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2025年9月27日土曜日

今地球上で生物の頂点に立つ人類は様々なパラドックスを克服できるのか

【漢字考古学】AI時代のパラドックス:協働と知能は人類を救えるか


【漢字考古学】:人類は、自ら生み出した高度な知的財産とインフラそのものが、自らの知性と高度なインフラを貶めるというパラドックスに直面している。果たして人類はこれを克服し生態系の頂点を維持出来るか?

人類は、「協働」と「知能」の螺旋的な発展によって自然の摂理を凌駕する豊かさを手に入れた。
 

     

前編(【漢字考古学】感情は協働から?人間の進化と言葉の起源に隠された物語)では、人類が協働によって感情を獲得し、地歩を固めた歴史を振り返りました。本稿では、その協働と知能が、今や人類自身のパラドックスとなっている現状を考察します。」

導入

このページから分かること
  1. 人類は自らが築き上げた豊かさと高度なテクノロジーの中で、その根源的な力を失いつつあるのではないかというパラドックスに直面している。
  2. パラドックスを現代的懸念を多角的に分析する
  3. 客観的価値から主観的価値への転換パラドックスから抜け出ることが出来るか
  4. 高度化するインフラと能力の劣化というパラドックスから抜け出るのか
  5. AIがもたらす知識のパラドックスにどう向き合うのか

目次

  1. 序章:協働と知能が築いた繁栄のパラドックス

  2. 第1部:労働の断片化と社会の変質
     古典経済学の再訪:分業と疎外の現代的帰結
     ギグエコノミーの台頭と新しい「労働者」の姿
     新たな支配構造:「テクノ封建制」の到来


  3. 第2部:客観的価値から主観的価値への転換と消費の物語
     経済学の転換点:労働価値から効用価値へ
     Z世代の労働観:仕事は「手段」、人生は「目的」
     ブランド価値の主観化:機能から物語へ


  4. 第3部:高度化するインフラと能力の劣化
     認知能力の「外部委託」:GPSと空間認知のトレードオフ
     暗黙知」の形式知化と技能の継承
     デジタル化が奪う社会的スキル
  5. 第4部:AIがもたらす知識のパラドックス
     AI依存症と「思考の萎縮」という危機
     AIと倫理的判断の限界
    「知」の源流への回帰


  6. 結論:協働と知能の再構築へ向けて



**********************

序章:協働と知能が築いた繁栄のパラドックス

古代人類は協働により困難を乗り越えてきた
 古代の祖先は協働で困難を乗り越えてきた
 人類の歴史を紐解けば、その繁栄は常に「協働」と「知能」の螺旋的な発展によって築かれてきたことが見て取れる。石器時代の狩猟から始まった共同体は、やがて言語や文字、そして道具という「知能の外部化」を通じて知識を共有し、集団としての力を飛躍的に向上させてきた。都市の建設、国家の形成、そして産業革命と科学技術の進歩は、すべてこの二つの力が結びついた結果にほかならない。人類は、個々の知能を束ね、互いに協力することで、自然の摂理を凌駕する豊かさを手に入れた。

   しかし、現代社会は一つの奇妙なパラドックスに直面している。人類は自らが築き上げた豊かさと高度なテクノロジーの中で、その根源的な力を失いつつあるのではないかという懸念である。労働は細分化され、個人の価値観は多様化し、便利なインフラは私たちの能力を外部に委託することを促し、そしてAIの進展は知識そのもののあり方を根底から揺るがしている。果たして、この豊かな時代は、人類を繁栄に導いた知能と協働の力を静かに蝕んでいるのだろうか。

 本稿は、この現代的懸念を多角的に分析する試みである。
  1. 第一部では労働形態の変質を、
  2. 第二部では消費と労働の価値観の転換を、
  3. 第三部では高度化するインフラがもたらす能力の変容を、
  4. そして第四部ではAIがもたらす知識のパラドックスを考察する。
 これらは単なる個別の問題ではなく、互いに深く関連し、人類の存在基盤を揺るがす構造的な変化を形成している。本稿は、この変化を「漢字考古学」のように深く掘り下げ、未来に向けた「再構築」の道筋を探るための指針を提供する。




第1部:労働の断片化と社会の変質

古典経済学の再訪:分業と疎外の現代的帰結

アダム・スミス「国富論」
アダム・スミス(1723-1790)
イギリスの経済学者
 近代経済学の父、アダム・スミスは『国富論』の中で、分業が生産性を飛躍的に向上させることを説いた。彼は、分業によって個々の労働者の技能が向上し、作業効率が上がることで、社会全体の富が増大すると考えた。これは、協働による労働能力の「度合」の増進を主題とするものであり、労働を単なる量的な側面だけでなく、質的な側面から捉えるものであった [1, 2]。彼の思想は、労働者間の協働と連携を前提とした生産様式が、社会全体の豊かさをもたらすという楽観的な展望を提示した。


 一方で、カール・マルクスはスミスの思想に対し批判的な視点を投げかけた。マルクスは、資本主義社会における分業が、労働者を生産物や労働活動そのものから切り離し、「疎外」を引き起こすと主張した [3]。彼は、個々の労働者の技能向上という側面よりも、労働が単純な反復作業へと還元されることで、労働者が自己の生産物から、そして人間らしい創造的な活動から乖離していく構造を問題視した。マルクスは、スミスの動的な「労働の度合増進」を、静的な「労働量の増加」という側面で捉え、その非人間性を強調したのである [1]。

 現代のギグエコノミーは、スミスの分業論を究極まで突き詰めた形態であり、その労働の細分化と非人格化は、マルクスが予見した「疎外」を個人に押し付けている。しかし、その舞台は物理的な工場からデジタルなプラットフォームへと移り、労働者間の協働という絆すら失われつつある。この歴史的な流れを整理したものが、以下の表である。
時代労働の形態協働の場経済的価値の源泉労働観の主流
古典経済学分業による専門化物理的な工場や工房労働量と労働能力の向上生産性の増大、社会への貢献
近代産業社会資本家主導の大量生産企業や組織というコミュニティ労働力と資本組織への帰属、自己実現
現代ギグエコノミー個別のタスク請負デジタルプラットフォーム上個々のタスクの遂行生活費を稼ぐ手段、ワークライフバランス

ギグエコノミーの台頭と新しい「労働者」の姿

 現代において、ギグエコノミーの台頭は労働の断片化を象徴している。ギグワーカーは、特定の企業に属さず、プラットフォームを介して短期契約やプロジェクト単位で仕事を引き受ける [4, 5]。この働き方は、時間や場所に縛られない自由なスタイルを可能にし、ワークライフバランスの向上に貢献するとされる [4, 5]。

 しかし、この自由と引き換えに、ギグワーカーは多くのものを失いつつある。伝統的な雇用関係が曖昧になるため、労災や社会保障といった社会的保護を受けることが困難であり、自己管理の責任が増大している [6, 7]。また、プラットフォーム上では有能なワーカーに仕事が集中しやすく、能力の低い者は仕事の獲得が難しく、単価も低くなりがちである [6]。これは、労働者同士の連帯を阻害し、仕事の奪い合いを助長する。従来の職場という物理的な空間で育まれてきた、同僚との何気ない会話や助け合いといった「協働」の機会は失われ、ギグワーカーは孤立した存在となりやすい。

用語の解説:ギグエコノミーとは
 インターネットなどのデジタルプラットフォームを通じて、単発または短期の仕事を請け負う働き方、またはそれによって成立する経済形態のことです。特定の企業に雇用されるのではなく、個人が独立した事業主として、仕事ごとに契約を結びます。

