといわれています。それが後代になって、口偏+禾隣、やがて禾と口が左右入れ替わったということです。

 上から4つ目の字は、「年」ですが、稲の穂が垂れ下がることで、1年のサイクルを示しているということです。

 総合すると「令和二年」と書かれています。




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漢字「元」:「元号」の「元」ってそもそも何だ?


漢字「元」の起源と由来
ここでは、「漢字源」、「字統」、「説文」、「汉字密码」を参照したが、三者三様の解釈で少しずつ差はあったが、共通するところは「元」は人の頭や首を表すということだった。

引用:「汉字密码」(P431、唐汉著,学林出版社)

読み方:(音)ゲン (訓)もと 中国語読み:ユエン
 「元」の本義は人の脳みそである。甲骨文字の字形は人の上に横棒の一を加え、人の頭のある部位を示した。あるいは人の上に二本の横線を加えた。この二のように見える記号は古文字の中で「上」という字でる。「元」は人と上を用いた会意文字である。または人の脳の所在を表示したものである。「硕身丧元」(大きい体は元がない)の中の「丧元」は脳を失うことである。
 小篆の「元」の字の下部は「儿」に変っているが、人の体を指している。 「元」は人の頭を指す。 人の頭は丸いので、音も同じようである(「元」の中国語の発音はyuanであり、「円」も同じピンインである。

 説文では「始まりなり」とい解釈している。注釈には、「兀の声音でコツを取るが、兀とは首を失ったものを言うとしている。

 人の頭は人体の首で、「元帥、元首、元凶、元老、元勲」の中の元は等しく首の意味である。上から下まで、人の頭は人体の始まり、いわゆる元は派生して始まりとなる。「元旦、元年」など。 「元」の字はまた天地万物の本源を指す。古人は元気を万物を生み成り立たせる原子物質と認識していた。「元気、元々」の中の元は本源的な意味を表示し、現代漢字の中では一元銭、二元銭に用いられる元であり、円の借用の元は「元」とは無関係である。

漢字源
 象形文字。兀(人体)の上に丸い印(あたま)を描いたもので、人間の丸い頭のこと。頭は上端にあるので、転じて先端、はじめの意となった。


「字統」
人の首の形を丸く大きな形で示した人の全身形で、首を表し元首という。


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2019年10月18日金曜日

皇帝・天皇の「皇」:照り輝くの意、光り輝く王という意味が体現された漢字


漢字「皇」の起源と由来
 皇帝・天皇の「皇」:照り輝くの意、光り輝く王という意味が体現された漢字であった。その原点は以下にあったのではないだろうか。

 「夏」の時代王は自らを権威付けるために、必ず高いところにたち、日の光を背に、金色に輝く杯を手にして大衆の前に現れたという。皇帝も鉞頭に光り輝く玉をちりばめ火の光を最大限に利用したであろう。漢字の中に王の中の王を示そうという意図がこめられている。

引用:「汉字密码」(P482、唐汉著,学林出版社)

   「皇」の字は会意文字である。早期の金文の「皇」の字は上部の構造は太陽光が放射してススキの穂のようにきらきら輝く、下部は斧の頭部の形「王」の字で大きな太陽が東の地平線を上がって来て、青銅の斧に反映しにわかに輝く模様を示している。このため「皇」の字の本意は照り輝くの意味である。

 これが現代でも、皇帝・天皇の「皇」として使われ、照り輝くの意、光り輝く王という意味を込めて、権威付けられた漢字になっている。


 「詩・小雅・皇皇者華」では、「皇皇者華、 」 この事は光り輝く,煌びやかで美しい花、野原や人の知らない場所に咲くことをいう。太陽が出て煌びやかな様をいうことから、盛大、偉大という意味となった。

 《诗•大雅•皇矣》の如く「皇矣上帝が煌びやかなことに臨ぞんだ様」をいう。ここの皇上帝は青銅銘文中の皇考、皇祖、皇君などをいい、みな偉大の形容詞である。まさに彼らと彼らの祖先はキラキラ輝く太陽と比べ一種の敬意もふくんでいる。君主の権力の拡大につれ、戦国時代に至って、皇の字は帝王の比喩に常用されるようになった。

 この時皇の下部の斧の頭の形は王の字に変わった。字形で君王の身分を表すのに使うようになった。秦王は東方六国を滅ぼして中国を統一して後、自分のことを秦の始皇帝と名乗っている。この時は小篆の上部は自という字を使っている。下部は王の字で変化はなく、壁と書いており、自の本意は鼻という意味で、顔の真ん中にあり出っ張っているから、はじめという意味が引き出されており、始皇帝が自らを皇帝と名乗ったことと相符合する。楷書の皇という字は金文を引き継いでいるが、但し自の横線が一本少なくなり、白となり、会意文字を作っている。



漢字「皇」の字統の解釈
 王の上部に玉飾りを加えている形。王は鉞頭の形で、王位を表す玉座の儀器。王にその玉光の放射する形を加えたものが「皇」



漢字「皇」の漢字源の解釈
会意兼形声。王とは偉大なもののこと。「皇」は「自(はな→はじめ)+音符王」で、鼻祖(一番初めの王)のこと。



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2019年10月16日水曜日

漢字「只」の旧字「隻」は「隹(鳥の意)+又(手の意)」の会意文字


漢字「隻(只)」の起源と由来


 現代中国は、隻の簡体字として「只」が使われている。しかし、これは「只」という本来の意味で使われたものではない。古文でも助詞として使われているが、「只」には、もともとの字の意味になるものが見つかっていない。



「字統」の解釈
 「「□」と八に従う。□はサイでで祝いの言葉を収める器、八は神気に象るものであろう」としている。
 説文では「「語已む時の詞なり」とあり、詩句の終助詞に用いられている。白川博士は、これは仮借であろうとしているが、原義と考えられる使い方がないが「神の楽しむさまを言う語であったろうと結論付けている。

「只」の繁体字「隻」

 「只」の繁体字。「隻」の原義は、鳥一羽の意味。「二つで一組になったものの片割れ」をいい、「双」と対を成す言葉。

 「隻」の甲骨文字は実によくできた文字で、見ていて面白くもあり、笑いを禁じえない。飛び立とうとする鳥一羽を手で捕まえている様がよくわかる。本当に、これで、「只一つ」という意味を表現したのであろうか。古代人の豊かな表現力に恐れ入る。

 漢字文化の中で、単位量詞になりうる鳥類の文字に「只(隻)」と「双」がある。図に示す通り、甲骨文字、金文、小篆共にみな手を用いて一羽の鳥を捕まえている意味である。「只」の本義は説文では「鸟一枚也。」と解釈している。(説文の時代は鳥を「一枚。二枚」と数えていたのか)即ち一只の意味である。

