2023年11月29日水曜日

渇と乾はどう違うの: 甲骨文字の時代から二つのかわきは全く別の漢字であった


漢字「渇くと乾く」はどう違うの? 二つのかわきの漢字の成立ちと由来を探る

はじめに

 毎日ことば(2023年11月25日付毎日新聞)に掲載された記事「『二つのかわき』の解説」を取り上げ、その言葉の成立ちを深めてみたい。

二つの「かわき」について、毎日新聞では以下のように説明をしている
「かわく」には二つの意味がある。 水分のない状態を表す「乾く」と、
 満たされずに何かを切望する「渇く」である。

  • 「かわいた土地」「洗濯物をかわかす」などは 「乾く」、
  • 「愛情のかわき」「喉がかわく」 などは「渇く」を使うのが適切である。






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漢字「渇&乾」の今

漢字「渇&乾」の楷書で、常用漢字である。
 
渇・楷書


左は漢字「乾」の楷書で、常用漢字である。
 一方右の見慣れない漢字は、乾の原字で、「エン」と読み、旗竿につけた吹き流しを表している。これと乾とどう結びつくのか少し考え難いが、漢字源では「乾」と並列して説明している。  
乾・楷書





漢字「渇」の解体新書

漢字源の解釈では会意兼形声とする。
曷は「日+音符!(どなる、おとしめる)」の意。
会意兼形声文字で、本来は、はっとのどもとをかすれさせてどなることをあらわす。
 渴は「水+音符曷」で、水がかれて流 れがかすれること。また、水けがなくなってのどがかれることをあらわす。
 
渇・金文


「渇」の漢字データ

漢字の読み
  • 音読み   カツ、カチ
  • 訓読み  かわく

意味
  • かわく、のどがかわく
  •  
  • かわき、のどのかわき、切実な要求
  •  
  • あわてて、がつがつして、
  •  
  • 動詞 かれる、みずがかれる

同じ部首を持つ漢字     渇、褐、葛、喝喝
漢字「渇」を持つ熟語    渇、渇望、枯渇、渇水


漢字「乾」の解体新書

漢字源によると2款があるようで、第一系列は旗が高くなびくさまを示す。
もう一つは太陽が旗の ように高くあがるさまを示した。高く明るくかわくの意を含む。  

乾第1款・金文
乾第2款・金文
乾・小篆


 

「乾」の漢字データ

漢字の読み
  • 音読み   カン
  • 訓読み   かわく

意味
  • かわく、ほす
  •  
  • 血のつながりのない
  •  
  • 旗がひらめく
  •  
  • 高く、明るい、強い天

同じ部首を持つ漢字      幹、倝、韓
漢字「乾」を持つ熟語    乾、乾燥、乾児:血のつながりのない子、乾漆


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漢字「渇&乾」成立ちと由来

漢字「渇」の解釈

字統P113参照

 会意兼形声文字で、本来は、はっと喉もとをかすれさせてどなることをあらわす。
` 渴は「水+音符曷」で、水がかれて流れがかすれること。また、水けがなくなって喉がかれることをあらわす。







漢字「渇&乾」の変遷の史観

文字学上の解釈

 漢字「乾」:会意 倝と乙とに従う。倝は旗竿の形、乙はそれにつけた吹き流し、すなわち偃游の形で、旗の高くひらめくさまをいう。同じ「かわく」といえ、「乾」は「渇」と違って、喉がかわくといった生理的な意味は文字の発生時からまったく持ち合わせていない。「乾」は、甲骨文字の時から、旗竿につけた吹き流しが、翩翻と風になびいて乾いているさまを示したものであることがよく理解できた。



まとめ

  

 現代では、漢字「渇く&乾く」は、発音が同じ発音でもあり、日本人には、その区別はし難いものである。しかしその由来にまで遡れば、違いは歴然としている。だからどうなんだという声も聞こえてきそうだが、だからこそ漢字の世界は奥が深いと教えてくれた漢字である。

  


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2023年11月25日土曜日

養・牧のいずれも家畜を養うことを意味するが、その中心を担うのは「羊」である。そのことは「養」の字の『良』に現わされている


養・牧のいずれも家畜を養うことを意味するが、その中心を担うのは「羊」である。

 「養」の字の中の『良』という字は、まさに羊の持つ全面的な有用性を古代人が認識していた証左だ。

漢字「養と牧」の成立ち:「養」は羊の飼育、「牧」は牛の飼育を表している!
 古代人は人類が羊を飼い始めたのは、一万年ぐらい前、トルコに始まったといわれている。漢字の「養と牧」が出現したのも、それとほぼ同じ時期と考えられる。
 羊の祖先は「山羊・野羊」で、同じ有蹄類ウシ科に属しているが、その養育の歴史はずいぶん異なるようである。羊は性格もおとなしく、飼いならすのにそれほど手間はかからなかったでろうが、牛は野牛を飼いならし始めたため、人類はずいぶん手間取ったようである。

