2012年3月9日金曜日

「絆」:ところ変われば品変わる。中国語の「绊」との違い

 今日は甲骨文字から離れてみた。と言うよりこの「絆」という甲骨文字を探してみたが、見つからなかった。

「絆」という言葉の持つ二面性
 近頃「絆」と言う言葉が、いろいろのところで聞かれるようになった。この言葉の持つ響きは、実に快く耳に響く。「大辞林」によれば、その意味は「①家族・友人などの結びつきを、離れがたくつなぎとめているもの。ほだし。 ②動物などをつなぎとめておく網」となっている。それはちょっと聞くと人にとっては大切なものと受け止められるが、反対にものを見ると「束縛」とも考えられる。物事には二面性があるので、これは当然のことである。

中国語の「绊」の持つ意味

 しかし中国語ではこの反対の側面から見た意味に用いられる場合が多いようである。中国語で「绊」と引くと「① 足をすくう。わななどに引っかかる。からみつく。 ② じゃま(妨げ)になる。まつわりつく。 ③ きずな。拘束。 ④ (-子)わな。」とどうにも後ろ向き且つ否定的ないやな意味ばかりである。では中国語で日本語と同じ積極的な意味の言葉はどうかというと「紐帯」というらしい。

日本人は一般的にいって、言葉の捉え方
 日本人は一般的にいって、言葉の捉え方が感性的で、あまり論理的に、理詰めには捕らえようとしないし、どちらかと言うと苦手なんではないかと思う。昔から「言霊」と言う言葉もあるとおり、ニュアンスや雰囲気をかもし出すことを得意とした。これが日本語の美しさ、聞いていい響きなのではないかと思う。これはフランス語などのリズム感や発音などとは少し違うような気がする。


日本人のもつ言葉の感性と意味の乖離に気をつけるべし
 しかし日本人が本来大切にしてきたこの美しい響きの意味が近年そぎ落とされて、裏の側面で見た方が納得できる場面に出くわすことが多くなったと思う。母と子の絆、夫婦の絆、ヘルパーと被介護者の絆、親方と弟子の絆など最近起こった事件を見ると人間の関係「絆」が変化しているように思う。しかし言葉は昔の美しい響きの関係のものを求めようとする傾向が蔓延しているような気がしてならない。そろそろその関係が本当は何を意味するのか真剣に考え直す時期に来ているのではなかろうか。
 
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2012年3月4日日曜日

氏の原義は血の流れを示す川か氏族の祝宴に使う肉切り包丁か

漢字「氏」についての白川説
白川博士は「氏」は先祖の祭りに用いる
肉を切る為の氏族の象徴的な小刀の
象形文字と云われる
 さて白川博士は、「氏」の甲骨文字は「取っ手のある小さな刀」の意味であるという。それは『先祖の祭りの後に氏族の共餐の際、この小刀で祭りに用いた肉を切り分ける。この肉切り用のナイフが氏族の象徴であり、氏族共餐に参加するものを「氏」という』ことからこの字になったとの説をとっている。確かに白川博士のナイフは取っ手の部分が湾曲し如何にも飾りのついた象徴的なナイフのような感じがする。


唐漢説
 ここで唐漢氏の論拠となっている甲骨文字の「氏」の上部の原義は「水」であるという点について、もう少し触れてみたい。 甲骨文字の「水」は下記の様になっている。


 甲骨文字の「水」唐漢氏のいう文字とは少し異なり、川の流れを示す湾曲した筋の周りに6点が付されている。金文では唐漢氏の云う通り川の流れと4点が付されている。多少の誤謬は良しとするも、金文の氏の文字の上部は川の湾曲とは異なっていて、端の部分で「人為的」な曲がり方をしている。

 この曲がり方から見ると白川博士の云うように、「氏」は肉切り用のナイフから取った象形会意文字ではないかと思われる。白川博士の説も非常に説得力のある説と思う。 唐漢氏の説は、氏と姓と云う連関で考えるとなるほどと思うが、文字の形からだけ見ると少し論理の飛躍がある様にも思う。

 しかしここではいずれの説も退け合うというのではなしに補完し合うように思えるのだが妥協しすぎだろうか。

 

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