ギグエコノミーの主な特徴
  • 働き方の多様化: 従来の正社員という働き方にとらわれず、個人のスキルや都合に合わせて仕事を選べる。
  • デジタルプラットフォームの活用: 仕事のマッチングは、Uber、クラウドワークス、ココナラといったデジタルプラットフォームを介して行われる。 
  • 柔軟性と流動性: 労働者は自分のスケジュールに合わせて働く時間を自由に決められる一方、企業は必要な時に必要な分だけ人材を確保できる。
  • ギグエコノミーは華々しくもてはやされているが、結局は力関係に左右され、著しい疎外感を生むことになる。
     疎外感とは:人間が作った物(機械・商品・貨幣・制度など)が人間自身から分離し、逆に人間を支配するような疎遠な力として現れること。 またそれによって、人間があるべき自己の本質を失う状態をいう。

  ギグエコノミーは、働く側と企業側の双方にメリットとデメリットをもたらします。

働く側からの視点

    働く側のメリット
  • 柔軟な働き方: 働く時間や場所を自分でコントロールできる
  • スキルの活用: 自身のスキルや経験を直接仕事に活かせる。
  • 収入源の多様化: 複数の仕事を受注することで、収入源を増やすことができる。


    働く側のデメリット
  • 収入の不安定さ: 案件が途切れると収入がなくなるため、安定した収入が見込めない。
  • 労働者保護の不足: 正規の雇用ではないため、社会保障や労災保険といった福利厚生が不十分な場合がある。
  • 孤立感: 在宅での作業が中心となるため、社会とのつながりが希薄になり、孤立感を抱くことがある。

企業側の視点

    企業側のメリット
  • コスト削減: 正社員を雇用するのに比べて、人件費や教育コストを抑えられる。
  • 人材不足の解消: 必要な時に即戦力となる人材を確保できるため、人手不足を解消できる。
  • 業務効率化: 繁忙期だけ外部の専門家を活用するといった、柔軟な人材活用が可能になる。
    企業側のデメリット
  • 品質管理の難しさ: サービス提供者の品質にばらつきが生じたり、身元確認が難しかったりするケースがある。
  • 機密情報の漏洩リスク: 外部の労働者に業務を委託するため、情報漏洩のリスクが伴う。
  • 労働力確保の不確実性: 需要が集中する時期には、必要な人数の労働者を確保できない可能性がある。

    ギグエコノミーの代表的な仕事の例
  • フードデリバリー: Uber Eats、出前館などの配達員。
  • ライドシェア: Uberなどのドライバー。
  • クラウドソーシング: Webデザイン、ライティング、プログラミングなどの業務をオンラインで受託。
  • 家事代行: 掃除や料理などの代行サービス。 物流: 軽貨物運送など、単発の配送業務。



新たな支配構造:「テクノ封建制」の到来

 
テクノ封建制:斉藤幸平氏絶賛:集英社刊
テクノ封建制
斉藤幸平氏絶賛
ヤニス・バルファキスが提唱する「テクノ封建制」という概念は、この現代的な労働の変質を、より根本的な社会の権力構造の変化として捉えている [8, 9]。バルファキスによれば、現代社会はもはや資本主義ではなく、ビッグテックが支配する新たな封建制へと移行しつつあるという。

 この新たな支配構造において、プラットフォームを所有する超富裕層は「クラウド領主」と化す。彼らはかつて共有地だったインターネットを囲い込み、それぞれの「デジタル封土」(プラットフォーム)を築き上げている [8, 9]。
 そして、そのプラットフォーム上で働く個人や中小企業は、領主のアルゴリズムに従い、その使用料として「地代(レント)」を支払う「封臣」となる [9]。労働の細分化は単なる働き方の問題ではなく、プラットフォームを介して行われる個々のタスクが、労働者間の協働を不可能にし、同時に新たな階級構造を強化しているのである。これは、現代の労働が、経済的な自立を促す一方で、より深いレベルでの社会的な孤立と支配を生み出しているという、深刻な問題を示唆している。



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第2部:客観的価値から主観的価値への転換と消費の物語

経済学の転換点:労働価値から効用価値へ

 労働と価値観の関係を理解するためには、19世紀の経済学における革命的な変化を振り返る必要がある。1870年代にウィリアム・スタンレー・ジェヴォンズらによって確立された「限界革命」は、経済学の価値観を根本的に転換させた [10]。それまで主流であったアダム・スミスやマルクスに代表される「労働価値説」(商品の価値はそれに投じられた労働量によって決まるという考え方)から、消費者が感じる満足度や効用に基づく「効用価値説」へと、経済の中心が移ったのである [10, 11]。

 この思想的転換は、労働そのものに内在する客観的な価値を相対化し、消費者の主観的な欲求が経済の主要な駆動因となる現代の消費社会の基盤を築いた。消費者が何を「良い」と感じるか、何に「価値」を見出すかが、経済活動を動かす最大の要因となったのである。この価値観の変化は、労働と消費の両領域に大きな影響を及ぼしている。

Z世代の労働観:仕事は「手段」、人生は「目的」

 現代の労働観は、この主観的価値の台頭を色濃く反映している。マイナビが行った調査によると、Z世代は仕事を「生活費のため」や「将来の貯蓄のため」といった、生活を支えるための手段として捉える傾向が強い [12]。また、男性は「社会貢献」や「仕事の影響力」を求める一方で、女性は「休暇の多さ」や「残業時間の少なさ」を重視し、プライベートの時間を確保することを最優先する傾向が示されている [12]。
 このような労働観は、労働の断片化と密接に結びついている。ギグエコノミーのような非人格的で断片化されたタスクに還元された労働からは、かつてのような自己実現や社会貢献の実感を得ることが難しくなる。その結果、人々は生きがいや自己実現の場を、仕事以外のプライベートな領域、すなわち「消費」や「趣味」に求めるようになる。これは、経済的・社会的変化が、人々の生き方や文化的価値観を静かに変容させている一例である。

ブランド価値の主観化:機能から物語へ

 消費行動においても、この主観的価値へのシフトは顕著である。かつてブランド価値は、製品の機能性や信頼性といった客観的な側面によって評価されていた [13]。しかし、現代社会においては、製品の機能的価値に加えて、消費者の五感に訴えかける「感性価値」や、製品に付随する「物語」「ストーリー」といった主観的な要素が、ブランドの評価を大きく左右するようになった [14]。和田(2002)や延岡(2011)は、ブランド価値を主観的価値のみで捉えることを主張している [13]。
 労働と消費の両方で主観的価値が支配的になることは、社会全体が「客観的な真実」や「普遍的な協働」といった共通の基盤から、「個々の感情」や「主観的な物語」を信じる時代へと移行していることを示唆している。この変化は、共通の目標や価値観の下で結びついていた社会の連帯を揺るがし、個々人を内省的な孤立へと導く可能性を秘めている。


第3部:高度化するインフラと能力の劣化

認知能力の「外部委託」:GPSと空間認知のトレードオフ

 私たちの生活に浸透した高度なインフラは、便利さと引き換えに、人間が本来持つ能力を外部に委託することを促している。その典型が、GPSナビゲーションシステムである。GPSは目的地までの最適な経路を瞬時に示してくれるが、これにより、人間が自力で「認知地図」を形成する能力が低下する可能性が研究で示唆されている [15, 16]。
 特定の研究では、方向感覚が低い人ほどナビゲーション機能に依存する傾向が強いことが示されている [16]。この依存は、単に空間認知能力の低下に留まらない。スマートフォン地図がユーザーに代わって認知的な作業を行うことで、ユーザー自身の空間認知能力は向上せず、結果として自分の能力を過大評価する「グーグル効果」に陥る可能性がある [16]。便利さの追求は、自らの認知機能を外部に委託し、自己認識と現実の能力との乖離を深めるという、より深い問題を引き起こしている。