 後に拡張されて、単と双の相対する言葉になった。「孤身只影」の中の「只」(ここでは一つということか)の字である。




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2019年10月9日水曜日

漢字の成り立ちから見えて来るもの:熱とはあぶり焼けるように感じるのは熱という


漢字・熱 の成り立ちは現代に何と伝えるのか:トーチを持つとき感じるのは「熱」、気温の高いのを感じるのは「暑」
 古代中国でオリンピックはなかっただろうが、何かの儀式でトーチの受け渡しや神への捧げものとして、聖なる火が受け継がれただろうし、奉納もされただろう。それは古代文字・甲骨文字の中に埋め込まれていた。古代の人々はトーチに掲げる聖火から受ける熱を「熱い」と感じ、漢字「熱」の中に記録していた。

 甲骨文字では、熱の意味は一目瞭然
熱 の本来の意味は、「火を持つ、トーチ」です。

 トーチを手にするという意味です。手持ち型の松明は火であぶり焼けるように感じることをいいます。したがって、「熱い」はあぶり焼けるの意味です。

 一方これに対し「暑」について、字統では、説文を引用し、『形声文字:声符は者(シャ)。説文に「熱きなり」とあって暑熱をいう。』としている。
熱・甲骨文字


 


引用:「汉字密码」(P451、唐汉著,学林出版社)

   「热」は「熱」の簡略化された言葉です。 甲骨文字の「熱」という言葉は、まるで人が燃盛るトーチを手に持っているよう見えます。小篆の「熱」の言葉は、火と執るの音からなり、会文字と形声文字になっています。楷書はこの関係から、「熱」と書かれており、簡略化されて「热」になっています。

 「熱」の本来の意味は、「火を持つ、トーチ」です。

 《诗•大雅•桑柔》:"谁能执热,逝不以理?"にあるように、ここでの执热の意味はトーチを手にするという意味です。手持ち型の松明は火であぶり焼けるように感じることをいいます。したがって、「熱い」はあぶり焼けるの意味です。焙煎と発熱の意味があります。

 説文はこれを解釈し熱は温なりとしています。殷商人の甲骨文字に"杞侯热,弗其祸风有病の記載の、「杞侯热」は即ち発熱を言います。即ち体温が高いことを意味し、「祸风有病」とは、即ち傷風は疾病を重くすることをいいます。この記録は、人間の風邪の最も古い記録かもしれません。


漢字源の解釈
  形声文字。園芸の古字(人が座って植物を上育てる意味)から音を借りてきて作ったのが「熱」の字で、「火が燃えて熱いこと」をいう。唐漢氏とほぼ同様の解釈を取る。



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2019年9月26日木曜日

漢字「備」の原義は、現代風に言えば「軍備」


漢字「備」の起源と由来
 最近、防災ということがよく言われます。防災の本来の意味は、「災害を防ぐこと」の意味です。しかし、最近では、意味が変化して、「災害を防ぐ」ではなく、「災害に備える」という意味に用いられることが多いようです。

 「備えあれば憂いなし」と昔から言われています。昔から備えることの大切さを説く戒めの言葉でもあります。昨今では、大事故になって原因を追究された時の逃げの言葉として、「想定外のことです」というのが流行っていますが、備えをしても、備えの想定を超えた事態の発生を言っていますが、実際には、事故のない範囲を想定したに過ぎない場合がありますから、十分な吟味が必要でしょう。

引用:「汉字密码」(P573、唐汉著,学林出版社)
 「」は「備」の簡体字です。 「備」は象形文字です。甲骨文字と金文の構造から、形状と用途から備が一種の矢立てと想像は難しくありません。「備」は矢を挿入するためのエビラです。中央に下向きに差し込んだの頭のある矢があります。「備」は、昔は日常生活で普通に使用されていたツールです。

 「小篆」の「準備」は変形されており、1つは「人」が偏に加えられており、もう1つは金文の「備」が変化して○となったことです。
 楷書の繁体字に借用された「備」はこれに基づいており、簡体字は「備」と备と変化しています。 「備」の本義は、箙に入れること



漢字「備」の起源の「漢字源」の解釈
 会意兼形声。旁は矢を射る用意として入れた矢をそろえて入れた箙をあらわすとして、唐漢氏と同様の解釈。人偏が入っているのは、主役の事故を見越して用意のために揃えておく人の意。


漢字「旅」の起源の「字統」の解釈
 象形文字。箙の形としている。外を皮で覆って背負えるようにし、中は矢立の象形文字としている。これを負うことを備えるとした。


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2019年8月29日木曜日

漢字「旅」は道連れ:まさに「旅」の字そのものが大勢の人間が出行することを表していた。


漢字「旅」の起源と由来
旅という言葉
 昔から、「旅」という言葉には、日本に留まらず世界でも、日常から切り離されたものとして、特別の響きが醸し出されているように感じます。

 紀行文で有名なのは、マルコポーロの「東方見聞録」でしょう。この紀行文に触発され、ヨーロッパの人々に具体的な姿として、目に映るようになったことは確かでしょう。日本でも有名な紀行文は、紀貫之の「土佐日記」、松尾芭蕉の「奥の細道」などがすぐにでも頭に浮かびます。
 
 太古の昔の人々にとっても旅は特別なものだったようです。「旅」と言う漢字がどのように生まれ、発展してきたかを跡付けて見ましょう。
 「旅」という字は、会意文字ですが、旅がいかなるものであったか、甲骨文字や、金文では実に良く表されています。それは大きな旗の下に行進する兵士を良く現しています。金文になると、それに戦車が加わり、いっそう組織的になった模様がよく表現されています。


引用:「汉字密码」(P610、唐汉著,学林出版社)
形象や概念を表す古代の民が実に生き生きと活写しているのには驚かされます
「旅」、これは会意文字です。甲骨文字の「旅」の上部は古代の旗の象形記号です。 右下には2人がいて、兵士たちが軍旗に従って行進していることを示しています。金文は戦車に大きな旗を掲げており、兵士たちは大きな旗の周りに集まっています。 小篆は甲骨文字に似ており、大旗の下に2人の人(兵士)がいます。楷書の「旅」が改変され、下部の2人が上下をつなぐ民の字に変化しています。



「旅」の本義は、軍隊の出征
 「旅」の本来の意味は、一定数の兵士の武装した兵士の旅であり、軍隊の開始、つまり軍隊の旅行、軍隊の意味とみなすこともできます。軍隊出征から拡張され、古代軍隊の編成、つまり、軍事部隊旅団の「旅」を表している。「説文」曰く、「旅」は、軍500(人?)の遠征。『左传•哀公元年』にあるように、軍隊の一団は軍隊の一旅団をあらわしています。また軍隊の旅行は、
海外旅行にまで拡張されましたが、「旅」は通常多くの人がかたまっていくことを表しています。



字統
 旗を掲げて、多くの人が他に出行する意味。それで軍行の集団の意となり、旅行の意となる。
 旅は多数の人が従う意味であるが、必ずしも軍旅のことに限らず、外祭のために旅することも「旅」という字で表した。


