2011年2月10日木曜日

十二支の始まり

子丑寅卯辰巳午未申酉戌亥は地支、十二文字は殷商時代すでに天干と相交えて日にちを表していた。
安陽殷墟の小さな村で発見された、甲骨文字が刻まれた「甲子年表」はほぼ中国で最も早くカレンダーが順序どおり並べられていたことが知られている。出土した商代の甲骨文は多数のすべて、干支で日にちが記され商代には、すでに干支で日にちを記す方法が行き渡っていた。しかし、地支「十二支」の形と意味は今日に至るまで、諸説紛々としており、いまだ共通認識にいたっていない。

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2011年2月6日日曜日

漢字「卯」の起源と由来:出産時に嬰児と胎盤の分離を表現しているという

漢字「卯」の起源と由来:出産時に嬰児と胎盤が分かれるさまを表現しているという
今年は「卯」年
 今年は辛卯(かのとう)である。この十干十二支の考え方は中国から伝わってきたもので、中国においても当然広くいきわたっている。この計算法によると、60年で一巡することになる。日本で還暦と称し、赤いちゃんちゃんこを着て祝う慣わしもここから出ている。

 さてこの、卯と言う字の由来はいかなるものであろうか。「仰ぐ」の「仰」とは似ていて紛らわしいが異なる字で、自ずとその由来も違ってくる。

 「卯」は『史記』や『漢書』によると「茂る」や「冒」(ぼう:おおうの意味)で、草木が地面を蔽うようになった状態を表しているとされる。

 「字統」では、「牲肉を両分する形。卜辞に犠牲を卯(ころ)す意に用いており、それが字の初義である」とあるようで、この解釈が日本では優勢のようである。


甲骨文字 「卯」

 卯(ぼう)は、いけにえの肉を両分する形である。

一方、わが唐漢氏の解釈によると、これは出産時に嬰児と胎盤が分かれるさまを表現しているという。白川氏の解釈とは「分かれる、分離する」という意味では共通する部分がある。

 ただ違うのは、白川氏の解釈の背景には生贄や卜部という宗教的な色彩が非常に色濃いということで、これは氏が「この当時、文字を占有したのは支配者である王が自らの決定を甲骨文字の形で記録に残したものだ」という歴史観に基づいていることからすれば当然のことかも知れない。

 一方の唐漢氏は、この漢字発生の環境を社会的、生活環境に求めている。十二子のそのものが人間の出生の過程をあらわしているのだと主張している。しかし中国の中でもこの考え方は少し奇抜すぎるのではという見方もあり、あまり多くの支持を得ていないように思う。

 しかし、これは選挙ではないので支持が多いほうが正しいということにはならないし、もっと基本的なことは、これはどちらが正しいという問題ではないのではないかと思う。おそらくどちらも正しいのではないだろうか。それを読み解くことが、後世に課せられた課題だと考える。しばらくは混沌とした状態が続くだろう。


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