「暗黙知」の形式知化と技能の継承

 熟練の職人が持つ「勘」や、長年の経験から培われた「暗黙知」は、言語化やマニュアル化が困難であり、技術継承における長年の課題であった [17, 18]。しかし、AI技術の進展は、この暗黙知を「形式知」として抽出し、継承する道を拓きつつある。三菱総合研究所の「匠AI」をはじめとするソリューションは、ベテランのノウハウをデータ分析やコンサルティング技術を用いて形式知化し、企業のデジタル変革に貢献しようとしている [17, 18, 19, 20]。
 このプロセスは、知識の断絶を防ぎ、生産性を維持・向上させる上で非常に有用である [21]。しかし、その一方で、徒弟制度やOJT(オンザジョブトレーニング)といった、人間同士の濃厚な「協働」と「学び」の場を不要にする可能性がある。知識は継承されても、そこに内包されていた人間的なつながりや、五感を通じた非言語的な学習プロセスは失われ、結果として「協働」そのものの形式が変質していく。

デジタル化が奪う社会的スキル

 同様に、キャッシュレス決済やAIチャットボットの普及も、人間の社会的スキルに静かに影響を及ぼしている [22]。キャッシュレス決済は、店舗の人件費を削減し、効率的な運営を可能にする [23]。AIチャットボットは、顧客対応の多くを自動化し、従業員がより専門的な業務に集中できる環境を提供する [22]。しかし、これらの効率化の代償として、店員との何気ない会話や、道を聞くといった日常の小さな対人コミュニケーションの機会は減少する。
 これらの小さな「協働」機会は、社会の潤滑油として、人々の間に共感や連帯感を育む上で不可欠なものであった。テクノロジーによる効率性の追求は、この目に見えない社会的な絆を静かに浸食し、対人スキルを必要としない孤立した生活様式を助長している。

技術外部化・代替される人間の能力考察される影響
GPSナビゲーション空間認知能力、認知地図の形成自己の能力とツールの能力の区別喪失(グーグル効果)
キャッシュレス決済、AIチャットボット日常的な対人コミュニケーション、社会的スキル社会的絆の希薄化、孤立化の助長
AIによる暗黙知の形式知化ベテランの勘や経験、技能継承のプロセス人間同士の学びと協働の場の消失
生成AI思考力、創造性、意欲脳活動の低下、主体性の喪失(思考の萎縮)




第4部:AIがもたらす知識のパラドックス

AI依存症と「思考の萎縮」という危機

 現代社会が直面する最も根深い懸念は、AIの進展が、人類の知能そのものを蝕む可能性である。MITメディアラボが発表した研究は、この懸念を具体的に示している [24]。この研究では、生成AIを使用したグループは、小論文作成中の脳活動レベルが最も低く、特に記憶や言語処理など、異なる脳領域を統合する神経活動が著しく低下していることが客観的に示された。

さらに恐ろしいのは、AIを利用すると、考えることに対する主体性や意欲が大幅に失われることが明らかになった点である [24]。被験者は、課題を繰り返すうちにAIに思考を丸投げし、自力で考えることを完全に放棄する傾向が見られた。この研究は、AIが単なる知識の代替ではなく、「知能そのものの萎縮」をもたらす可能性という、人類の存在基盤に関わる危機を具体的に示唆している。

AIと倫理的判断の限界

 AIは、膨大なデータを学習し、論理的な計算に基づいて結論を導き出すことは得意である [25]。しかし、人間のように感情や直感、そして倫理観に基づいて判断を下すことはできない [25]。AIは、あくまで人間が提供したルールやガイドラインに従って動作するため、その結論が常に人間社会の価値観と一致するとは限らない。AIに高度な判断を委ねようとする試みは、人間が最も根源的に担うべき「責任」と「価値観の形成」という役割を放棄することに繋がる。
 AI時代において、真に重要なのは、AIに判断を委ねるのではなく、AIが導き出した結論が倫理的に妥当であるかを人間が吟味し、最終的な責任を負うことである [25]。AIと対比されることで、感情や倫理観、そして創造性といった人間固有の能力の重要性がむしろ再評価されている [25, 26]。

「知」の源流への回帰

 AIによって生成された情報が溢れる中、真実と誤情報を見極め、信頼できる知識を構築するためには、情報のもつれた糸を解き、原点である一次情報に立ち返ることが不可欠である [27]。AIは、単なる思考の代替ツールとしてではなく、人間固有の知能を補完し、新たな思考の地平を開くための「協調的知的活動」のパートナーとして捉えるべきである [26]。未来の社会では、AIと協調しつつ、批判的思考や創造的問題解決能力を磨き、「メタ学習」(学び方を学ぶ能力)を習得することが、私たちに求められる課題となる [26]。

結論:協働と知能の再構築へ向けて

 本稿の分析は、現代社会が「知能の分散化」と「協働の断絶」という二重の危機に直面していることを明らかにした。労働は断片化され、価値観は消費者の主観へと収斂し、インフラは人間の能力を外部に委託し、そしてAIは思考そのものを萎縮させる可能性を秘めている。

 しかし、この危機は同時に、新たな可能性を秘めている。断片化されたギグワーカーたちが、安定した労働環境を求めて労働組合を結成し、新たな形で「協働」を再構築しようとする動きは、社会の底力と呼べる [28, 29, 30, 31]。また、AI時代においては、従来の専門分野を超えた「学際的スキル」がイノベーションの鍵となり、新しい形の協働と知能のあり方を生み出す [32]。デジタルプラットフォームを通じて知識を共有し、他分野の情報に触れる機会を増やすことは、組織全体のパフォーマンス向上にも繋がる。

 『漢字考古学の道』が過去の文字に込められた意味を掘り起こすように、私たちは、過去に人間が築いてきた協働と知能の基盤を再認識する必要がある。その方法の一つには「漢字の持つ象形性(視覚性)を現代の『暗黙知』継承に活かす」など模索すべきだと思います。
 そして、AIという新たな道具を手に、失われたものを嘆くのではなく、新たな形の協働と知能を「建築」する主体とならなければならない。真の知能とは、ツールに依存するのではなく、ツールを使いこなし、自らの知性を拡張する力である。真の協働とは、物理的な場だけでなく、共通の目的と倫理観の下で、孤立した個人が再び結びつく力である。
私たちの知能と協働の力は、果たして失われたのか、それとも、ただ形を変え、再構築の時を待っているだけなのだろうか?この問いは、未来を生きる私たち一人ひとりの課題として、今、突きつけられている。

「人類が最初に獲得した**『協働の喜び』**という原点に立ち返る必要があるのかもしれません。」
「漢字考古学の道」のホームページに戻ります。

2025年7月25日金曜日

漢字「愛」の由来:昔の「愛」には心があった。簡体字の「爱」には心がない

漢字「愛」の由来:昔の「愛」には心があった。簡体字の「爱」には心がない


  

ーー 甲骨文字から簡体字まで「愛」の変化が示す社会の変化 ーー



現代では人類は、「愛」そのものを見失ってしまったのではないかとすら思える。あまりに殺伐としているから‥。
 そして、近い将来、未来の中で、人類が滅びる前に、再び「愛」を見出すことが出来るだろうか



音声で聴く「愛」の物語

この記事の背景や漢字の面白さを、約5分の音声でやさしく解説します。

 移動中や作業中でもどうぞ、音声プレイヤーの「▶」でお楽しみください。


このページから分かること
  • 社会の発展と「愛」の遍歴
  • 現代の漢字「愛」が表すもの
  • 愛の成り立ち
  • 現代の「愛」が直面するもの
  • 変化する愛への心構えの指針





**********************

前書き

 人類のが地球に誕生してからずーと「愛」を探し求めてきた、というか愛に飢えてきた。そして終末期といわれる現代、人類は愛を手に入れることが出来ているだろうか?
戦争、気候変動、食糧難、暴力、あふれるヘイト、この中にあなたは愛を見出せるのか? 綺麗ごとというなかれ!愛は人間が生きるための基本なのだから!