漢字源
 人々が旗の下に隊列を組むことを示す。いくつも並んで連なる意味も含む。軍旅の旅がその原義に近い。


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象は古代には、中国の北方を闊歩していた


「象」は、漢字に登場するほど中国を闊歩していた
 "象"は熱帯と亜熱帯のジャングルに生息する哺乳動物です。それは強いですが、その穏やかな気質の動物は、先史の始めのころは黄河のほとりを闊歩していたようです。殷商の先民はまだこの巨大動物を身近に見ることが出来たようです。しかしその穏やかな気質が災いして、人類による獲得と環境の破壊のため、漢王朝の時までには、象の集団は既に何千里も南に移動し、雲南省の辺境に後退してしまいました。

ここにおもしろい逸話があります。曹操の息子に曹沖という人がいたが、彼はたいそう聡明であった。
 孫権が巨大な象を送り届けて来たことがあった。曹操はその重さを知る方法を臣下たちに訊ねたが、誰もまともに答えることが出来なかった。
 曹沖は、「象を大きな船の上に積んで、その吃水にしるしをつけ、象の代わりに石をその吃水のところまで積み込んで、石の重さを計算すると象の重さがわかります」
曹操はたいそう喜んだ。
ここで言いたかったのは、当時中国では象は普通に見ることが出来たということです。

また、甲骨文字にはまさしく「象」の形象を示した文字が残っていますし、「説文」はまさに象を解釈して「象は南越の大きな獣で、長い鼻と牙を持つ」という記述になってしまっています。これが、「象」が文字や文献に残した歴史的足跡ということが出来るでしょう。


引用:「汉字密码」(P78、唐汉著,学林出版社)
長い鼻、ずんぐりした体など象の特徴を良く捉えている
 甲骨文字の「象」の字は、象の側面図です。長い鼻と広く厚い壁のような体で、象の典型的な特徴を説明している。甲骨文の「象」という字は、簡単な線画で書くことが出来て、形態生動の象形の典型です。鮮明なストロークの単純な絵文字として記述できます。 金文と小篆の "象"の字はすでに見た大象の模様ではない。楷書は即ち小篆の形態が直接変化したものだ。


字統の解釈
 字統には、この文字は「象」象形文字としている。その上で、卜辞からの引用として、「殷王の狩場の範囲にも像が生息していたことが伺えるとしている。この他、古文書の記録から象が中国の各地で広範囲に生息していた記述を見つけている。そして、「象」という字を象徴の意味に用いるのは、直接この辞からは引伸しがたいので、他の同様の音の字からの仮借ではないかとしている。


漢字源
 この文字は「象」象形文字としている。その上で、ゾウは最も大きい目立った形をしているところから、「かたち」という意味を表すようになったと解釈している。



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2019年6月2日日曜日

中国語で泥棒を意味する漢字「小偷」の「偷」と「盗」との違い!


漢字「俞」と「盗」の違いは?
 中国の笑い話に「牛泥棒」というのがある。これはNHKの中国笑話選という中国語教材に掲載されていたものですが、今日はこれを紹介しながら、漢字に迫って行きたいと思う。
昔々ある時、一人の男が道端に首枷をハメられてうずくっていた。
たまたまその時、男の友人が通りかかって、男を見て驚いて尋ねた。
 「お前は一体何をしたんだ。そんなに首枷をハメられ、どんな悪いことしたんだ?」
 男は自嘲気味に答えた。「実は、道端に縄の切れ端が落ちていて、それを家に持って帰ってしまったんだよ。」
 友人を驚いて尋ねた。「たったそんなことで、なんで首枷までハメられるんだ。何か他に大きなことをしたんじゃないの。」
 男はそれに答えていうには、「実はその縄の先に運が悪いことに牛が一頭繋がっていたんだよ」
 とぼけた話ですが、ここに出てくる、泥棒は中国語では、「小偷」というのですが、今日はこの「小俞」の「偷」について、お話したいと思います。

 漢字の成り立ちからいうと、この「偷」という漢字は、人偏+「俞」で俞をする人という成り立ちになります。字面通りいうと「中を抜く人」とでもいうのでしょうか。
 一方同じ意味で「盗」という漢字がありますが、こちらの方は、「お皿の食べ物によだれを垂らす」様を表現した漢字ということです。これについては、後日改めて取り上げたいと思います。

 ということで、ここではまず「俞」の成り立ちから。



引用:「汉字密码」(P756、唐汉著,学林出版社)
「唐漢」さんの解釈
 "俞"、これは会意字です。甲骨文字の下の部分は船の絵文字で、小船の象形文字です。上の部分の三角形の符号は、前進を意味します。
 金文の「俞」では左側は「ボート」ですが、上の三角形は右に移動し、併せて縦長の曲線は前方へのセーリング(反対側に川を渡る)の意味を強調しています。小篆の "俞"の字は、まさに前に行く符号が2つに分割し、前の三角形は上部に移動し、下部の長い曲線は "水を行く様を表している。楷書では水貌が立刀に変化したことを示している。


漢字源
会意文字である 左に 船を右にこれにくりぬく刃物の形を添えたもの 「説文解字」に 木を中空にして船と為すなり」とある。偷(抜き取る→盗む)・癒(病根を抜き取る)。踰(中間の段階を抜いて進む→越える)、輸(物を抜き取って車で運ぶ)などの音符として含まれ、抜き取るという意味を含む。

 熟語では、「愉悦」という言葉がありますが、セックスなどで、気持ちが良くなり、「心(リッシン偏)+俞(中身がない)」(心が抜けた)状態を言うのかもしれません。

 こうして考えると、「偷人」(他人の男を寝取った人)と「盗人」(盗んだ人、泥棒)の違いが、納得できますね。



字統の解釈
会意文字。船と俞に従うとあります。 字統では「手術用の取っ手のある大きな針」としています。
この針で膿血を番に写し取るのである金文の字型は針の横に斜線が入っているが、これは膿血を盤に移すことを示すことによってその患部が治癒するので、膿が取り除かれ傷が癒され心が休まる事をいう。
 


後書き
 漢字のルーツを読み解くというのは、非常に難しい。このページでも挙げた、唐漢氏、藤堂先生、白川先生の3人のご意見もてんでばらばらだ。言い出したものが勝ち、いいたい放題みたいに感じてしまう。しかしそれだから面白い。このページで掲げた「俞」を旁とする漢字でも「瑜喻渝榆谕愉諭輸踰」が、たちどころに上がって来ます。これらの漢字から、「共通する」意味を抽出し、成り立ちに迫る態度が望まれるのでしょう。


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2019年5月6日月曜日

大阪都構想を原点に戻って考える:漢字「都」の成り立ちは


漢字「都」の起源と由来
 漢字「都」の原義から「大阪都構想」を考えて見るとどうなる?

