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2016年12月10日土曜日

漢字「習」の成立ちを「甲骨文字」に探る:雀が飛ぶことを学習すること。


漢字「習」の起源と由来
引用:「汉字密码」(P79、唐汉著,学林出版社)


 習の字は甲骨文字中では、会意文字である。図に示すように、上辺の「羽」は鳥の両方の翼を表す。下辺は「日」の符号に似ている。両形の会意で、鳥の飛ぶことの学習を表す。
 小篆の「習」の字は下部の「日」は変化し、羽と自の会意文字で、自分が飛ぶという意味も含んでいる。「説文解字」では「習は飛ぶことを教えるなり」
 論語でも、論語で『学而时习之,不亦说(悦)乎』とあるのは、学ぶというのは習うことで説することと同じはないとある。
 また、このことから延長して、「習」とは「習慣、習性」のような繰り返す意味もある。习非成是(間違ったことでも習慣となると、それが正しいと思うようになる)、习以为常(慣れて当たり前になる、特別の事でなくなる)などなど。


「漢字の起源と成り立ち 『甲骨文字の秘密』」のホームページに戻ります。

2016年11月28日月曜日

漢字「雀」の成立ちを「甲骨文字」に探る:小さく尾っぽが短い鳥を示す「隹」の頭に多いことと小さいことを示す修飾図が付いたもの


漢字「雀」の起源と由来
引用:「汉字密码」(P64、唐汉著,学林出版社)


 「雀」の字は会意文字である。古文中の雀の字は、均しく隹の頭の上に三つの小さい点がついていて、数が多いこと(古人は3は多いことを言う)と小さいこと(又古文の小さく見える)を表している。通常集まってきた雀や山雀を示すのに好んで用いられる。この種の鳥の体形は多くは太っていて小さい。群れを成して飛んできて飛び去るのが好ましい。人々はこの種の鳥を小雀と呼ぶ。《诗.召南 .行露》の中のように、「誰が言うのか雀には角がないと。何を以ってわが家をうがつ」
 以後小型の鳥を大雑把に雀と称する。楚国の詩人宋玉の《高唐赋》では「多くの雀ががやがや騒がしく、雄雌がしゃべっているワイ」
 漢字が長く使用され、変化していく中で、少し法則性のない混乱も発生する。例えば鶏は古文中では「旁を隹」と書いていた。
又常には「鶏」とかく。右辺の部分が鶏や隹になるがどちらでもいい。大概は現実には長い尾の雄鳥であったり、また太った尾の短い母鳥であったりする。古人は実在では鳥が長い尾の鳥か、短い尾の鳥かは区別しがたいので「鳥」と「隹」の中はみな一つの区分しかない。
 因みに日本では焼き鳥は現在では、鶏を焼いた料理を言う。筆者が思うに昔は焼き鳥といえば雀ではなかったろうか。今は雀は余り見かけないが、私の子供のころはそれこそ喧しいぐらい周りにはいたものだ。値段も鶏に比べ格段に安かったろう。4つ足を嫌っていた日本人も鳥は二本足だから重要な蛋白源ではなかったろうか。
 もう一つ本文中では雀は小さくて太っている。と書いているが、実際雀は毛をむしると太っているどころか、骨と皮ばかりで肉は殆どない。それがコリコリして美味しいわけだが、どうして太っているという風に考えたのだろうか。毛があると確かに少し丸々とはしているように見えるのだが・・。ああいうのを「毛太り」というのかな?


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