漢字「愛」の今


現代では漢字「愛」には二つの字体が使われています。一つは日本や台湾で使われている字体(繁体字と呼びます)です。もう一つの字体は繁体字(伝統的な漢字)よりも画数が少なく、中国大陸、シンガポール、マレーシアなどで使われている字体です。これを中国では「簡体字」と呼んで、日本などで使われている字体と区別をしています。


二つの「愛」

 では日本で使われている字体から始めましょう。
漢字「愛」楷書 日本の漢字は戦後新字体として確定されましたが、台湾、香港、マカオなどとたいへんよく似ています。
 新字体とは、日本で第二次世界大戦後に制定された「当用漢字字体表」や「常用漢字表」において、それまでの旧字体(正字体や康熙字典体など)を簡略化した漢字のことです。


 簡体字は、1950年代の中国の文字改革によって導入されました。これは、漢字の普及と識字率向上を目的として、複雑な繁体字を簡略化する試みでした。

 漢字は字画も多く、習得するのに多少を難を伴いますので、中国では新しい体制になってから、急速に簡略化の機運が高まり、周恩来首相が中心となってあたっしい漢字を導入したということです。





漢字「愛」の歴史



「愛」のない世界はどんな世界であった?

 実は人間が誕生して、文字を持つようになるまでには随分長い時間がかかっています。
 中国についていえば、4大文明の一つである「黄河文明」が誕生してから人々は長い間、狩猟や採取による生活を強いられてきました。その間、恐らく定住することもなく、家族単位で行動していましたから、文字など持つ必要はなかったっわけです。



甲骨文字の誕生

 ところが、人々が定住し稲などを栽培をするようになり、集団で生活し、次第にゆとりがある生活をするようになると貧富の差が生まれ、石の伝達手段も高度になってきました。最初は村の権力者が王権を維持するため神の力を借りて、力を誇示するようになりました。これに用いられたのが神の宣託です。こうして神の意思を伝達手段として文字が作られました。こうして誕生したのが甲骨文字です。今から3500年前の話です。
 しかしこのころは人々の暮らしは貧しく、自分の命をつなぐだけの生活が続きました。それでも次第に社会は発展し、農耕が発達し、青銅器が作られるようになり、人々の生活も次第にゆとりが出てくるようになりました。

 こうなると人々の気持ちも、周りに気を配れるゆとりが出てくるようになったのです。

 話が長くなりましたが、皆さんは、「衣食足りて礼節を知る」ということを聞いたことがありますか。これは中国の春秋時代の斉の宰相、管仲の言行録である『管子』に出てくる言葉ですが、人間はこの時期に至って人としての感情や感性を知るようになったのです。



「愛」の誕生

本当話が長くなって申し訳ありませんが、人間が「愛」という感情を持つまでにこれぐらい長い歴史があり、苦闘があったわけです。たかが愛と夢おろそかにはできませんぞ!


漢字「愛」の漢字の成立ちと由来


ここからは、漢字の成り立ちそのものをいう「漢字論」に少し入りますので、興味なない方はすっ飛ばしてください。 

引用:「汉字密码」(P886、唐汉著,学林出版社)
漢字「愛」金文、小篆、楷書、簡体字
「愛」の字の成り立ち」
愛は会意文字である。
 「愛」という字の形には、人々の心をこめた情感が覗える。

 金文の愛に対しては2種類の解釈がある。ひとつの解釈は、一人の人が両手で心をささげ持つ形である。そっぽを向いているが、口では心の中を懸命に訴えている様。
 別の解釈は、犬の画の中に丸い形の心が認められる。これは犬が主人に対して喜びの情をしめしているという。

 小篆の愛の字は下部に一本の線が突出しているが、歩いてくることの意味を付け加えている。これは愛が一種の「主動」であることを表わしている。  小篆の字形の形態は美しいが、却って象形の趣を失っている。楷書は隷書を経て「愛」に変化した。

 漢字の簡単化の中で、心は省略されて現在に至っている。  現代中国語の「爱」はもともとの漢字の持つ意味や情感が失われてしまっている。少し皮肉っぽくいえば、現代中国の簡体字の「爱」では、「心」が失われてしまっているように思うのだが・・。愛には心が必要だ!!

「字統」の解釈
 白川博士は「字統」の中で、「愛」について、「後ろを顧みて立つ人の形を表わす字形と「心」の会意文字である。
 後に心を残しながら立ち去ろうとする人の姿を写したものであろうとしている。確かにこちらの方が私たちの感覚にはよく合う。
 説文では、「恵」の古代文字を出して「恵」なりとしているということだが、これは、「愛」と同字異文であるとしている。



哲学:失われた完全性を求める旅

      もともと愛に完全性などあったのか?と思いつつ

さらに、西洋と東洋の愛の認識のこの違いはどこから来るのだろうか?
  • 狩猟民族
  • 農耕民族
のちかいだろうか? 歴史の深みに足を取られ、流されそうになっている自分を感じる。



プラトンの教え

古代ギリシャの哲学者プラトンは、著書『饗宴』の中で「人間球体論」を紹介しました。かつて一体だった人間が神によって二つに引き裂かれ、その失われた半身を求める感情こそが「愛」の起源であると。これは、愛が「欠如」から生まれ、孤独を解消し、繋がりへと向かう根源的な欲求であることを示唆しています。

キーコンセプト:

  • 人間球体論:愛は、引き裂かれた自己の片割れを探す旅。
  • 欠如からの欲求:不完全な自己を充足させたいという願いが愛の原動力。

仏陀の教え

仏教は古代ギリシャ哲学とは全く異なる思考方法で、愛を捉えていました。

キーコンセプト:

  • 「愛」は、一般的に、欲望や執着を意味し、悟りの妨げとなる煩悩の一つとされ、自己中心的な愛や、対象への執着は区別を促すものとなり、単なる己の欲望充足のための愛となる。
    こうした愛は仏のいう慈悲(無償の「愛」)とは全く異なるものであると説く。
  • 仏教で説かれる「慈悲(じひ)」は、見返りを求めないであり、他者を思いやる心として、悟りに向かうための重要な要素とされています。

日本における「愛」という言葉がいつから使われたかについてYahoo 知恵袋に大変参考になる記事を見つけたので、そっくり参照させていただいた。
「「愛」 という言葉、文字はいつごろから日本で使われていましたか?。」



「愛」の持つ意味

 「愛」は、賞賛の積極的な表現から生まれたもので、人や物に対する感情です。例えば、唐代の白居易の詩「雪戯火向」には、「我が人生で愛するものは、火を愛し、雪を憐れむ」とあります。また、「愛」は特に男女間の愛情や賞賛を指すこともあり、「性、情欲、愛」といった言葉で表現されます。現代の口語では、「愛」は「容易な」や「しばしば」といった意味を持つこともあります。例えば、「鉄は錆びるのが好き、その子は病気になるのが好き」などです。
 「愛」はもともと主動で「愛慕」の気持ちを表白することから来ている。人や事物に備わる一種の情感を表わす。

  愛はまた男女の情愛または愛慕でもあり、「性愛、愛欲、歓愛」などなど。現代口語では、「愛」は「容易・平常」の意味にもなる。


「愛」を古代人たちはどう捉えていたか

 「愛」古代漢語では、よく「けち臭い、惜しがる」の意味に用いる。論語の中で、「尔爱其羊 , 我爱其礼」「羊を惜しむのはその礼を惜しむようなもの。そのなかの「愛」は惜しむことの意。哲学者の講義の中に「爱是一种自私」愛は「自分の一種」他人を愛することは自分を愛することだ。『戦国策』のなかで、父母子供を愛し、すなわち深く謀る。このことは父母は子供を愛するなら、子供ためによく計画を立て、長くためになるようにすべきだ。子供の成長の中から恩恵を預かることが出来れば、而して災難にはならない。



まとめ

  一つの漢字の旅は、私たちに多くのことを教えてくれます。言葉は時代と共に変化しますが、その奥にある人々の想いや文化は、文字の中に刻まれ続けています。「愛」から「心」が消えたことを知った今、私たちは自らの「愛」について、少しだけ深く考えるきっかけをもらったのかもしれません。

  現代の私たちが最もよく知る「男女間の愛情」も「愛」の重要な意味です。しかし、この意味が一般的になったのは、実は比較的最近のこと。時代と共に、「愛」という言葉が、より個人的で情熱的な感情を表すようになってきたことがわかります。

 しかし最近この愛という言葉から昔あったような情感が失われているように感じます。何か無機質な言葉だけが独り歩きしているように感じます。それは人間の考えが生活から離れてしまっているように思うのです。これから先愛は何処へ行ってしますのでしょうか?デジタル社会になるのは否めません。身を焦がすような愛は、デジタルではどのように表現されるのでしょうか?