大阪都構想
 大阪で大阪都構想が議論になって久しい。大阪市民や府民にとっては、『大阪都』という響きの持つ魔力に取り付かれ、なかなか離れられないらしい。これまで大阪では、橋下前知事のときに、「大阪都構想」で府民投票に打って出て、大阪府民の同意を得られず、いったん撤回された感じであったが、ここに来て息を吹き返してきている。
 前回の橋下知事と今回の松井知事の間にはそれなりの時間経過があったわけだが、その間「大阪都構想」という構想に議論の深まりがあったわけではないように思う。

都構想議論に見る感性と理性
 私は最近つくづく感じるのは、日本人というのは、大阪人に限らず、議論をつめて考えるのが苦手なようだ。「どちらかというとことをファジーにしておきたがる、余りつめてものを考えない。」国民性を持っているようだ。きっちりものを理詰めで考えようとすると、「あんたは理屈っぽい」といわれ、如何にも議論することが子供じみているかのように考えられる傾向にあるのではないだろうか。

 それに加えて、言霊伝説なるものがあるようで、言葉の中身より響きに惑わされてしまうようだ。理性より感性に重きを置くことになって、議論が深まらない要因の一つであると思う。

 ならば、ここで「都構想」の大本の「都」とは何かそもそもどのような成り立ちかに立ち返ってみようと思う。

引用 「汉字密码」(P727, 唐汉,学林出版社)

「都」は多くの小さな町を従えた大きな都市
 「都」は会意文字である。金文の「都」の字は左右が結びついたものになっており、右辺は「邑」で「人が集まって住む都市」を表し、左辺は「者」という字である。もともとは漆塗りの器の意味である。両形の会意で、多くの小さな町を従えた大きな都市を指している。

国の城(街)を都と言う。いわば国君が住むところ 今の人は国の首都を「都」と称す。 《释名•释州国》:「国城曰都,言国君所居,人所都会也。」 国の城(街)を都と言う。いわば国君が住むところで、人皆会うなり」また拡張して大都市という。



都構想の問題を複雑にしている問題
 こうしてみると、大阪はまさしく大阪都と呼ぶに相応しい規模と資格を備えているように思うが。
 悲しいかな、議論は単なる規模の問題ではなく、行政組織の問題になっているからややこしい。話の発端は何か?「二重行政の解消」から、「行政組織の簡略化」、「大阪万博」、「カジノ」といった問題が持ち込まれ、結果として話をややこしくしている。


複雑な問題を解消する鍵は?
 大阪都構想の問題を複雑にしている原因は、そもそもの行政改革の問題ではなく、(つまりそこには本質的な問題はなかった)府民の金を横取りしようとする利権集団の問題ではなかったのかということに落ち着く。府民の金と府民の土地を使うのだから、利権集団の懐に入るのではなく、府民が豊かになるようにすると、ことはきれいに片付くように思う。


「都」は「全てが集まるところ」の意味で、中国語では「全て」という意味に使われる
都市は庶民が物品を合わせ集めるところで、だから拡張して集合の意味になった。聚集から「全てが集まるところ」の意味で、完全とか全部を表す。杜甫の「喜雨」の詩"农事都已休,兵戎况骚屑。"ここでの「都」は即ち総括を表す。都は副詞を作り、強調する作用もある。例えば「连里头的衣服"都"淋湿了」この解釈は「中の服でさえずぶ濡れだ。」
  


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2019年5月5日日曜日

漢字「差」の原義に戻って、「貧富の差」、「差別」って何だを考えた!!


漢字「差」の起源と由来
 そもそも「貧富の差」ってなんだ?「差別」って何だ?漢字「差」の原義に戻って考える!!

 世界の富の6,70%は数パーセントの富裕層が独占している!! そもそもこの「差」って何だ?
  漢字はその中に、生活や考え方や文化が込められていて奥が深い。この「差」という漢字を通して、今から4000年前の生活を垣間見ることができます。

引用:「汉字密码」(P232、唐汉著,学林出版社)
「差」の字の成り立ち」
 「差」、これは会意文字です。金文の「差」という言葉は、古代人が小麦の穂を脱穀するために、小麦の穂を手で揉みほぐすことから来ています。「差」という単語の上の部分は「麦」の単純な形であり、下の部分は「左」であり、仕事の手を示しています。小篆の「差」という言葉は、簡単化で象形を失った後の楷書では「差」と書かれています。


 また、「左」のヒエログラフの解釈は、本ブログの「左は「工具」を持つ手の象形文字」のページを参照ください。
 また、ここで穂のヒエログラフが何故麦かということに対しては、漢字の発生した中国の「中原」という地方では、稲作は盛んでなく、基本的に麦、稗、粟といった穀物が作られていたことから、おそらく麦であっただろうと推察しています。

現代の「差」という意味はどうして生まれたか?
 古代の社会では、脱穀するのに石の盆や陶器の鉢が使われていました。その内壁は不均一な研削パターンを持つことが必要でした。したがって、「差」とは、長短、高低が平たくないという意味です。このことから現代で使う「差」という意味が生まれ、標準ではなく不十分であるという意味にもなります。
 従って、「差」という漢字は、足らないときや不足であるときに使われるようで、他と比べ優位にあるときには、余り使われないようです。


漢字源
 会意兼形声。「左」と「穂」の形を表現した。「左」そばから支えるの意味+「穂」を示すことで、穂を交差して支えると解釈する。


字統
 形声字であると解釈する。
意味は「禾」を神に「差」(すすめて)、祝祷するという意味を持つ。


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2019年4月28日日曜日

「肉」の世界の事件簿、生肉食中毒から肉離れ、そして肉フェス

「肉」と世間とアクセス

「肉」の検索がピークになった背景
 2011年4月、ある事件を契機に、「肉」という漢字のGoogle検索のアクセス数がピークに達した。その事件とは、5人の死者を出したユッケ食中毒事件である。
 これは、富山県の焼肉店でユッケを食べた人が、腸管出血性大腸菌といわれる菌による集団食中毒を患い、5人が命を落している。そして、それ以来、日本の焼肉店から「ユッケ」が消えた。これが本当の「肉離れ」!





