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2020年12月21日月曜日

漢字「牲」の起源と由来 昔、祭祀で生贄に牛や羊が生きたまま用いられたことによる



漢字「牲」の起源は昔、祭祀で生贄に牛や羊が生きたまま用いられたことによる
 漢字「牲」には、祭祀で生贄に牛や羊が生きたまま用いられたことが残されている。生贄は現代では野蛮なこととして、否定されているが、太古の昔には、生贄として牛や羊、豚がその犠牲になった。時には人間さえもその犠牲となって、神々に祭られている。しかし日本での埴輪の出現にもあるように、生贄として生きた動物を使う風習は次第になくなっている。その理由は、残酷であるという理由ではなく、むやみに生贄として殺してしまうのは、労働力や生産の観点から好ましくないという理由もあったようだ。


引用:「汉字密码」(P22、唐汉著,学林出版社)
甲骨文字では羊、
金文と小篆では牛が生贄に使われたことが示されている
唐漢氏の解釈
 「牲」、これは会意文字です。甲骨文字の「牲」の文字、左側は羊の頭の形、下側は雌羊の生殖器を表す水平の三角形の記号、右側は草の成長の形です。 両形の会意でつまり、母羊は子羊を出生して繁殖させることの願い。

 金文と小篆の「牲」は、牛と生まれるからなる会意と形声の字に変化している。古代中国の文字では、獣畜類の形はしばしば互換される。動物の繁殖の意味を表現からは「羊」と「牛」の意味は同じようなものです。もちろん、画像の本体が変更された理由は、農業における牛の役割の増加にも関係しています。

 古代の祖先は、次の理由で「家畜」を犠牲として使用していました。その理由はまず、野生動物を狩る必要がありますが、捕獲される動物のほとんどは死体です。次に、狩猟は偶然性を伴うもので、祭祀の時に捕獲物があるというものではないので、育てた家畜を使って非常に太らせて、供応のとき、祖先や神々の神霊の優先を反映し、敬虔な神への心を体現したと思われます。

 体が大きく肉が多いため、古くは牛が最も犠牲になりましたが、農業における牛の役割から、この犠牲を使うことができるのは「王」だけです。例えば、「礼記・王制」では、「諸侯は理由もなく牛を殺さず、大夫は理由もなく羊を殺さない」と書いています。 「周礼」の定めるところによれば、牛肉を食べる資格があるのは皇帝であり、諸侯は平時は羊肉だけしか食べず、牛肉は毎月1日しか食べられない。下位レベルの大夫は、平日は豚肉と犬の肉、毎月1日しか羊肉を食べることができなかったようです。 古代の祖先の政治生活において、牛は非常に重要な役割を果たしましたが、これは牛にとって悲劇的な役割です。



字統の解釈
声符は生。「説文」に「牛完全なるなり」とあって、祭祀に用いる犠牲をいう



漢字源の解釈
会意兼形声。「牛+音符生」で生きたまま神前に供える生々しい牛のこと。


結び
 生贄には、当初羊が用いられたことが、甲骨文字からは知ることができる。太古の昔は、野生の獲物を生贄にしていたようfだが、祭祀のたびに捕獲するのは必ずしもできないこともあり、養育した牛を用いるようになったと考えられる。

 この生贄の風習は、今でも残っており、中東では羊が用いられ、太平洋諸島では、豚が再使用の生贄に用いられるようである。




2011年2月6日日曜日

漢字「卯」の起源と由来:出産時に嬰児と胎盤の分離を表現しているという

漢字「卯」の起源と由来:出産時に嬰児と胎盤が分かれるさまを表現しているという
今年は「卯」年
 今年は辛卯(かのとう)である。この十干十二支の考え方は中国から伝わってきたもので、中国においても当然広くいきわたっている。この計算法によると、60年で一巡することになる。日本で還暦と称し、赤いちゃんちゃんこを着て祝う慣わしもここから出ている。

 さてこの、卯と言う字の由来はいかなるものであろうか。「仰ぐ」の「仰」とは似ていて紛らわしいが異なる字で、自ずとその由来も違ってくる。

 「卯」は『史記』や『漢書』によると「茂る」や「冒」(ぼう:おおうの意味)で、草木が地面を蔽うようになった状態を表しているとされる。

 「字統」では、「牲肉を両分する形。卜辞に犠牲を卯(ころ)す意に用いており、それが字の初義である」とあるようで、この解釈が日本では優勢のようである。


甲骨文字 「卯」

 卯(ぼう)は、いけにえの肉を両分する形である。

一方、わが唐漢氏の解釈によると、これは出産時に嬰児と胎盤が分かれるさまを表現しているという。白川氏の解釈とは「分かれる、分離する」という意味では共通する部分がある。

 ただ違うのは、白川氏の解釈の背景には生贄や卜部という宗教的な色彩が非常に色濃いということで、これは氏が「この当時、文字を占有したのは支配者である王が自らの決定を甲骨文字の形で記録に残したものだ」という歴史観に基づいていることからすれば当然のことかも知れない。

 一方の唐漢氏は、この漢字発生の環境を社会的、生活環境に求めている。十二子のそのものが人間の出生の過程をあらわしているのだと主張している。しかし中国の中でもこの考え方は少し奇抜すぎるのではという見方もあり、あまり多くの支持を得ていないように思う。

 しかし、これは選挙ではないので支持が多いほうが正しいということにはならないし、もっと基本的なことは、これはどちらが正しいという問題ではないのではないかと思う。おそらくどちらも正しいのではないだろうか。それを読み解くことが、後世に課せられた課題だと考える。しばらくは混沌とした状態が続くだろう。


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