 当ブログの記事「漢字「家」はなぜ「ウ冠に豚」で漢字 牢 はなぜ「ウ冠に牛」なの」を参照されたい。




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漢字「養と牧」の今

 
漢字「養と牧」の楷書で、常用漢字です。
 今では養も牧も同じように使っていますが、古くは養は専ら羊を養育することに用い、牧とは牛を養育することに用いていたようです。
養と牧・楷書


漢字「養」の解体新書


 甲骨文字からは、この文字の性格が良く窺える。羊に鞭を手にした有様はまさにそのまま。
 羊を養育し、人々の生活の糧にしていたのは、有史以前の約1万年前の頃には、すでに始まていたということだ。  
養・甲骨文字
養・金文
養・小篆


 

「養」の漢字データ

漢字の読み
  • 音読み   ヨウ
  • 訓読み   やしな(う)

意味
  • 養育する
  •  
  • かう
  •  
  • 栄養を補給する

同じ部首を持つ漢字     美、羞、義、鮮
漢字「養」を持つ熟語    養、養牧、栄養、養分


漢字「牧」の解体新書


 漢字「養」と同じく、甲骨文字を見れば、何を意味しているかは一目瞭然だ。
 牛に鞭を手にしている。 
牧・甲骨文字
牧・金文
牧・小篆


 

「牧」の漢字データ

漢字の読み
  • 音読み   ボク
  • 訓読み   まき

意味
  • 牧場
  •  
  • 牛を養育する
  •  
  • 牧場で家畜を養育する

同じ部首を持つ漢字     牧、牡、特、牲牲、
漢字「牧」を持つ熟語    牧、牧畜、牧場、牧羊


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 甲骨文や金文にある「養」という字は、もともとは会意文字であり、篆書で羊を追い立てる鞭や棒を持った人の形に似ており、羊を飼うことを意味する。

 甲骨文や金文に「牧」の字もあり、家畜を飼うという意味では、「養」と「牧」という言葉は全く同じでであるが、一つは羊の放し飼いともう一つは牛の放し飼いで意味が異なる。

 漢字の発展と進化の過程で、牛の「放し飼い」は放牧を意味し、羊の「放し飼い」は飼育下で育てることを意味する2つの文字に分割された。


漢字「牧」の字統の解釈

 会意 牛と攴とに従う。 牛を逐うて放牧する意。 〔説文〕 三下に「牛を養ふ人なり」とあり、また牧養すること 牧場の意に用いる。

 牛に限らず、馬や羊を養育することをもいう。〔左伝〕 襄十四年に 「庶人工商皁隷牧園」とあって、牧養に従うもの はみな卑賤のものであった。

 また民治を牧養のことにたとえ、地方長官を牧民といい、〔書、立政 「力の牧を宅け」「周礼、大宰」「その牧を建つ」とあり、また牧伯という。




漢字「養と牧」の変遷の史観

文字学上の解釈

 左の「牧」の変遷を見ると甲骨文字には多数の款があり、それぞれかなり多様性を持っており、文字の発展の過程をうかがい知ることができる。ところが金文、小篆になると文字の中に多様性はあまり見られず、ほぼ表現は一定している。
 このことは何を物語るか。これらの数少ない例証で性急に判断するの多少危険であるが、それでも、金文や小篆、大篆の時代になると牧や養もかなり行き渡り、ポピュラーなものになっていたのではないかと推察される。つまり実際の生活が文字に反映された結果ではないだろうか?

まとめ

  

  古代中国の中原地方には野牛が大量に群れをなしていたという。われわれの祖先は水牛を飼い馴らすのに地面に大きな穴を掘り、その中に野牛を囲い込んで飼い馴らしたという。このときの柵がウ冠で表現されたことから「牢」という字が生まれたという。
 このことは伝説の物語として、殷の王子・王亥(BC1854-BC1803)が初めて牛を飼い馴らしたとの記述が「楚辞」にあり、王亥という人物の真偽は別としても、野生の牛が殷王朝のころには既に飼い馴らされていたであろうことと符合する。

