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2023年8月5日土曜日

漢字「男」はどのようにして生まれ、どのように変わっていくのだろう


漢字「男」の起源と「男」という漢字は、ユニセックスの荒波の中でどう変化するのだろう


導入

 私たちは今どのような位置にいるのだろうか?

前書き

 この記事は「『男』という漢字の起源と由来は」を加筆修正したものです。
 男と女の関係は性的なものは別として、その社会的地位はずいぶん以前から男性上位と考えられてきた。人類が穴居生活をしていた頃は、まだ男と女の役割は現在ほどはっきりしたものではなかった。

 しかし農耕が発達し生産力が増強されるにつれ、より男性のパワーが求められるようになった。同時に家の在り方も変化し、母系制家族から父系制に移り変わっていった。この変化の画期をなしたのは、秦の始皇帝による国家の統一である。始皇帝は当時まだ残っていた入り婿の制度を廃止し父系制を確立した。

 それから3000年近く経過し、生産力は著しく増加し、従来の国家の枠組みすら取り払われ、グローバル化の波が押し寄せている。しかしこの波といえどもほんの30~40年のことであり、人々はこの急激な変化に追随するのに苦労している。

 労働の役割についても、以前とは異なる様相を呈している。ロボットやITの活用によって、労働における男女格差は著しく縮められてきた。
 近い将来、このままでは男と女の性差が消滅せざるを得ない時期が想定される。子供を産むことすらも、男と女の間に区別がなくなるのかも知れない。
 そのような時に、漢字の男と女という字はどのように変化しているか全く予想はつかない。


目次



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漢字「男」の今

漢字「男」の楷書で、常用漢字です。
 その構成要素は「田」と「力」です。そしてこの漢字の甲骨文字は、「田」と「耒」とから構成されるという説が有力です。しかし、これは耒ではなく、男根であると唱える人もいます。これらの説がどうであれ、現在は、男性、男として使われています。しかしこの言葉自体も、著しい世の中の変化の中でどのように変化するのか、全く予想がつかないものです。 
男・楷書男・甲骨文字


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漢字「男」の解体新書

  
男・甲骨文字
男・金文
男・小篆


 

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「男」の漢字データ

漢字の読み
  • 音読み   ダン・ナン
  • 訓読み   おとこ

意味
  • 性別で雄
  •  
  • 立派な仕事をした
  •  
  • 大人の男、子供ではない男

同じ部首を持つ漢字     男、甥、舅、虜
漢字「男」を持つ熟語    男、男前、大男、


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漢字「男」成立ちと由来

引用:「汉字密码」(P470、唐汉著,学林出版社)

「男」の字の成り立ち」

唐漢氏の解釈

 男という字は会意文字である。甲骨文字の男という字の左は「田」である。意は農耕のことである。
 右辺は力これは「加」や「幼」の中の記号と同様である。元々は男の生殖器を指しており、ここでは男の意味である。
 金文の男の字は が田の下にある。小篆の形体は基本的には金文と同じである。ただ力という字が完全に「田」の下に来ており形体もまた少しごちゃごちゃしている。楷書の      「男」は小篆を引きついでいるが、「田」と「力」で簡単明快である。

漢字「男」の字統の解釈

 会意 田と力とに従う。力は末の象形。 田と農具 のと合せて耕作のことを示すが、古い用法では その管理者をいう。〔説文〕 一三下に「丈夫なり。田 に従ひ、力に従ふ。男は力を田に用ふるを言ふなり」とするが、力は筋力の字ではなく、耒の象形である。

 文では、田と耒との組み合せかたは、かなり自由である。[令彝]に男は農耕の管理者とし 外服(外域) 諸侯の一にあげられている。

 一般に男子は、詩篇では士 といい、士女と対称するのが例であった。士は戦士階層のもの、男は耕作地の管理者を意味する。 下層 の男は夫といい、概ね農夫であった。その管理者を、のちには大夫といい、卿・大夫・士のように士の上 に位置するが、 氏族員たる戦士階級が没落して、農奴の管理者である大夫の地位が、政治的な階級に高められたのである。男は大夫の古称とみてよい