もう一度強く強く叫びたい。「愛っていったい何なのだ!」





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2025年5月10日土曜日

漢字「城」の成り立ちとその文化的背景 | 漢字考古学:


漢字「城」の成立ちから都市の生成、形成を考える


 漢字「城」は、城壁を意味する「成」や、守るを意味する「守」等の組合わせからなる古代中国文字が起源と考えられています。ここでは、漢字『城』の成立ちと、その発展の歴史的過程と文化を、分かりやすく解説します。
 

漢字「城」の成立ちから都市の生成、形成を考える
日本の名城 白鷺城とも呼ばれる
 「城」は、古代中国で城壁を意味する「成」や「城」、守ることを意味する「守」などの文字が組み合わさってできた文字と考えられています。
  日本では、古代中国の都市制度が導入される中で、城壁を備えた城塞が築かれるようになり、「城」という漢字が使用されるようになりました。
  「城」は、日本語の中で特に城郭を表す漢字として広く使われており、歴史的に重要な役割を果たした城郭の名前にも多く見られます。また、「城」は、日本の伝統的な建築物のデザインにも取り入れられ、現代の日本においても、美しい城郭や城跡が観光地として多くの人々に愛されています。

しかし、城はそもそもここに書かれたような発展過程を経ているのでしょうか。日本の城と中国や西洋の城とは少し趣が異なるようです。
 詳しい説明は「城の地政学的考察」を参照ください。
中国の城、日本の城、西洋の城はどう違うのでしょう
城には背景とする文化により基本的な違いがあります。
  1. まず、西洋の城は一般的に防御を目的として建設されており、高い壁や堀、塔や砦、城門などが特徴的です。
  2. 一方、中国の城は、周辺の地形を活かして建設されることが多く、山や河川などが自然の防御として利用されることが多いです。
  3. また日本の城は、戦国時代の混乱の中で領主が戦略的要塞として築いたもので、防御機能と同時に権威の象徴としての役割を持ちます。戦況に応じた機動性や、複雑な多層防御が求められました。
以上のように、西洋の城と中国の城には、目的や建築様式、機能など、多くの違いがあります。


「城」の漢字の成立ち
漢字「城」の楷書で、常用漢字です。
 甲骨文字の時代には、楼閣の「郭」という概念はあったとしても、まだ城郭という概念には発達していなかったのではないだろうか。つまり、村を守るための柵や、堀、塀は作られたにせよ、城壁を建立し村落全体を守るという概念が出てくるには、生産力がかなり発達するまで相当の時間が必要であったろうと思われる。
城・楷書


  
城・金文(第1款)
高くて大きい城郭(左側の記号)と大きな斧「戌」(右側の記号)からなる
城・金文(第2款)
右側の下部に土という記号が加えられて、土壁が補強されたことを示す
城・小篆
全体として象形的なものがなくなり、文字の記号としてより機能的になっている


    


「城」の漢字データ
 

漢字の読み
  • 音読み   ジョウ
  • 訓読み   しろ

意味
     
  • 戍守の意。(要は守ること)
  •  
  • 城壁で囲まれた都市
  •  
  • 砦、要塞 

類似の漢字         郭、塞、砦、𨛗
漢字「城」を持つ熟語    城郭、城壁、牙城、


漢字:「城」の起源と由来
Kanji-Castle4Styles
漢字4款 甲骨、金文、小篆、楷書
唐漢氏の解釈
古代中国の城郭
古代の城
 高くて大きい城郭と大きな斧「戌」からなり、両形の会意で防御用に作られた城堡の建築物を意味している。

 「城」の字は会意文字である。金文で城の字の左辺は「郭」の字の古文体であり、高くて大きい建築物を表し、城都の中を見渡し、また城を護る角楼のように見える。右辺は古文で「戌」の字であり、柄の長い大きな斧の象形文字である。そして両形の会意で防御用に作られた城堡の建築物を示している。 金文中の別の城の字は右半分の下辺に土を加えて、守護用の広大な土壁を強調している。

 小篆では変化の途中で角楼とその影響の合体図形がなくなり、又右半分の下辺の「土」が左辺に移動し、一個の土と成からなる会意兼形声文字となった。
 城は守護の意味を持つ造字で城堡の意味である。説文では「城は以て民を護る」としている。城壁から意味が拡張され、城壁を護る場所を示している。
 即ち城市である。「史記・孫子呉起列伝」では、魏の文候は呉起を以て将となし、秦を攻撃し、五城を奪取した。古文中、城、郭と同時に言うときは、城は内城を指し、郭は即ち外城を指す。城郭と連用するときは広く城市を指す。

 それにしてもこの城という字は実に堂々とした風格のある字だと思う。

漢字「城」の漢字源(P322)の解釈
 会意兼形声。成は「戈+音符(成)」で住民全体をまとめて防壁の中に入れるため、土をもって固めた城のこと。
 しかし、城が城壁の中を指すのに対して、郭が城壁の外を指すとの解釈もあり、必ずしも住民を守るために城はたてられたのではないのではという解釈もある。その点古代の都市のナポリや長安などと日本の城とはその成り立ちや役割も違うという説もある。


漢字「城」の字統の解釈(P458)
 声符は成。成に戍守の意味がある。国人は全て城邑の中におり、武装してその城邑を戍る字が国である。即ち城壁を築き、守りを固めた建造物が城である。



城の地政学的考察

  西洋の城、中国の城、日本の城は、各地域の歴史的背景や軍事戦略、建築技法、そして文化的価値観に基づき、根本的なコンセプトと成り立ちが大きく異なります。下記にそれぞれの特徴と違いを詳述します。

      1. 西洋の城

      特徴と成り立ち
      防御と権力の象徴: 中世ヨーロッパの城は、封建制度の下で領主や騎士の居住・防衛拠点として作られ、領土支配と権威を示すシンボルとして機能しました。

      建築と設計: 主に石造りで、中心に堅牢な主塔(ドンジョン)が据えられ、周囲に厚い城壁、塔、堀、吊り橋など複数の防御層を有しています。これらは侵入者に対する攻撃を防ぎ、守備を徹底するための工夫が施されています。

      軍事戦略: 城全体が一種の「防御ネットワーク」として設計され、城内の複数の層が敵の突入を難しくする設計思想が見られます。


      2. 中国の城

      特徴と成り立ち
      都市防衛の要: 中国における「城」は、単なる個別の居城というよりも、城壁で囲まれた都市全体の防御システムとして発展しました。都市全体を守るために、計画的な城郭都市の設計がなされる点が特徴的です。

      建築と設計: 城壁、門楼、城楼などの要素で構成され、整然とした幾何学的配置が目立ちます。また、風水思想や当時の天文・地理的な知識が反映され、都市配置全体に一種の秩序美が追求されました。