   このように漢字の中には、人間の生活が刻まれている。
現代では養牧として、羊も牛も同等に扱っているが、古代から一貫してその中心を担ってきたのは、羊である。それは牧羊、遊牧、囲い込みなど飼い方の形態の多様性にも表れている。なぜ羊が中心を担ってきたかの理由は、羊の持つ有用性で、羊毛、羊肉、羊乳など人間にとって、ほぼ全面的な必要資源を供給する。遊牧民族にとって羊は生活の糧全てあったし、産業革命前夜の囲い込みは羊から良質の羊毛から多量の織物をとることを目的とした。

 唐漢氏は羊を養うことを意味する「養」という字の中に、『良』という字を含む理由は、まさに羊の持つ全面的な有用性にあったと主張している。

  


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2023年11月5日日曜日

漢字・倭の読みの由来は? どうしてヤマトと呼ぶの? 


大和誕生秘話・・・日本は「倭」と呼ばれていたが、倭と同音の「和」に「大」を冠して「大和」(やまと)と呼ぶように決められた。

 以前の記事「和」に関連して、日本の呼称「ヤマト」の謂れと由来に想いを馳せる。

 古代において、日本は中国から「倭」と呼ばれていた。倭は、中国の文献に日本に関する記述は魏志倭人伝(247年)、後漢書(3世紀)、晋書(4世紀)などの文献にその名(倭)が登場する。元々は奈良盆地の東南地域は、大和(ヤマト)と呼称されていた。このヤマト地方に本拠地を置く政権(王権)のことを中国では倭と呼んだことは当然の成り行きである。このことから倭は、日本列島や国家を指す呼称であり、その範囲は、当時の日本列島の大部分を指していたと考えられている。

 初めは大和朝廷も自らのことを「倭」と書いたが、元明天皇(第43代天皇 在位:707年- 715年〉の治世に国名は好字を二字で用いることが定められ、倭と同音の好字である「和」の字に「大」を冠して「大和」と表記し「やまと」と訓ずるように取り決められた。これで、倭-ヤマト-大和が明確に結びついたことになる。

導入

前書き

 日本が外界に初めて紹介されるのは「漢書」(BC1世紀)の中でわずかに、倭人あり、100余国に分かれていることが紹介されている。それから約300年後「魏志倭人伝」で、AD247年のことである。この時邪馬台国・女王卑弥呼は魏の国に使者を送ったことが紹介されている。
 これらの記述から、日本は国家統合の過程にあったのではなかろうか。いずれにせよ後のヤマト朝廷のような強大な権力を持つ政権はこの当時は存在していない。
 それにしてもそこそこの権力を束ねるために、文字もない状態で、ひたすら口述による伝達に頼っていたとしたらそれはそれなりに、大変な苦労があったであろうと推察される。

目次




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漢字「倭」の今

漢字「倭」の解体新書


 
漢字「倭」の楷書で、常用漢字である。
 漢字「倭」の甲骨文字、金文は見当たらなかった。漢書・地理誌の中に「倭」についての記述、「夫(そ)れ楽浪海中に倭人あり。分かれて百余国を為す。歳時を以て来たり献見すと云う」が見られる。なお漢書・地理は班固の纏めた、紀元前1世紀の日本に関する正確な記録である。
倭・楷書倭・小篆


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「倭」の漢字データ

漢字の読み
  • 音読み   ワ、イ
  • 訓読み   やまと、したがう

意味
  • 大和
  •  
  • 大和政権
  •  
  • 日本の国

同じ部首を持つ漢字     倭、委、
漢字「倭」を持つ熟語    倭、倭国、倭人


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漢字「倭」成立ちと由来

漢字「委から倭」の発達の軌跡

 参考に倭の原字と考えられる「委」を列挙してみた。こうして並べてみると、「倭」の字がいかに生まれてきたかが良くわかる。「委」は最初は禾と女が構造的にも分かれていて、やがて「委」という字に統一される。しかる後それに人偏をつけ「倭」が生まれた。


漢字「倭」の字統の解釈

 形声 声符は委。委は稲魂を被って舞う女の形で、その姿の低くしなやかなさまをいう。

 委はもと田舞の状をいう字で、男が 稲魂を被って舞うのは年、女を委といい、委声の字はその声義を承ける。わが国の古名として古く中国の史書にみえ、〔漢書、地理志、下〕に「樂浪海中 に倭人あり。 分れて百餘國となる」、「魏略」に「倭は帶方東南の大海中に在り。山島に依りて風を爲す」「その舊語を聞くに、自ら太伯の後なりと謂ふ」などの語がある。[後漢書、光武紀]にみえる倭奴国も、その古名であろう。




