2012年9月7日金曜日

柵という漢字の起源と由来



柵という漢字はある意味では原始的な漢字である。それは見ただけでは、進化というものを殆どしていないように思う。字というものはその時代につれ、文化の進展につれて、進歩していくものである。なぜ進化したか、なぜ進化しないか、それはそれで、研究に値するものだろうと思う。


引用 「汉字密码」(唐汉,学林出版社)

 柵は象形文字である。甲骨文字、金文字の柵の字は等しく上古時代の柵の欄で、垣根のデッサン絵である。図がよく似ているので、周時代は古文字の中で「柵」は木簡柵(文字を書く柵)に借用された。即ち、串で一緒にされた字を書くための竹の木簡である。

 区分を明確にするため小篆では木偏が付け加えられ、専ら柵の欄の意味に用いられている。そして会意形声字となった。楷書ではこの関係から「柵」と書かれる。説文ではかたい木を編んだもの。木と冊から冊の音とする。

 木や竹を用いて編んで垣根とする。古代では物を押しとどめるために多用された。商周の時代の青銅器多くの柵の図形がある絵が書かれていた。図1の如く豚を飼う為で、二つの目が看守の人がいることを示している。二つ目(図2) 柵の中には牛と樹木がある。3つ目の図3は柵の下に4把の木鋤があり、柵で囲んだ土地の上の工作物を表している。

 《後漢書・段颖传》の中には千人の人を遣わして柵を作った。広さ20歩、長さ40里。これは古人が柵を用いて辺境を明示した文献の記載である。
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2012年9月6日木曜日

住まいの漢字 「宿」の起源と由来


今では死語となってしまったが、「宿場、宿六」などという言葉はなんとなく、鄙びた語感を持っている。今も宿屋と言えば基本的には、日本風の宿泊施設のことを言い、ここでは「女将」という主人がいるのが一般的である。あまり宿の亭主に男が出てくることはない。これは接待される方にとって、男の「主人」ではなんとなく、気づまりなところがある。

引用 「汉字密码」(P723, 唐汉,学林出版社)

 「宿」は会意文字である。甲骨文字の「宿」の字は外は家屋のデッサンである。家屋の中の右には蓆があり、蓆の上で仰向きに横になっている。金文の構造は甲骨文字と同じであるが、蓆の形が三角形に変わっていて、人と蓆の位置が入れ替わっている。小篆の「宿」は変化していく中で、蓆は「百」の字に変わって、楷書では「宿」となった。

 「宿」の本義は、住む宿のこと。《苟子・儒效》の様に、宿と百泉に暮らす。現代漢語では「宿営、風餐露宿」等の言葉もある。  名詞に変わって住む場所を表すようになった。《周礼・地官・遗人》の如く「十里行くと飲食できるところがあり、30里行くと食事のできる宿がある。又転じて夜を指すようにもなった。 贾思艇の《齐民要术・水稻》の様に「種を洗い、三宿漬けておく。」ここでは「稲は洗った後三夜漬けておく」と言っている。又さらに拡張され、隔夜、隔年のようにも使われる。さらに古いの意味で「宿麦、宿願、宿志」の様にも使う。

 また年長を讃えて、経験者の様にも使う。「宿将、宿者」の如く、宿将は経験豊かな老将の意味である。   
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