この西施は当時の越王勾践が夫差との戦いに敗れ、大臣の范蠡の諌めに従い、夫差の奴婢となった時、やはり范蠡の助言に従い、夫差に貢物として差し出されたといわれている。
これが、かの有名な「呉越同舟」や「臥薪嘗胆」などの熟語を生んだ歴史の舞台である。
また日本では後醍醐天皇が隠岐に流される際、奪還を図った児島高徳が残したと言われる歌にも引用されたことからも年配の人には、よく知られている。
『天勾践を空しうする莫れ。時に范蠡無きにしも非ず』
天は勾践を見捨てなかったように、貴方をお見捨てにはならないでしょう。
いざというときには范蠡というような人物が出てこないとも限りませんからという意味である。
さて西施の他に、下の女性たちも数奇な運命を辿っている。
- 王昭君 前漢の武帝のとき匈奴の頭目に差し出された女性
- 妹喜 バッキという。古代の「夏」の桀王に彼が滅ぼした有施氏の国から貢物として差し出された女性。桀王は妹喜の色香に狂い、「酒池肉林」と称せられる、奢侈淫乱を旨とする遊びを行った。このため夏朝は急速に零落してしまった
- 姐己 ダッキという。古代「殷」の纣王の下に、有蘇氏の国から献上された「姐己」は先のバッキに輪を掛けたような悪女であった。このため「長夜の飲」といわれる常軌を逸する狂態が120日にもかけて繰り広げられたという。これを戒めたものは「ホウラクの刑」といわれる、がんがんに焚かれた炭火の上に渡された油を塗った銅の棒の上を渡らされる刑に科せられ、燃え盛る炭火に落下して命を落とした人間を纣王と一緒に鑑賞して楽しんだという。
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