漢字「男」の漢字源の解釈


 会意。「田(はたけ、狩り)+力」で、耕作や狩りに力を出すおとこを示す。ただし、ナムnamという音であらわされることばは、納napや入niapと同 男系で、いりむことして外から母系制の家にはいってくるおとこのこと



漢字「男」の変遷の史観

文字学上の解釈

文字に現れた社会構造の変化

殷の時代に起こった劇的な変化とは
  男の字の本意は地方の諸侯の放牧地のための男の衛兵の服務である。殷商の初期、農耕は未だ「焼き畑農業」が主力の時代、社会的には氏族共同体の時代であった。

後世の土地制度の範となる「井田制」現る
 そしてこの田という字は商王朝の初期に現れた井田制のことであろう。これは土地を9区画に区切り真ん中を公田とし、この部分は王朝の所有で、残りの8つの区画は私田として、地主や邑(ゆう)という部落の長の所有とされた。そして、その王朝所有の区画を奴隷制を基礎とする氏族の耕作でまかなった。しかしながらたとえ農耕の主力が女としても、氏族の集団で狩をしたり、狩猟は男の担当であった。このようにして甲骨文字の中の「男」の字は、商王国の中のもっぱら農耕部落の首領をさすようになった。すなわち男の服務の首領である。

井田制を基礎とする封建制の発展
 商が滅んで周の後、この地所の西北の一隅の農耕民族、華夏民族にとって民族的歴史に真の農耕時代をもたらした。生産力のは点はまさに爆発的であった。このときから狩猟活動は減少し、農業技術の飛躍的な発展により、強力な国家体制が出現し、更なる労働力を求めて、外へ外へと拡大を続けるようになった。

生産力の発展は更なる生産力を求め、奴隷や女を必要とした
 こうして起こった劇的な社会変化で、女子はその生理的条件と社会的地位の制限により、農耕領域では二の次の生産者の位置に下がってしまった。この頃の戦争の目的は、侵略と略奪により、奴隷として労働力を獲得すると同時に、戦利品として、女を獲得し、労働力の増殖に供することであった。農耕と男子のこの種の関係は、「男」の字に新しい意味を付け加えることになった。農耕即ち男子のことである。故に男子と称するようになった。「説文」で男は主人である。田と力から、力を持って田をなすことを男という。

まとめ

文字は社会の母斑である

 孔子が理想の社会として敬んで止まなかった西周の時代というのは、未だ社会的には士族共同体の特質を色濃く残していた時代だからこそ生れたのであって、春秋時代になると、社会が礼節で収まるような時代ではなくなってしまったのである。
 甲骨文字から小篆に至る「男」という文字の変化をこうして眺めなおしてみるのも面白い。

  


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2018年12月31日月曜日

「歳」と「年」の違いは? 漢字「歳」の起源はどう違うの?


漢字「歳」の起源と由来
 今年もまた、「年が明け歳が暮れる」ことの繰り返しであった。これはずーと何一つ変わらず繰り返されてきた。しかし、そこで出来事は凄まじい勢いで流れていく。漢字では「年」と「歳」が何の疑問も持たれずに、用いられてきた。しかしこの差は一体なんであろうか。

 前号で、年の字の成り立ちから見て、「年」の本義は成熟した作物であるという意味であることは理解できた。しかし、ここで同じように一年の時間の長さに「歳」という漢字があり、この「年」と「歳」がどのように違うのか明らかになっていない。そこでここでは、この二つの漢字の成り立ちがどのように違うのかを明らかにしたい。

引用:「汉字密码」(P289、唐汉著,学林出版社)