      行政・軍事機能の融合: 城郭都市は、防衛だけでなく、行政の中心、経済活動の拠点、軍事的統制の中核としての役割も果たしており、公共性が強調されています。


      3. 日本の城

      特徴と成り立ち
      戦国と権力の象徴: 日本の城は、戦国時代の混乱の中で領主が戦略的要塞として築いたもので、防御機能と同時に権威の象徴としての役割を持ちます。戦況に応じた機動性や、複雑な多層防御が求められました。

      建築と設計: 木造建築と石垣が組み合わされた独自のスタイルが特徴です。自然の地形を有効活用し、曲線を描く石垣、複雑な通路、そして中央の天守閣(主に権威の象徴としての意味合いが強い)が配置されています。

      美学と戦略性の融合: 単なる防御用建築ではなく、地域の景観や美意識と結びついたデザインが施され、戦略的要塞としての機能と、後の時代における文化的・歴史的遺産としての価値も高い点が大きな違いです。


      比較のまとめ

          起源と目的:

        西洋の城は封建制の中で権力の象徴および軍事防御の拠点として発展。 
        中国の城は、都市全体の防衛や行政管理を目的とした城郭システムとして形成。 
        日本の城は、戦国時代の戦略的要塞として築かれ、後に美学や権威の象徴としての側面が強調される。

        建築技術と素材:
        西洋は主に重厚な石造建築による多層防御、
        中国は計画的な城郭都市の整然とした城壁・門体系、
        日本は木と石垣を組み合わせ、自然地形を利用した巧妙な防衛設計となっています。

        文化的役割と象徴性:
        西洋の城は地域の封建的権威の顕現、
        中国の城は公共性と秩序が重んじられる都市の防衛、
        日本の城は戦略的防御とともに、文化的美意識や地域の歴史・伝統を象徴する存在として発展しました。

        このように、各地域の城はその成立や発展の背景が大きく異なり、単に「防御」だけを目的とするものではなく、それぞれの文化や政治体制、軍事戦略の反映物として独自の進化を遂げています。これらの違いを理解することで、各国の歴史や文化、さらには現代におけるその遺産の価値をより深く味わうことができるでしょう。

まとめ


 漢字:「城」とは高くて大きい城郭と大きな斧「戌」からなり、両形の会意で防御用に作られた城堡の建築物のことである




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2025年4月14日月曜日

驚き!漢字『経』の由来の秘密-実は古代の織機から紡ぎ出された経糸だった

驚き!漢字『経』の由来の秘密-実は古代の織機から紡ぎ出された経糸だった


古代の織機から紡ぎ出された経糸が時を経て地球上の自分の立ち位置を明示的に示す経度となって立ち現れた物語が奥深い!

 中国のダビンチと称される後漢時代の張衡は、絹織物の縦糸と横糸にヒントを得て、地図に緯度と経度を適用することを思いついたといわれている。ここにひも解く歴史のロマン
 

     

このページは以前にアップした下記のページを全面的に見直しアップグレードしたものです。
「漢字 経の成立ちと由来:東経135°の「経」はどこから来たの? それは古代の織機に使われたたて糸のこと」

導入

このページから分かること:

「漢字『経』の意味、使い方、語源、関連熟語について詳しい解説。」
  漢字の意味と成り立ち: 「経」という漢字の基本的な意味、
  象形文字としての成り立ち、古代中国での使用例など。
  使い方と例文: 現代日本語での使用例、典型的な文脈での使い方、例文。
  関連熟語: 「経済」「経緯」「経験」「経度」「経営」など、関連する熟語とその意味を解説。
  文化的・歴史的背景: 漢字の歴史的な背景や文化的な意味について
 




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「経」という漢字の基本的な意味

象形文字としての成り立ち、古代中国での使用例など。

漢字「経」_楷書
経・楷書
漢字「経」の原字
経・原字

 漢字「経」の楷書で、常用漢字
 右に「経」の原字を示した。金文ではあるが、ある意味原始的な文字であるといえるだろう。これは象形文字であり、最も原始的な織機を表している。下部の横棒を足で突っ張り持ち、上部にたて糸をつけ、そのたていとを縫うようにして横糸で編み上げていく。


経_金文
経_小篆
  
経・金文
経・小篆






 

使い方と例文: 現代日本語での使用例、典型的な文脈での使い方、例文。

漢字の読み
  • 音読み  ケイ、キョウ
  • 訓読み  へ(る)

意味
  • たて糸
  • 南北の方向
    日本は東経135度にあると言われる。これは地球一周は360°であり、24時間で一回転するから、1時間当たり15°回転することになる。イギリスのグリニッチを基準とすると日本は135°線上に明石が位置する。
    世界地図
  • 筋道(物事がそうなった理由)、または道路
  • 法律、規範、おきて
  • 時間の流れ:〇〇時間を経て・・のように使われる。
  • 境界(さかい)、境を定める
  • 治める、統治する:経世済民の精神で政治を行う、経理
  • かかる、ぶら下がる、かける
  • めぐり(周期)(例:月経)
  • 文書、特に儒教や仏教の教えを記したもの(例:経書、経文)仏教の経典を学び、悟りを目指す

同じ部首を持つ漢字     経、径、軽、茎
漢字「経」を持つ熟語    
  • 経: 経典のこと、宗教の教えを収めた書物
  • 経緯:たて糸と横糸、いきさつ、天下・国家をおさめととのえる
  • 経過:通り過ぎること、物事のなりゆき、これまで経てきた途中の状態
  • 経験:実際に自分でやってみる、実際にしたり見たりして得た知識や技術
  • 経営:事業をはかり営むこと、土地を測って、たて線と外枠の線とを引く。土台を据えて建設すること



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漢字「経」の漢字の由来

象形文字としての成り立ち、古代中国での使用例など。

引用:「汉字密码」(Page、唐汉著,学林出版社)
漢字「経」の金文・小篆・楷書
漢字「経」の甲骨文字は存在しない
 しかしこの時代には高度な織物技術が開発されていただろう

漢字の暗号の解釈

「経」は「經」の簡体字。 甲骨の "経"は象形文字。これは古代のベルト織機の絵文字である。 このタイプの織機は通常、二つの平行なロッドによって縦糸を支持し、一方は織機のベルトに固定され、もう一方は縦糸を締め付けるために織機の足によって支持され、中央は縦糸と横糸を分離する。


古代織機
引用:「漢字の暗号」唐漢著

  「圣」という単語が一般的に使用されるグループ構成要素になったので、人々は「糸」偏を追加し、小篆、金文の第2款を引き継ぎ楷書では「経」と書いた。
 「経」の本来の意味は古代の単純な織機であり、「説文では「経、織り方」と解釈される。

漢字「経」の字統の解釈

形声 旧字は経にに作り、巠声。巠は織機にたて糸を張り、その一端を工形の横木に巻きつけた形で、經の初文。
 先王の典籍を経とし、これを補翼するものとして作られた漢代の識(予言)を主とする書を、緯書という。建物の造営に、まず測量して南北を正すことを経という。



漢字「経」の漢字源の解釈

 会意兼形声。「巠」は上の枠から下の台へたて糸をまっすぐに張り通した様を描いた象形文字。
 経は「糸+音符・巠」で糸へんを添えて、たて糸を明示した字。



漢字「経」の歴史的変遷

漢字「経」の原字
漢字「巠」・経の原字

文字学上の解釈

「巠」の由来と意味
「巠」は「巠」の原字である。 「圣」という単語が一般的に使用されるグループ構成要素になったので、人々は「糸」偏を追加し、小篆、金文の第2款を引き継ぎ楷書では「経」と書いた。







漢字「緯」_小篆
漢字「緯」 小篆


「緯」の由来と意味
 緯は経の対句の様に用いられるので、補強する意味でここに説明を加える。
 形声文字 声符は韋。韋は城邑の上下を左右に巡ることで、その左行右行を織物に移して、横糸を緯という。たて糸は経(經)。 経をたどって緯を加えるので、ことの過程・経過を 経緯という。儒家の経典とするものは経、これに附託して行なわれた漢代の予言や占トの書を緯書とい う。予言を識というので、その学を讖緯という。