「肉」が再び話題に蘇る
 それから暫くは2011年のピークをしのぐことはなかったが、2014年4月に「肉フェス」というイベントが開催され、次第に肉ブームが起こるようになった。そして、2017年5月、東京お台場で、「肉フェス TOKYO 2017 WONDERLAND」が開催され、肉ブームに火をつけ、現在まで毎月のように2011年の不幸な出来事のアクセスに相当するアクセスを獲得するようになった。つまり、2011年の負のイメージを6年かけてようやく払拭することが出来たといえる。

「肉」業界挙げての涙ぐましい努力
 2011年から2017年までの間、業界もマスコミも涙ぐましい努力を続けてきたようで、2015年4月12日か13日ころのあるバラエティー番組で、「肉」という漢字について、「『内』という字に人と書いて、肉になる。肉なら当然人ではなく牛だろう。何でやねん」と叫んでいた。もちろんこれはお笑いの世界で、冗談の話であるが、本当のところはどうだろうと「肉」という漢字に当たってみた。



漢字の「肉」の生まれや育ちは如何に??
引用 「汉字密码」(P664、唐汉,学林出版社)
 「肉」これは象形文字である。甲骨文字の「肉」の字は肉の塊のデッサンである。金文と小篆の形状もまた肉の塊に源を発しており、中間の斜め横の線は、肉塊の上の肋骨を現す。楷書の肉の字は月の字の区分になっており、隷書化の過程での変異で、小篆とは、互いにはるかに相異なるものとなっている。既にいささかの肉塊の形も残していない。「肉」は動物の体の食べることのできる肌肉部分を指している。これから拡張して、野菜、瓜果物の可食部分を指す。例えば果肉、葉肉など。
 因みに白川博士も同じく、小篆は肉の塊だとしている。

「月」が付く漢字は概ね「肉」に関係している
 肉は部首字で漢字の中で凡そ肉の字を構成にしている字はみな肉と関係がある。後世にいたって肉の字と月の字は混同されて、全て「月」と書くようになった。このことから月と肉月は旁の分に成った。
 さらに、言葉の意味から区分が付け加えられ、「朗、期、腊、胧」など月明かりに関係のある字は月の字を構成に加えている。腸、肝、肚、腋、脸などの字の中の月はみな肉に関係を持っている。この字の旁は本来肉の字である。


 因みに「内」と「肉」とは漢字学的には全く関係がなく、「内」は日光が屋根の上の穴や窓から屋内に差し込んでいる様を表す象形文字である。「内」の本義は外から内へ入ることである。説文では内に入ることと解釈する。


むすび
 この記事のように、漢字に係わるネットのアクセスを調べることで、世の中で起こったことが、浮かび上がってくる。ここでは偶々アクセスについて注目したが、ネットのような媒体のなかった大昔でも、漢字の変遷を調べることで、社会がどう変化していったかを、跡付けることが出来る。漢字学の奥深さがある程度お分かりいただけただろうか。


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漢字「初」の初耳学:「衣偏に刀」と書いて「初」と読む。そのココロは衣を作るのに刀を入れるのが「初め」


漢字「初」の起源と由来
 「初」の漢字で紛らわしいのは、コロモ偏かシメス偏かであるでしょう。しっかりと記憶しておくようにしましょう。


 さて、その前に一つ質問。このデザインは何を表しているでしょう。想像力を働かせて、当ててください。想像力を働かせるまでもないですね。見たまんまです。
 これは今から約3500年前の甲骨文字と呼ばれる文字です。実にすばらしい観察眼と思いませんか。衣文掛けまで架かったものは、さすがの林先生も兜を脱ぐこと間違いがないと思います。しかしこれは初耳ではなく「初目」というのかもしれませんね。


引用:「汉字密码」(P708、唐汉著,学林出版社)

「初」の字の成り立ち」
 「初(chii)」は「衣服」の傍に一振りのナイフを付け加えたものです。 2つの形は服が完成したばかりの衣服で、裁ったナイフが未だ収納されていないことを意味します。 したがって、「初」の本来の意味は「新しい服」がはじめて出来たことを意味する。

「始」の字の成り立ち」
 「漢字源」によると、「女」+鋤を表す「ム」と「口」で人間が鋤を手に持ち、口でものを言い、行為を起こす意味即ち女性としての行為の起こり、つまり始めて胎児を孕むことを表すとしている。「胎」と最も近い。






いろいろの「初め」
 拡張され、"初恋、初心者、早く、初出茅庐(初めて世間に顔を出すこと)"など一般的に事物の初めのことを言います。《易•既济卦》 "最初の栄光の始まり。"ここでの "初"もまた始まりです。



結び
 説明はいろいろ難しくて理解し難いのかもしれませんが、、私が小学校のころ教わったことは、衣を作るのに、最初に布(昔は衣<キヌ>といった)に刀を入れて切らなければならないことから、コロモ偏に刀と書くのだということでした。この説明が一番わかり易くて、覚えやすかったように思います。



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2019年4月5日金曜日

水前寺さんの「365歩のマーチ」の「歩」の長さは?

長さの単位としての「歩」
 今では「一歩」というと、純粋に歩幅を表現しているようだが、日本でも中国でも「一歩」というのは、「左右の歩を進めた長さ」のことをいう。

 昔から歌や格言に使われてきた「歩」が具体的に、何センチのことを言うのか、考えたことがおありだろうか?
 日本と中国では少し定義が異なり、約 1.818m(日本)、 約 1.667 m(中国)であったということだそうだ。


365歩とは具体的にはどのくらいの長さ?
甲骨文字「歩」
 今から50年前水前寺清子さんの「365歩のマーチ」という歌がヒットした。あれから50年も経つのかと思うと年月の流れるのは早いものだと思う。しかし、50年も経った割には世の中は365歩どころか、一歩も進んでいないように見える。最近では、戦前に帰れだとか、100年前に引き戻そうという動きさえ見える。
私たち日本人は、この辛い戦争を経験し、一体何を学んだのだろう。
 逆にロシアの革命家のレーニンの著書に「一歩前進二歩後退」というのがある。この本の通り言えば、大正デモクラシーから、100年。この100年の間に100歩も後退したことになる。

 この「「歩」というのは、概念的な歩みのことで、現実の物理的な「歩」を指すわけではないが、「千里の道も一歩から」という言葉もあるので、少し歌でいけばどのくらい進んでいなければならないのか、少し考えてみよう。




塵も積もれば
 歌詞に拠れば365歩は1年で歩くことになるので、365歩 X 50年 = 18250歩 進んでいなければならない計算だ。
 さて、この一歩は、日本では長さの単位としては、1.818mで、中国の清の時代まで使われた尺貫法で言う1.667mとは少し異なるが、ともかく365 X 1.818 X 50 = 33,178.5m という勘定になる。即ち、33Kmも進んでいるはずということになる。
 これを多いと見るか少ないと見るか、いろいろあろうが、日本の全ての国民がこれだけ進むということは、やはり凄い数字である。
 あくまで比喩の話ではあるが、ちりも積もれば山となる、千歩の道も一歩からを具体的に見れば、大変な数字である。   因みに、ヴィキペディアによると、この長さの単位としての「歩」は以下の通り。

歩(ぶ)
系    尺貫法
量    長さ
SI    約 1.818 m(日本)、 約 1.667 m(中国)
定義  6尺(日本) 、 5尺(中国) 
由来   左右の歩を進めた長さ