漢字「倭」の漢字源の解釈

 意味 昔、中国で、日本および日本人をさしたことば。
 背が曲がってたけの低い小人の意。

「倭夷」「倭人、在 帯方、東南大海之中」「魏志倭人]「倭移」とは、なよなよしたさま。訓やまと
 会意兼形声。禾々は、しなやかに穂をたれた低い粟の姿。 委は、それに女を添え女性のなよなよした姿を示す。
倭は「人+音符委」で、しなやかでたけが低く背の曲がった小人をあらわす。


漢字「倭」から「和」への変遷の史観

文字学上の解釈

 古墳時代頃に漢字文化が流入すると、「やまと」の語に対して「倭」の字が当てられるようになった。中国では古くより日本列島の人々・政治勢力を総称して「倭」と呼んでいたが、古墳時代に倭を「やまと」と称したことは、「やまと」の勢力が日本列島を代表する政治勢力となっていたことの現れとされる。

 次いで、飛鳥時代になると「大倭」の用字が主流となっていく。大倭は、日本列島を代表する政治勢力の名称であると同時に、奈良地方を表す名称でもあった。7世紀後半から701年(大宝元年)までの期間に、国号が「日本」と定められたとされているが、このときから、日本を「やまと」と訓じたとする見解がある。

 奈良盆地を指す令制国の名称が、三野が美濃、尾治が尾張、木が紀伊、上毛野が上野、珠流河が駿河、遠淡海が遠江、粟が阿波などと好字をもって二字の国名に統一されたのと同じく、701年には「倭国」を「大倭国」と書くようになったと考えられている。
 奈良時代中期の737年(天平9年)、令制国の「やまと」は橘諸兄政権下で「大倭国」から「大養徳国」へ改称されたが、諸兄の勢力が弱まった747年(天平19年)には、再び「大倭国」へ戻された。そして757年(天平宝字元年(8月18日改元))、橘奈良麻呂の乱直後に「大倭国」から「大和国」への変更が行われたと考えられている。このとき初めて「大和」の用字が現れた。その後、「大倭」と「大和」の併用が見られるが、次第に「大和」が主流となっていった。
(以上 AI 「Bard]参照)

まとめ

 以上を纏めると、古墳時代に大和朝廷が権力を築くときには、すでに難波から奈良にかけて多くの人々が住み着きそれなりの都市が発展していたことは想像に難くない 。この地方を「ヤマト」と呼んでいたということである。文字がまだ使われていない時代に、「ヤマト」という発話され、それが当時の人々にどう認識されていたかというのは、大いに興味湧くところである。

補足説明

 AIによると、ヤマトの語源にはさまざまな説がある。それは下記のようなものである。

「やまと」の語源は諸説ある。

  • 山のふもと。 
  • 山に囲まれた地域であるからという説。 
  • この地域を拠点としたヤマト王権が元々「やまと」と言う地域に発祥したためとする説。
  •  「やまと」は元は「山門」であり山に神が宿ると見なす自然信仰の拠点であった地名が国名に転じたとする説。
  •  「やまと」は元は「山跡」とする説。 
  • 邪馬台国の「やまたい」が「やまと」に変化したとする説。
 これらの諸説はいずれも文字があることを前提とした議論であり、まだ音韻的な認識の議論に及んでいない。音が記録に残らないものである以上この議論に入り込むのは非常にむつかしいという感があるが、将来AIの技術がこの突破口を開くかもしれない。

  


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2023年11月1日水曜日

漢字「聖」の成立ちと意味するもの:人は只聞こえるレベルから聖人の話を拝聴するレベルに到達したのか?


人は如何に「きこえる」レベルから神に近いレベルの発話者の話を傾聴する「聖」にまで到達したのか

 前回、漢字「聖」が聞や聴と同じ一つの系統に属することを知り、目からうろこの感じがしたのだが、今回はその「聖」に焦点を当て、聖の成り立ちや由来に迫ってみよう。


 話変わって、11月11日はキリスト教徒では特別の日で、【万聖節】というのだそうで、そのことが毎日新聞のコラムに掲載されていたので、引用する。

 第826回 「毎日ことば」 解説

きょうが特別な日
 ばんせいせつ【万聖節】 キリスト教 で聖人たちを記念する祝祭。この場合の万 は「全ての」、節は「特別な日」との意味 です。「諸聖人の祝日」などともいい、カトリックでは11月1日。
 ハロウィーンはその前夜祭ですが、日本ではそちらが有名に。
https://salon.mainichi-kotoba.jp