天文学・地図学における「経」という概念について

古代の経線
 地図を経線と緯線で区切って、その座標で各地点の位置を表すという発想は古くから存在した。古代に地球の大きさを求めた地理学者エラトステネス(紀元前275年 - 紀元前194年)は、シェネ(アスワン)とアレクサンドリアを結んだ線を基準として、それと平行に数本の直線を引いた地図を作成した。
 その後、紀元前の天文学者であるヒッパルコスは、天球と同様に地球を自転軸を持つ球とみなし球面上の角度として経緯度を定義し、360分割した経線と緯線を考え、さらにその分割した1つの区間(1度)を60分、さらにその1分を60秒で表すといった、現在のような等間隔の経緯線網を考案した。
 このヒッパルコスの方法を使って、プトレマイオスは実際に経度を旅行記などの資料を参考にしてまとめた地図を作成した。
 しかし、当時は経度を求める技術がまだ確立されていないため、その経度は実際よりも大きく外れたものになっている。  しかし、当時は経度を求める技術がまだ確立されていないため、その経度は実際よりも大きく外れたものになっている。





中国における経度
張 衡地動儀(模型)

 同じ頃、中国でも経度の概念が生まれた。プトレマイオスと同じ時代に活躍した張衡は、地図上に縦横の線を延ばしてその座標で距離を求める方法を考え出した。これは、地図を絹織物に刺繍する際に、縦糸と横糸が交じり合うさまを見て思いついたといわれている。また3世紀になると裴秀も同じように縦横の線で位置を示す方法を提案し、その2つの座標にそれぞれ縦糸・横糸を意味する「経」「緯」という文字をあてた。

 張 衡(78年 - 139年)は、後漢代の詩人、学者及び発明家であり、力学の知識と歯車を発明に用いた。彼の発明には、世界最初の水力渾天儀(117年)、水時計、候風儀と呼ばれる風向計、地動儀(132年)、つまり地震感知器などがある。




まとめ

 漢字「巠」は太古の昔、使われていた織機の象形文字であり、「経」の原字である。そしてそのたて糸を明示する為に糸へんを付加され。「経」は織機から切り離され、もっぱらたて糸そのものを表すようになった。
 このたて糸が「経」の基本的な意味であり、現在では色々の使い方をされるが、すべて、この「たて糸」から派生、拡張されたものである。
 またたて糸と対句的に表現される横糸を「緯」という。
 今我々が北緯、東経などで使っている「経」と「緯」はまさしくここから出たものである。

  

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2025年2月10日月曜日

漢字[心]:古代人は心を生物・生命力の中枢、感情や精神の宿る場所と把握

漢字[心]:古代人が心を生命力の中心と認識した事の歴史的重要性に驚嘆!


 漢字[心]:古代人が心を生命力の中心と認識のページの簡単な紹介音声プレイヤーの「▶」でお楽しみください。

漢字「心」_甲骨文字


はじめに

 漢字「心」(シン、こころ)は、中国語と日本語の両方において、非常に基本的でありながら奥深い意味を持つ文字の一つです 。
 本稿では、この重要な漢字がどのようにして生まれ、その形と意味が時代とともにどのように変化してきたのかを詳細に探ります。
 使用者の問いに応え、その起源から現代における意義まで、「心」の変遷を多角的に考察します。この探求は、単に文字の歴史を辿るだけでなく、古代中国の人々がどのように人間の意識や感情を捉え、表現してきたのかを理解する上で重要な手がかりとなります。
 文字の成り立ち、古代文字の形、意味の変化、そして文化的な背景といった様々な側面から「心」を掘り下げることで、漢字という文化遺産の豊かさを改めて認識できるでしょう。古代人は狩りを通して、動物の体や人間の体を我々が今思う以上にきちんと把握していた。


このページを新しい観点から考察し直し、下記のようにUploadしましたのでご一読ください。
漢字「心」の叫び:旧い価値観に毒された資本主義文明の価値観からの解放を

目次



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漢字「心」の起源:心臓そのままの象形文字

漢字「心」の今

漢字「心」の成立ち

心_楷書
漢字「心」の楷書で、常用漢字です。
   漢字の「心」は、心臓の形を象った象形文字です。心臓は、体全体に血液を送る重要な器官です。そのため、心臓は古代中国では生命の中心と考えられていました。また、心臓は感情や思考の中心とも考えられていました。そのため、「心」という字は、心臓だけでなく、感情、思考、意志、意識、思いやり、愛情など、人間の精神的な側面を象徴する字となりました。

 「心」という字は、中国の甲骨文字(紀元前1200年頃)にすでに見ることができます。甲骨文字の「心」は、心臓の形を簡略化した形になっています。

心 甲骨文字
心・楷書




「心」の漢字データ

漢字の読み
  • 音読み   シン
  • 訓読み   こころ

意味
  • ひく。ひきよせる。
  •  
  • むなしい。から。中空。
  •  
  • つなぐ。ウシをつなぐ。つながれる。

同じ部首を持つ漢字     忠、応、志、芯、蕊

漢字「心」を持つ熟語    心、中心、心中、偏心、

一口メモ

 読み:しべ 意味: 種子植物の花の生殖器官。雄蕊と雌蕊に分かれる。
飾り紐の先端にある総(ふさ)の根元につけて、紐本体との境をなす飾り。



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漢字「心」成立ちと由来

引用:「汉字密码」(P440、唐汉著,学林出版社)
心_4款(甲骨 金文 小篆 楷書

唐漢氏の解釈

 「心」これは象形文字である。甲骨文字は心臓の形によく似ている。金文は簡略化していくらか変化している。それでも核心を突いた心の像だ。小篆は心臓の外形像からは変化している。それでも心臓の切開画像のようである。楷書はこれから「心」と書く。
 古人が殷の時代から、「心房、心室」をこのように、解剖学的に実に正確に把握し、字の形にしているということは驚きでもある。

 「心」の本義は心臓の器官である。心跳、冠心病、狼心狗肺などの中の「心」である。また拡張して心思、心意など。古人は心臓が体に中心にあることを認めていたので、いわゆる中心、中央の意味も出てくる。李白の詩《送翅十少府》にある「流水折江心」の江心とは揚子江の中央という意味である。


漢字「心」の字統(P467)の解釈

 象形 心臓の形に乗る。〔説文〕「人の心 なり、土の藏、身の中に在り。

 象形。博士設に以て 「火の藏と隠す」とあり、藏(藏)は臓(臓)。許慎の当時には、すべてを五行説によって配当することが行なわれ、今文尚書説では肝は木、心は火、脾 土、肺、腎は水、古文尚書説では脾は木、肺 は火、心は土、肝は金、腎は水とされた。
  金文に「心にす」「乃の心を明にせよ」 「心忌せよ」などの用法がある。
心は生命力の根源と考えられていたが、文にはまだ心字がみえ徳や愈など情性に関する字も二十数文をみることができる。文字の展開を通じて、その意識や観念 の発達を、あとづけることが可能である。



 

漢字「心」の漢字源P422の解釈

 象形。心臓を描いたもの。それをシンというのは、しみわたる) (しみわたる)・浸(しみわたる)などと同系で、血液を細い血管のすみずみまで、しみわたらせる心臓の働きに着目したもの。