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2019年4月1日月曜日

漢字学から『新元号「令和」が本当に意味するもの』を考える

新元号「令和」の由来と起源
 新元号が今日(2019年4月1日)の閣議で決定発表された。
   出展は万葉集ということだそうで、これでの元号は基本的に漢籍から取られたものだそうだが、そういう意味からもこの新しい元号は、これまでとは一線を画するものかも知れない。
 しかし、この新元号の解釈を如何にしようとも、漢字の解釈から引き出される意味は、「命令に和すること」以外はないようである。


漢字「令」の成り立ち
 漢字「令」の甲骨文字の上部の三角形は、許慎は上古の時代青銅楽器の外形の輪郭と考えた。即ち、鈴、鏡、の一種。下部は左を向いて跪いている男の人である。両形の会意で命令を発することを表示する。古典の典籍では、「古きもの将に新令あるときは木鋒を奮い上げ大衆に警告をする。木鋒は木の舌であり、文事には木鋒、武事には金鋒を奮う。
   「金文は基本的には甲骨文の形態を受け継いでいる。小篆の下の部の人の形はいくらか変化し、楷書の形態は即ち根本的には鈴の字の人の形は見られない。其の実、令の字は別の角度からの解釈が合理的なのかも知れない。
 大腿のマタを広げ佇立する男性の眼前に一人の跪いた人がある様がまさに「令」の源である。
 この意味からまた拡張して「~させる」という意味が出る。

 因みに、藤堂明保編「漢字源」による解釈では以下のようである。


「△印(おおいの下に集めることを示す)+人のひざまづく姿」で、人々を集めて、神や君主の宣告を伝えるさまを表す。

漢字「和」の成り立ち
 次に「和」の解釈であるが、「説文解字」や「字統」「漢字源」などで、様々解釈をされている。何はともあれ、甲骨文字と小篆、楷書をそのまま提示しておきたい。ただ「和」という漢字は古代は異なる別々の由来を持っているという解釈が優勢なようだ。

左の図の上段の解釈
 中国語の解説書には、「禾」は「もともと甲骨文字では「」という文字であった。この意味するものは、楽器であったようだ。
 ところが、金文、小篆、隷書と変化するうちに「」の左の旁が「口」に変化し、更に旁と偏が左右位置が変わり、現在使用している「和」となった。
「説文解字」では「龢」は調べなりとしている。

上図の下段の解釈
 そして "说文解字•口部"咊"の意味は「相応する」という意味。偏「口」と発音は禾声。"指と口は対応して、本来の意味は、音楽のハーモニーを意味する。音と声が一致して、歌手または伴奏が調和していることを指す。発音はHeと読む。


関連記事 1.「漢字「令」の成立ちを「甲骨文字」に探る

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2019年3月12日火曜日

漢字「医」は矢傷を治す外科医療の意味であった。内科医療の概念は後世になってから


漢字「医」は矢傷を治す外科医療の意味であった
 「医」の漢字の成り立ちは外科から始まり内科へと発達した。これは漢字から明確に跡付けられる。後世になって、薬効を用いたと考えられ、「酒」の字が加えられ、内科治療が「医」の分野に加わったのだろう。

 この発展の仕方は、実際の医術の発達に追随したものと考えられる。つまり最初は、矢などの外科的な治療を治すことがまず第一優先だったろう。

引用:「汉字密码」(P450、唐汉著,学林出版社)
「医」の字の成り立ち」
 「医」は「醫」"の簡体字で、金文の" 医"で、外構えは"匚"で、篭を表している。内側の左側は矢の形であり、右側は"攴"です。 2つの形を合わせて、鍼治療で病気を治療することを意味している。金文の他の字は左の外側は「人」の形で、内側の「矢」、「攴」は分割して、右に移動し、針を刺して治療する意味を明確に示している。
 小篆の「医」という言葉は、その下部に「酉」を追加していますこれは酒を意味し、付け加えられた酉は酒の効能が病気の治療に使用できるためです。


古くから医療に酒が使われた
 小篆では下部に「酉」が追加されています。これは酒を意味しており、「酉」を付け加えて、酒の効能が病気の治療に使用したことを示している。《史记•扁鹊仓公列传》では、病が「胃腸にあるときは、酒と濁り酒の及ぶところなり。」この意味するところは、病が内臓にあるときは、酒が薬物としての効能を発揮すると言うことです。

 このため、楷書では「醫」と書き、画数が多いので、簡略化すると偏と旁を取り「医」と書かれています。


現代の中国語での「医」の使い方
 現代中国語では、「医」は名詞や動詞にも用い、あるときには医者のことを言ったりします。



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2019年2月22日金曜日

漢字「疾」:太平洋戦争中の陸軍の戦闘機「疾風」余聞


漢字「疾」にまつわる話
 「疾」といえば、老齢の方は「疾風(はやて)」という飛行機を思い出すだろう。一つの言葉でも、年代により全く思い起こす言葉が異なる。疾とは太古の昔は、外傷のことを言った。そして、戦前では戦闘機の名前(注1)でもある。
注1
 「疾風」とは、第二次世界大戦時の大日本帝国陸軍の戦闘機の愛称。呼称・略称は四式戦、大東亜決戦機、決戦機など。連合軍のコードネームはFrank。

 かの有名なゼロ戦は、日本海軍の艦上戦闘機のことである。
「疾」の字の成り立ち」
 この疾という字は甲骨文字の時代(今から約4000年前)にすでに生まれているが、人を表す「大」と思える記号の腋の下に矢印が記されている。この示す意味は人が矢で負傷した様を表現した字である。つまり「疾」とは外傷を負ったことを表す記号であった。



「疾風」の生まれについて
 この戦闘機「疾風」を設計したのは、小山悌という人で、中島飛行機という会社で製造され、約3,500機が製造されている。

「疾風」を生み出した「中島飛行機」という会社
 さてこの「疾風」という戦闘機は、日本最初の民間の飛行機製造会社の「中島飛行機」という会社で生産されています。中島知久平という人が飛行機研究所を創設し、1918年中島飛行機製作所と改称し、後に株式会社とした。その後戦争拡大国策に乗って急成長し、三菱重工業と共に日本の軍用機製造の中軸を担った。代表的な機種は一式戦闘機の『隼』などがある。
 戦後富士産業と改称した。1946年占領軍の財閥解体方針により解体されたが、富士重工業(スバル),富士精密工業(プリンス自動車工業に改称、1966年には日産自動車と合併)などに引き継がれた。


参考記事:「病」と「疾」はどう違う?」

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2019年2月21日木曜日

「疾風ロンド」に使われた漢字の「疾」の由来は?