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漢字「聖」の今

漢字「聖」の解体新書


漢字「聖」の楷書で、常用漢字です。
 
聖・楷書


 
 「きく」ことを表す漢字であるが、只きこえることを表す漢字「聞」から出発し、拝聴するの「聴」を経由し、神に近いレベルにまで達した人間の話にききいる「聖」までの変化をよく見ていただきたい。 
聞・甲骨文字
聴・金文
聖・小篆


 

「聖」の漢字データ

漢字の読み
  • 音読み   セイ、ショウ
  • 訓読み   ひじり

意味
  • 物事の筋道を立てて、偏ってなく、高潔である状態
  •  
  • 清らかな。汚(けが)れがない。美しい。濁った所がない。透き通っている (聖域)
  •  
  • 天子(国を治める最も地位の高い人)。また、天子に関する物事の上に付ける語」(例:聖断)。
  • 詩人・杜甫のことを詩聖と呼びます

異体字     琞、垩
同じ部首を持つ漢字     聞、聡、聲、職
漢字「聖」を持つ熟語    聖、聖断、聖域、聖人


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漢字「聖」成立ちと由来

引用:「汉字密码」(Page、唐汉著,学林出版社)

唐漢氏の解釈

 甲骨文の形は、人が耳を立てて人の教えを注意深く聞いているようなもので(耳の下に「口」があります)、聞いたことをはっきりと話す、つまり「聞く」という意味とも取れます。わかりやすく、わかりやすく説明すること。 金文は甲骨文から引き継がれていますが、「耳」の下の人型がわずかに変更されています。
小篆書の形は、「耳から嘉文へ」という意味に進化しました。小篆書の全文。楷書の口は壬の音から来ています。「壬」はここでは口と耳の間を「通過する」という意味です。 そのため、楷書は「聖」と書かれ、現在は「圣」となっています。


漢字「聖」の字統の解釈

 会意 旧字は耳と王と口とに従う。耳と王とは耳 を強調した人の形。壬は呈(呈)・逞・望(望)の字の従うところで、人のつま先立ちする形。口は、サイ、祝禱を収める器である。
聖は祝稿して祈り、耳をすませて神の応答するところ、啓示するところを聴くこ とを示す字で、聽(聴)の従うところも聖と同じ。 聞の卜文も、人の上に耳をかく形である。祝祷し 神の啓示するところを聞く者はその神意にかなうものとされた。

漢字「聖」の漢字源の解釈

 会意兼形声。壬は、人が足をまっすぐのばしたさま。呈 は、それに口をそえて、まっすぐ述べる、まっすぐさし出すの意を示す。聖は「耳+音符呈」で、耳がまっすぐに通ること。わかりがよい、さといなどの意となる。



漢字「聖」の変遷の史観

文字学上の解釈

  字統の説明《聖は西周期の金文にみえ、〔班段〕「文王王の聖孫」、〔師望鼎〕「王、聖人の後を忘れず」、〔師詢段〕「乃の聖なる祖考」のように、その家系を尊んで特に聖の字を加えている。 また〔史牆盤〕「憲聖なる成王」と、その徳を讃して聖武・哲聖のようにもいう。本来は聖職者をいう 語であったものが、ひろくその徳性をいう語となり、 西周後期にはすでに多くの人に用いられる語であったらしい。(紀元前1100年頃 - 紀元前771年:筆者)
 〔詩、小雅、正月〕に「具予をば聖なりと謂ふも誰か鳥の雌雄を知らんや」の句がある。 人はみな、自ら聖と称してはばからなかったのであろう。》

 といっても始皇帝の中国統一に先立つこと500年まさに戦国時代の真っただ中、群雄が覇を争っていた時代である。群雄の覇者は自らのアイデンティティーを求めて苦労していたが、その一つに軍事的な力以外に拠り所の一つとなった概念であったのかもしれない。

 そしてついにこの概念を哲学的な体系の中に組み込んだのが孔子であった。ここまで考えると漢字「聖」という言葉一つにしても、それなりの歴史的背景を担っていたのだという感慨を受ける。


まとめ

 ただきこえることを表す漢字「聞」から出発し、拝聴するの「聴」を経由し、神に近いレベルにまで達した人間の話にききいる「聖」まで後付けてきた。聞くという行為だけでも、発話者の権威を高めることの背景に社会の階級分化が事が伺える。この間、約1000年の時間的経過を経ている。文字の変化が歴史的時間経過に必ずしも同期するものではないが、おおざっぱな歴史的経過をたどるには役に立つのかも知れない。
  


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