古代の碑文における「心」

  1.  甲骨文字(こうこつもじ)における「心」
     最も古い漢字の形態の一つである甲骨文字において、「心」という独立した文字はまだ確認されていません 。
     しかし、人を正面から描いた「文」(ブン)という文字の胸の部分に、心臓のような形が書き加えられている例が見られます 。これは、古代中国において、心臓が生命力の象徴として捉えられ、一時的な入れ墨(文身)の模様として用いられていたことを示唆しています 。このことから、まだ独立した文字としての「心」が存在していなかった時代においても、「心臓」という概念、あるいはそれが象徴する生命や活力といった意味合いは、他の文字の中に組み込まれる形で表現されていたと考えられます。
     ただし、一部の研究では、甲骨文字の中に心臓の断面図に似た「心」の字形が存在するという指摘もあり 、この点については今後の研究の進展が待たれます。
  2. 金文(きんぶん)における「心」
     甲骨文字よりも後に現れた金文(青銅器に刻まれた文字)においては、「心」という文字が独立した形で現れるようになります。金文の「心」は、甲骨文字に見られる心臓の形をより簡略化し、曲線的な表現を持つことが多いです。特筆すべきは、金文の時代には既に、「心」が単に心臓という物理的な器官だけでなく、「こころ」、つまり精神や意図といった抽象的な意味合いを持つ言葉としても用いられていたことです。「乃(なんじ)の心を敬明にせよ」(あなたの心を敬い明らかにしなさい)という金文の記述 は、その一例と言えるでしょう。また、初期の金文には、心臓の内部構造である膜弁のようなものが描かれていたり、中央に点が加えられたりする形も見られます。現代においても、メンタルヘルスのクリニックのロゴマークに金文の「心」が用いられるなど、その歴史的な意義が尊重されています。

漢字「心」の変遷の歴史と認識

器官から知性へ:「心」の初期の意味

 「心」の最も本質的な意味は、疑いなく人間の心臓という物理的な器官を指していました 。
 しかし、古代中国の人々は、心臓を単に血液を循環させるポンプとしてだけでなく、思考や感情、知性の源であるとも考えていました 。これは、西洋において脳が思考の中心と考えられていたのとは対照的な見方です 。
 多くの古代文献において、心臓は「考える器官」として言及されており 、喜びや悲しみといった感情も心臓から生じると信じられていました 。金文に見られる「心」が「精神」や「意図」、「徳性の本づくところ」(道徳的な性質の根源)といった意味合いを持つことも 、この初期の意味の広がりを示しています。

 このように、「心」という文字は、具体的な心臓という形から出発し、人間の内面的な活動全般を指す抽象的な概念へと発展していったのです。

唐漢氏は古人は心を一種の感覚器官とも考えていたので、《孟子》の中で言うように「心の官即ち思う」であると考えている。いわゆる心は思想、感情、意念を表すのにも用いられ、心機、心態、独具匠心、心领神会など。「心跟」は一般的に心底、内心を現す。 
 また「心」は部首字であるので、左辺にあるときは、「リッシン・偏」となり、そうでないときは、"想、愁、慕、念"等のように、下でしっかりと支える形となる。全て心で思うことに関係している。

視覚的な変遷:「心」の字形の進化

 「心」の字形は、時代とともに大きく変化してきました。その変遷を主要な書体ごとに見ていきましょう。

  • 甲骨文字: 心臓の形を写実的に表しており、内部の構造が描かれている場合や、「文」という文字の中に組み込まれている形が見られます 。   
  • 金文: 甲骨文字の形を受け継ぎつつも、より曲線的で簡略化された形へと変化しています 。

  • 篆書(てんしょ): 秦の始皇帝による文字の統一政策により、字形がより整然とした形になります。心臓の形状を保ちつつも、装飾的な要素が加わることがあります 。

  • 隷書(れいしょ): 篆書からさらに変化し、現在の楷書に近い形へと大きく変化します。心臓の面影は薄れ、より記号的な表現となります 。

  • 楷書(かいしょ): 現代の標準的な書体であり、四つの筆画で構成される「心」の形が確立します 。

 この字形の変化は、使用される筆記具や材料の変化、そして文字の標準化といった要因によってもたらされました 。また、「心」が部首として他の漢字の左側に位置する場合には「忄」(りっしんべん)、下部に位置する場合には「⺗」(したごころ)といった変形した形で用いられることも特徴的です。

まとめ

  漢字「心」の成り立ちからその変遷を辿ることで、この一文字の中に、古代の人々の世界観や人間観が深く刻まれていることが明らかになりました。
 心臓という具体的な形から生まれた「心」は、時代とともにその形を変え、意味を広げ、現代においても私たちの感情や思考を表現する上で欠かせない文字となっています。その変遷は、単に文字の進化を示すだけでなく、人間の内面世界に対する理解が深まってきた歴史を映し出していると言えるでしょう。

 「心」という漢字を通して、私たちは中国文化の豊かな歴史と、そこに息づく人々の精神世界を垣間見ることができるのです。この探求は、漢字という文字体系のダイナミックな性質と、それが持つ文化的意義の深さを改めて認識する機会となりました。


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2018年12月28日金曜日

干支の起源:2018年の干支は「戌」で、2019年は「亥(いのしし、猪)」となる理由は? 


干支の起源:来年の干支は「亥(いのしし)」と決めた理由は何?
 干支とは何ぞや
 今までこのブログでも何度か干支について説明をしてきました。(「干支、十二支の起源と成立ち」を参照ください)しかし、干支の起源:どうして2018年は「戌」で、来年の干支は「亥」?という質問の答えはなく、「干支とはなんだ」という概念はもう一つはっきりせず、消化不良という感じを持たれてきた読者の方々も少なからずあったのではないかと反省をしています。そこでここではもう一度基本に戻って解き明かしてみたいと思います。

 干支は十干と十二支の二つの概念で構成されていることは既にお話してきました。十干とは天干ともいい、甲乙丙丁戊己庚辛壬癸の10種類からなります。この甲乙丙丁とは、こう、おつ、へい、ていと読むのでなく、きのえ(木の兄)、きのと(木の弟)、ひのえ(火の兄)、ひのと(火の弟)と呼びます。

 十二支は子丑虎卯辰己午未申酉戌亥は地支といい、天干と地支と相交えて日にちを表していた。従って、この方法によれば、10X12の最小公倍数の60を1サイクルとする年代を表すことができることになります。

西暦を十干十二支で表してみると
十干は10年でワンサイクルということですから、西暦の1位の数字に夫々甲乙丙丁・・を割り当てて、「十干」としたようです。
 ではなぜ、このように割り付けられたかというと、成立ちは、以下の理由によるということです。

 この紀年法が定式化されたのが、後漢の建武26年(西暦50年)だったようで、この時が庚戌の年だったということです。光武帝に随従していた学者たちが、決めたことが結局今日まで続いているということです。」


西暦の一位 0 1 2 3 4 5 6 7 8 9
十干

十二支の起源の話に移ります。
十二支の起源も、十干と同様で非常に単純な話です。
 偶々この紀年法が定式化されたのが、後漢の建武26年(西暦50年)だった時に、この紀年法が決定されたことだけの話です。後漢の光武帝が力を持っていたことの証明になるのかもしれません。


西暦を12で割った余り 0 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11
十二支



干支が決まるまでの長い歴史とその意義
 今までの説明(「干支、十二支の起源と成立ち」を参照ください)で、既にお分かりの事と思いますが、後漢の光武帝の時には紀年法が定式化されただけのことで、紀年法に干支はすでに商(殷)代に現れており、2000年近く使われてきたものです。しかし、十干と十二支が殷の時代に生まれて、後漢に至るまでの間、ああでもない、こうでもないと議論が闘われてきたのですが、光武帝の時に「これで行こう!」と正式に決定されたということです。

 干支が鼠、丑、寅などの十二支や陰陽五行思想と結びついたことで、さまざまな伝承や迷信・俗信が生まれましたが、元号紀年法が政治体制により、目まぐるしく変化したのに比べると、一貫したものを持っており、西暦が一般化するまでの間実用性を持って人々の間で重宝されてきました。


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