漢字「疾」の起源と由来
 2016年製作された映画で「疾風ロンド」というのがある。これは阿部寛主演で人気作家・東野圭吾の同名サスペンス小説を映画化したもので、大学の研究所から盗まれた違法な生物兵器「K-55」を秘密裏に探す物語であるが、駆け抜けるイメージから「疾風」と名付けられたものだろう。

 ところがそもそも疾風というのは日本でも、中国でも病気のことを「疾病」という。しかし、古代は「疾」は外傷のことを「疾」といった。それは疒に矢と書くことからも窺い知ることが出来る。


引用:「汉字密码」(P444、唐汉著,学林出版社)
「疾」の字の成り立ち」
"疾"、これは象形文字です。甲骨文字と金文は、人に腋の下の中に矢の形をしています。 小篆の「疾」という言葉は、人の「大」という記号が「床を表す記号と」とその上の一の字形に変わり、これが「疒と矢の音声」との形声にこれは実際には文字の方向偏と旁の分類の結果です。 楷書は小篆を継承して「疾」と書く。

古人は「疾」をどのように考えたか
 昔は弓矢は血族の遠くに飛ばせる殺戮手段として使われてきた。発射場所を隠蔽することができることから人々に危険の状況下にあることを自覚させなく出来る「矢」にすることを可能にしました。 しかし、技術的な条件に限られて、古代の弓は、ほとんどの場合、人の中で矢のすぐ後に矢を使うと、すぐに死ぬことになる。だから「疾」の元来の意味は矢の受傷を意味します。

「疾」と「病」の混用
 だけれども説文は「疾」は病なりとしている。 「実質的に、「疾」と「病」は意味が異なります。「疾」とは外傷を指し、「病」とは体内の病変を指します。 古来からの文籍のなかで、両方の文字が混用されて再び分けることが出来なくなっている。「疾患、积劳成疾、关心疾苦」といった言葉の中の「疾」という言葉も病気として解釈することができ、すでに内病、外傷の区別は出来なくなっている。

関連記事:    漢字「疾」:太平洋戦争中の陸軍の戦闘機「疾風」余聞

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2019年2月20日水曜日

漢字の成り立ちから探ると「病」と「疾」の違いは明確になる


漢字の成り立ちを見れば、「病」と「疾」はどう違うのか明らかだ
 つい先日、オリンピックのメダリストの池江璃花子さんが白血病に罹患していることを公表し、また堀ちえみさんが「舌がん」公表し、世間を驚かせました。お二人の一日も早い回復を祈るばかりですが、人間の歴史でも病気との闘いは、有史以来長く続けられてきています。そのことは漢字の世界でもはっきりと記録に残っています。

 今日私たちは病気のことを疾病と呼びますが、漢字の「疾」と「病」はどう違うのでしょう。漢字の成り立ちを見れば、この疾と病の違いが極めてはっきりと見えてきます。

 「疒」の中の「丙」と「矢」の違いはどこから来たのか。漢字が分かれば世界が分かる。

引用:「汉字密码」(P444、唐汉著,学林出版社)
「病」の字の成り立ち」
 「病」、これは会意文字です。甲骨文字の「病」という言葉は、ベッドの象形のデッサンで、右側は発汗して横になっている人です。漢字の縦と横の幅の特性に合わせるために、甲骨文字の形状は縦になっています。 小篆の「病」という言葉は、右側の「人間」の形を簡略にして一とし、構成組字の「疒」の右上に水平線が入り、もう一つは声符「丙」が追加されています、そしてそれは「疒と丙」で形声文字になります。 

「病」と「疾」のはざ間で
 説文では「病」とは、「病気、疾を加えるなり」と解釈されます。つまり、この意味は、重いのは「病」であり、軽度のは「疾」です。事実、古代において、「病」は人々が寝たきりで起き上がれないことを示し、全身汗を出し、内科の病気であったといいます。一方「疾」は、人体が刀剣などの外傷を受けることを表し、そして外科的な病気であることを意味するとしています。
 例えば、3000年以上前の甲骨辞中では、「女性はよく病にかかる、みんな病気に罹っている」などという表現で「病」の字はよく見られます。 「病気」という言葉は、ある種の「内なる病気」を持つという意味でしばしば使われていたようです。後に、「疾病」という2文字の言葉が通用し、どちらも病気を意味するようになりました。一方、「病気」は深刻な病気を指し、「疾」は小病・軽い病気を意味していたようです。

現代中国語での「病」の使い方
 例えば、 "論語"では: "子疾病 , 子路使门人 为臣。"これは:孔子の病が重くなった後、子路は門人達を臣下とした。
 現代中国語では、「病」は広く「病気」を指します。病気になる、心臓病、心臓病」などの病気を指します。 人体の不快感や不健康さを表現することに加えて、「病」は病気の意味から拡張して、事物の弊害、錯誤などを表します。「悪弊、語弊」などのように。


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2019年1月28日月曜日

「編隊少女」は「変態」少女ではない! 漢字「編」を考え直そう!


漢字「編」の起源と由来
 ウエブで「編隊」というキーワードで検索してみたら、「編隊少女」というサイトにぶっつかった。「基本的に無料」という甘言につられて、ついログインしてしまった。世の中こんな世界もあるのかとある意味衝撃。こんなサイトに入った自分が「変態」ではないかと思われるくらい全く異なる世界である。
 はっきり言って、使われている言葉も全く理解できない。「4コマ」漫画も全然面白くない。なんでこんなのが漫画になるのか不思議でしょうがない。
 こうして毒づいても、「嫌なら見るな」「早く出て行け」と言われそうそうなので、早々に退散した。
 このサイトの収穫としては、自分に全くの異次元の世界が広がっているということを自覚させてくれたことだ。これからも、偶には異次元の世界を訪れるのもいいのかも知れない。自分の孫が成長するときには、こんな世界になっているのかも知れない。

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 ところで、ドローンによる編隊飛行の実験が、中国で行われたと報道されていました。その実際の映像を見ましたが、すごい迫力のあるものでした。ドローン自体は小さなものでしたが、おびただしい数の飛行体の編隊が、飛び回る光景は、以前にアメリカ映画にあった、「インデペンスデイ」(記憶がはっきりしていないが、無数の小型飛行編隊が母船から襲来してくるものだったように思う)そのものでした。
 今どの国でも、このドローンやアンドロイドによる代理戦争が研究されていると聞きます。

 以前映画を見たときには、映画の中だけのこととして感じていましたが、この紙飛行機のようなドローンの映像を見た時、これが現実の戦争だったら、どんなに恐ろしいか恐怖さえ感じました。数体ならばどうって言うことないのかも知れないが、何百という編隊だったらどうでしょう。

 ここで漢字「編」の持つ意味の恐ろしさを一度考えてみましょう。 


引用:「汉字密码」(P184、唐汉著,学林出版社)
「編」の字の成り立ち」
 「編bian」、これは語彙の一種です。甲骨文の「編」という言葉は左側は「」という字乃至編み物や柵の象形である。右側は編むためのロープを表す「糸(mi)」です。したがって、「編」の本来の意味は配列状のフェンスです。これは編みを編んだりネットの縁取りすることも指します。小篆の「編」という言葉は、「家」を追加している。これは、一枚扉の象形です。そのため、阻止する、隔てるの意味にも使用されます。したがって、「編」の本来の意味は交錯して作ることです。