「歳」の字の成り立ち」
 甲骨文字の「歳」は血の付いた斧のようなものです。「斧」は殺害のための武器であるため、古代の文献では「歳」は「生贄にして犠牲にする」、つまり先祖や神々に捧げるため牛を犠牲にするために牛を殺すことを意味するのによく使われている。甲骨文字の第1款の歳の形の上の小さい点は犠牲を殺した時の血の跡の可能性がある。上古時代「歳祭」はもっぱら「一歳挙行一回」はこの種の大規模な盛大な祭祀を指している。


「歳」が犠牲の血で以て神にささげる祭りという意味から時間に概念が変わる時
 甲骨文字の第2款と金文の歳は斧鉞を用いて二つの「止」を分け隔てている。このことから時の流れを分けることを表示するようになった。
 歳は年歳の名前で、大歳も先民の祭祀に関係がある。中国人の星座には歳星、またの名を大歳星すなわち木星がある。因みに木星は12年ごとに空中を一回周遊する。木星の運行は一辰すなわち一年である。この説明はもっともらしいが、少し後付けのようなきらいがないわけではない。

 結果として、歳は「年」と同じく時間の指標として、用いられてきた。しかし、成立ちは大いに異なるようです。片や農業の実り由来する実りであり、片や神権政治に結び付く、歳祭に見られる生贄を祭る祈りの挙行からくるようです。しかし、この二つの由来を結びつける必然があったように思われます。それが何かを解きか明かすことに更なるロマンがあるようです。


参考記事
1. 漢字「年」の起源と成り立ち 


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2012年7月9日月曜日

古人は稷を主食としていた:漢字の「稷」の起源と由来

古代人は何を食べていたのだろうか。その主食はなんであろうか?それを解くカギは甲骨文字にあった。これから文字から古代人の生活を蘇らせることに努めていこうと思う。

 古代人は主食は五穀を食べていた。即ち黄河流域の北部の乾燥地帯では、稷(きび)、粟、長江流域では早くから水田が開かれ、大規模な灌漑工事が施され、主食は米であった。この外五穀には小麦、豆等があげられる。豆はどこでも栽培されていたようだが、小麦はむしろ西域から伝わったようだ。



以下は「汉字密码」 (唐汉、学林出版社)より引用

稷は穀物の長

「禾」が穀類の作物をおおよそ指す一方、粟は穀物が成熟後の種子を指すのに用いられる。粟が「谷子」の専用名称になったために、穀物の種子を表すには、今日に至るまでずっと「稷」が用いられている。甲骨文字ではまるで人が穀物の苗をもてあそんでいるような字形である。金文と小篆の「稷」の字は人の形が一つ一つ変わって、採集は一個の形声字に変わっている。説文では「稷」は五穀の長で禾偏と形声からなる。



稷は中国東北地方では最も良く栽培された

「稷」は乾燥にも十分耐え、北方の干からびた天候に適しており、産量も比較的安定する。脱穀後粟飯粥または炊飯は少しさわやかな香りがする。だから、稷は古代先民からは穀物の神のように見られ、五穀の長とみなされた。古人の稷に対する評価は「天下はこれで安定だ。危なくなるはずはない」


古代では稷は農耕文明の中心的存在

中国は元々農業大国を誇り、土地と菱食は立国の本と見立てていた。古人は社で以て土神とし、黍は穀物の神と見ていた。社稷(土地の神と五穀の神)併せて国家の代称の言葉とされた。(社稷は国家という意味がある)漢代の大学者班固は解説して、「人は土地に立つにあらず、穀を食うにあらず、土地広くても、教えるに偏ること出来ず、五穀多くとも、いちいち祭りもできず、故に土地に封じて役所を作れば、土地があること示す。 稷は五穀の長である。故に稷を立て、これを祭る。」この事から稷は農耕文明の中心的な重要な位置を占めている。


農業の発展につれ、「稷」の農作物の中での比重は減少


今日農業の発展、進歩するにつれ、稷の農作物の中で占める比重は次第に小さくなった。しかし社稷が国家の代称ということも、長期に下火になった。北京公園内で明清の両代皇帝が使用してきた社稷坛はよくよく整備され欠けたところがない。

以上引用終わり



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