中国では昔日本のことを夷人とよんだ
中国では日本のことを「倭」と呼んでいた。また「夷人」ともいう。この夷人は時には東の方の夷人という意味で「東夷」とも呼んでいた。この「夷」という意味は「野蛮」という意味であり、要は「野蛮人」ということであろう。この漢字は日本に対する侮辱であると論調もあるが、物事には歴史的経緯があり、太古の昔の話を現代の尺度でとらえてはいけないと思うのだが・・。もっともこの漢字を未だに用いるとすれば、太古の話を現代の尺度にあてはめようとするもので、逆に時代錯誤というそしりを受けるだろう。
日本で使われた「夷」という漢字の歴史
日本でもこの漢字は古くから使われてきた。
- 皇極天皇の時代、蘇我蝦夷という名の豪族が大和朝廷で力をふるう。
- 大化の改新後大和朝廷は蝦夷を異民族とにみなし、征討の対象としている。
- 658年阿倍比羅夫が蝦夷の征討開始
- 平安初期、坂上田村麻呂、征夷大将軍の称号を受け、蝦夷征伐に赴く
以降源頼朝以来、武家の棟梁として、征夷大将軍の称号は定着し、明治維新まで続く。古代、中国で日本のことを「東夷」と呼んだことは非難できるものではない。力関係からすればある意味当然だろう。
「夷」という漢字の起源と由来
さて、本題の漢字の由来について調べよう。今日は「夷」である。
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「夷」は綱が付いた矢のこと |
「夷」、これは象形文字である。甲骨文字で「夷」の字の矢の字の上「缴」(いぐるみ:矢に糸をつけて発射し鳥を絡め落とす狩猟具に用いる糸)が付け加えられている。即ち矢の端に細い縄が付いていて、飛んでいる鳥を射殺すのに用いる。
小篆の夷の字は最上部に横一線、元々矢頭が長い。楷書は金文を受け継いでいて、「夷」と書き既に矢の形象は失われている。
「夷」は中国東部にすむ民族が使っていた狩猟用具・・縄の付いた矢
尻尾に縄の付いた夷は飛ぶ鳥を射穫する。的中した鳥は早く探し出せる。若し的中しない場合でも夷は縄を持っている為、湖沼にあったり草むらから探して回収するのに便利である。この種の矢は東部にすんでいた先民の発明である。渡り鳥が集い、沼沢に集まる環境から、この種の工具を算出する原動力になる。
歴史上典籍では通常東部のこの民族を「夷人」とか「東夷」と呼んでいた。《説文》では「夷は東方の人なりとある。後日「夷」は少数民族を指すのに用いられた。「夷は殺すこと」と言っている。「夷」は動詞として用いられ、平たくする、平定するの意味である。また拡張され名詞の「峻嶮」に対し、「平坦」という意味に用いられる。