「編」を使った成語・言葉
 蔡倫が漢の時代に紙の発明する以前は、古代中国では筆記用具として竹簡が使用されていました。竹簡を一条一条革の紐で編んで連ねていくと、それは巻の本になります。

「編」を使った成語
"史記"によると、孔子は彼の晩年に本 《易经》を研究し、何度も何度も読み返し竹簡の皮が擦り切れて切れてしまったといいます。 「韦编三绝」のイディオムの起源となり、後世の一般的な本を編で表すように成りました。

「編」がどのように使われているか
 「長編」、「上編」などに表現されます。歴史的な本では、歴史的文書は年代順に書かれた文献を、「編年体」と呼ばれます。軍隊では、「編隊」、出版上では、「編纂」演劇の制作では「編導」など、皆一定の順序・格式を持って制作する意味を持っています。古代の編織は縦織と横織の2種に別れており、経糸または緯糸の空間往復構造を使用して、メッシュまたは縞模様の布地をパターンで織リ物でした。「编钟」は古代中国のユニークな楽器(打楽器)であり、この楽器の特徴は、鐘がサイズ順に連続して長方形の木枠の中に吊り下げられていますす。それは鐘の音の高さ順に音が放出されるので「编钟」と呼ばれます。
 

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2019年1月26日土曜日

大阪は元々「大坂」だった。では大阪という漢字はいつから?


漢字「坂・阪」の起源と由来
 大阪は江戸時代以前には、「大坂」と書いていた。大坂の「坂」の字を分解すると「土に反る」と読めてしまい縁起が悪いということから、江戸時代のころから「大阪」とも書くようになったということです。

 ところで、大坂選手は全くすごい人です。まだ若いにも係わらず、テニスの世界のトップに上り詰めました。心から祝福したいと思います。彼女の試合を見ていると、あまり「やったる」という気負いが見出されません。実際はものすごいプレッシャーと戦っているのでしょうが、それをあまり感じさせないというのは、大きく成長した結果でしょう。 
 彼女の姓の中の「坂」という字には、這い上がるとか、手で反らせるという意味があります。どんな状況でも、条件をはねのけ、這い上がるという今の彼女がまさに名前の中にDNAのように刷り込まれているのかも知れません。


テニス界の快挙、大坂選手、全豪オープン優勝。錦織も奮闘!!
 甲骨文字の時代は、「阪・坂」という文字はなかったのかも知れない。
 大阪は江戸時代以前は、テニスの大坂選手の「坂」という字を使っていた。
 今日の毎日新聞の「余録」の記事だ。それによると、昔は大阪と言わず大坂が一般的だったという。小堀遠州も、「大坂時代」するよう、進言をしていたという話。

「思いつき雑記帳」というブログによると、

漢字の表記は当初「大坂」が一般的でしたが、大坂の「坂」の字を分解すると「土に反る」と読めてしまい縁起が悪いということから、江戸時代のころから「大阪」とも書くようになり、明治時代には大阪の字が定着しました。
とのことです。これで納得です。

引用:「汉字密码」(P315、唐漢著,学林出版社)
「坂・阪」の字の成り立ち」
 「坂・阪」という字は、昔は「坡」と書いていたのかも知れない。説文の時代になって、以降「坂」と書くようになったのだろうか。  坡は一般に地勢が傾いた場所を指す。明代の詩人施武《相见坡》で「上坡面在山 , 下坡山在面, 相见令人愁, 何如不相见。」その中の坡は山の傾斜するところを指している。「山坡、坡道、一面坡」の言葉もある。
 《说文》では解釈して、「坡乃ち阪なり」としている。土と「皮」の発声からなる。
このような文字を分解して解釈する手法は難しい部分がある。宋の時代の中国の有名な二人の問答が面白い。
 王安石の《字説》の中で、波は水の皮と解釈している。たまたま訪れた蘇東坡が冷やかして曰く。もしそうなら、「坡」は土の皮かと。



引用:「字統」(P698、白川 静著,平凡社)
「坂・阪」の字の成り立ち」
 「坂」:声符は「反」。「反」には、攀援、よじ登るの意がある。「説文」では、「坡なるものを、阪といふ。」と説明しています。因みに、この阜偏は「阜」と書き、階段を意味するものでした。







漢字源の解釈
 漢字源では:阪という漢字は「会意文字兼形声文字」であるとしています。「反は反り返って弓形に傾斜する意味を含むとしています。「坂」は「土+音符反(そりかえる、傾斜する)」
 また「反」の項目では、会意。「厂+又(て)」で、「布または薄い板を、手で押して反らせた姿。」と解説しています。

 

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2019年1月22日火曜日

火器管制レーダーの照射の「照」という漢字に隠された本来の意味は何??


漢字「照」の起源と由来
 元々「照」という字は、お招きした客人を玄関で、トーチを手に持ってお迎えする云わば「接待」の意味を持つ言葉であった。
 それが、昨今新聞を賑わしている「火器管制レーダの照射」では、ずいぶん荒っぽい「御もてなし」をされたものだ。
 相手が誰であろうと、その人にいきなりライトを浴びせたことが本当だとしたら、それが火器でなくとも、失礼この上ないことで、理由のいかんを問わず謝ることが先決だと思うが・・。
 双方の言い分はあるだろうが、誰にとっても理解できる議論で、ここはオモテナシが殴り合いの喧嘩にならないように願いたいものだ。

引用:「汉字密码」(P325、唐汉著,学林出版社)
「照」の字の成り立ち」
 「照」、 "説文"は「語意は火、発声は昭だ」という。また、実際上金文の「照」の字は、左上の部分は火であり、下の部分は枝であり、トーチを握っている形です。右側は「召」の字で、もともと他の人たちを呼ぶことです。「呼びかけ」の言葉があります。二つの形会意で、玄関で招いた客を、トーチを持って、案内する情景です。表現は非常に適切です。


  小篆の言葉「照」は、変化して、トーチが輝いていることを示すために、「火の上に日があって」発光している火を表現しています。楷書から隷書への変容の過程で、左下部分の「火」を4つの点火に変化させ、併せて下部に移動し、「照」と書くようになったということです。


「照」は派生し、現代どんな使い方をされるか
 「照」の本義は火を使って照明することです。後日拡張され、日光が照射することに使います。
 現代の中国語では「日照、輝き、照明」という言葉があります。また様々に拡張され、「鏡や他の物の反射」させてできる像の意味や『对照、比照、心照不宣』の如く、「明察、洞察」の意味にも用いたりします。
 『照应、照顾』の如く、介護したり看護する意味にも使います。


 
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